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世界的な作家の作品でさえ言語や文化を一つ跨げば見向きもされない

 五年くらい前に『ホワイト・ノイズ』という小説をAmazonのマーケットプレイスで買った。ドン・デリーロというイタリア系アメリカ人作家が1985年に発表した作品で、1993年に出版された日本語訳は絶版となっているため中古で一万円くらいした。アメリカで最も権威のある文学賞の一つ全米図書賞(National Book Awards)を獲った小説で、近年ドン・デリーロはノーベル文学賞の常連候補として名前がずっと挙がっている。しかし、絶版されている事実からも分かるように、日本での知名度はほとんどない。僕はポール・オースターという別の作家の作品をまとめて読んでいる時期に、彼が尊敬する作家としてドン・デリーロについてどこかで言及していたために興味を持ったのだった。
 率直なところ、『ホワイト・ノイズ』は翻訳が酷くてとても読めたものではなかった。英語に堪能な日本人が訳した文章というよりは、日本語に堪能なアメリカ人が訳したような文章だった。申し訳ないけれど絶版にも頷けた。もちろん単純な文章的精度の低さにも関わらず考えさせられるような箇所もあったけれど、内容については正直あまりよく覚えていない。ただ絶版本だからなのか専用の透明なカバーが付けられており、古い本のわりに保存状態がかなり良かったのが印象的だった。そんな訳である種の教訓として(あるいはインテリアとして)、読み返すつもりもないのだけれど手元にずっと置いてある。

 ちょっと前に駅の本屋の洋書コーナーで『ホワイト・ノイズ』と書かれた背表紙を見つけた時、最初僕は同名の別小説だと思った。しかし気になって手に取ってみると、それがドン・デリーロに書かれた作品の新訳版だと分かった。すぐその場でスマホで調べてみると『ホワイト・ノイズ』は2022年末にNetflixで映画化されており、それに伴って新しい翻訳で再出版されていたのだった。悲しいことに日本で話題になっていた気配は今回も全くなく、名は体を表すとはこのことである。
 結局、僕は新訳版を購入しなかった。なんだかよく分からないけどその場で買ったら負けな気がしたし、楽しみは後に取っておこうという気持ちもあった。映画もまだ見ていないが、レビューサイトを見てみるとあまり評判は良くないみたいだ。しかし、それよりもジャンルがコメディーに分類されているのが気になった。僕のおぼろげな記憶では暗くて重い内容だった気がするのだけれど、映画では独自の解釈やアレンジが加えられているのかもしれない。
 きっと英語で書かれた原作を読めばまた全く別の印象を受けるのだろう。言うまでもなく、文化的背景をいまいち知らない人間が第二言語での読書で理解できる範囲には勿論限界があるけれど。世界的な作家の作品でさえ言語や文化を一つ跨げば見向きもされないのだから、何かを伝えるということは本当に難しい。


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