ラーメン
オーストラリアに到着した次の日は僕の誕生日だった。前年の誕生日に色々と渡豪に向けて計画を立てたのが、大筋では達成されたことになる。わざわざピンポイントでその日を選んだのはビザが失効する日付を正確に覚えておくためでもあった。誕生日の夜、僕は宿泊していたメルボルンのAirbnbの近くにあったラーメン屋に一人で入り、ラーメンと餃子とビールを頼んだ。どれも不思議な味がしたけど悪くはなかった。
一週間だけメルボルンを観光した後の二ヶ月間、僕は海沿いの田舎街のラーメン屋で働いた。スタッフの七割位は日本人で、そのほかは韓国、マレーシア、ベトナムなどアジア系が多かった。店から徒歩で二十分くらいのところに「アコモデーション」と呼ばれる従業員用のシェアハウスがあり、僕はそこで数人と共同生活をおくった。あまり何もない街だったのだけど、海沿いを毎日のようにランニングできたし、出勤時には賄いで好きな物をなんでもタダで食べられた。仕事終わりに系列店のバーで飲ませてもらうこともよくあった。
日本人のスタッフ同士では日本語で喋ったのだが、ほかのスタッフやお客さんとは英語で喋る必要があった。僕は渡豪前に英会話教室に通っていたおかげで最初から最低限のコミュニケーションは取れた。勿論、言いたいことを正確に言えないもどかしさは常にあったのだけど、それ自体に免疫が出来ていたために過度なストレスはなかった。考えてもみれば、そもそも日本語で日本人と喋っている時だって、伝えたいことが正確に伝わっていると感じられることは稀である。アジア系のスタッフには十代の女の子が多く、英語圏で生まれ育っていたり、インターナショナルスクールに通っていたりで、みんな流暢な英語を喋った。最初、僕の目には彼女達の立ち振る舞いがひどく大人びて映った。お客さんと冗談を交えて楽しそうに喋っているところを見ると「歳の割にしっかりしてるなあ」と思ったものだ。僕は自分の意思を言語化する能力と他人の意思を読み取る(というか単に聞き取る)能力に欠けていたので、コミュニケーションを取る際に「情報」がいつも圧倒的に足りず、まるで世間知らずの中学生のような気分を味わった。パーソナリティは言語能力に大きく依存するのである。それでも、打ち解けて喋る機会が増えるにつれて、彼女達もただの十代の女の子だということが分かった。不毛なダイエットに励んだりブランド物を欲しがるのは万国共通、あるいはアジア共通らしい。
店では骨を炊く工程からスープを作っていた。僕はキッチンでオーダーを捌きながら、大きな寸胴のスープを一日中かき混ぜ続けた。賄いで自分のラーメンを作る際にはアレンジを施し、大学の頃に通っていたラーメン屋のスープを再現することに成功した。まさかオーストラリアまで来てラーメン屋の修行みたいな日々を送るとは思っていなかったが、何か具体的なビジョンがあった訳でもなかったので、とにかく自分の出来ることをやった。僕は時にホールやレジに立って客と喋ったり、電話での予約を承ったりもした。この電話が前代未聞のガラクタで、相手の声がまともに聞き取れず、ただでさえ間々ならない英語での会話がほとんど壊滅的になった。
二ヶ月働いた後、僕は別の田舎町へ移ることにした。移動当日の朝、スーツケース、ボストンバッグ、バックパック、おまけに細かな生活用品が詰まったスーパーの袋を携え、僕は最寄りの駅まで歩いた。その道中、自転車に乗ったおじさんに通りすがりに話し掛けられた。イヤフォンをしていたので "Sorry?" と僕が聞き返すと、おじさんは "Do you know where you are? "と言った。僕はグーグルマップを使っていたので特に問題はなく、"Yeah, I'm okay" と言ってすぐに別れた。それから僕は電車とバスを乗り継ぎ、八時間くらいかけて次の街に到着した。荷物を抱えて駅からホステルまで歩いている途中、車を運転中のおばちゃんが窓を開けて "Are you okay?" と話し掛けてきた。"Yeah, I'm okay" と答えると、おばちゃんは早口で「ああ、それならいいのよ」みたいなことを言って去っていった。オーストラリア人は皆フレンドリーなのだろうか、あるいは単に僕が心許なく見えているのだろうか。
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