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記事が書けなくなる前に、読めなくなる前に、私にできることをしよう。

最近の私はなんか調子が悪い。心と体の調子が万全じゃない感じがする。昔の無知な自分からは成長したので、ここ2日間は“休む”という選択をした。

自然に身を置くと日常のすべてを忘れられた。けど、

特に昨日は公園に行ってピクニックを。自然の中に自分が溶け込むと、自分の中に溜まっていたものが浄化されて癒されるのを感じた。

12時まで寝てからいきました。
とっても私らしいと思います。
シャボン玉なんかしちゃったり。

しっかり癒されてリフレッシュした!

と思っていたけど、完全にそういうわけでもないらしい。なんか少しずつ疲労とか溜まってたんかな?日々の過ごし方を振り返ったりする。でもわからない。不調は思わぬタイミングで訪れる。これが今までの私だ。そして今回の不調に気づいて、

1年前に心と体の限界を突破して、弱った自分をふと思い出した。

一度無理やり壁を打ち破っているので、衝撃的でショッキングな出来事だったので、あの時のダメージは鮮明に思い出せる。あんな辛い体験はもうしちゃだめ!!!限界をむかえる前にできることをしなきゃ。

その選択肢のひとつが「公園でピクニック」だったんだろう。

次の日の今日、お仕事で記事を書いているんだけど、あんまり乗り気になれなくて「このまま全力疾走し続けたら折れるな」と感じた。正直に感じたことを察知した自分を褒めてあげたいな。

そこで私がとった行動は、記事の執筆は辞めないとしても、そのほかのできる限りの予定をゆるめるということだった。

“予定をゆるめる”というのはどういうことか?

ここ数日間で予定されているスケジュールを「当日の状態によっては参加が厳しいかもしれない」とあらかじめ伝えることで、「絶対〇〇しなきゃ」な状態を回避できる環境を作ること。

「〇〇しなきゃ」は、不調をどんどん強めてしまうと感じるので、あえてそこはゆるめて安心感を持てるようにした。

もちろん今の私にできることは「約束を辞める」ではなく、「元気一杯な状態になって約束を守る」ことである認識もある。だから「約束を断るかも、ごめんなさい」だけじゃなく「余裕をいただいたので回復します」というスタンス◎

ありがたいことに、優しい言葉をかけていただき、恵まれているのを感じる。優しさのある言葉が私の栄養素となって、私を癒していくのを感じる。

私が元気になれるのは、言葉に触れて心を満たすときなんだ。


そう思ったできごとがもうひとつあって。

私の文章を読んで気づきを得られたという記事を読んだことでした。ことばと広告さんのこちらのnoteで。

よく言ってるように「ふつーであること、ふつーの感覚を持ってること」は書く人にとってけっこう大事なんで。とくにエッセイはそうかなー?ひょっとしたら、発想を飛ばせるとか、斬新な切り口とかよりも、よほど大事なんじゃないかと思う。

ことばと広告さんの記事より引用

毎日noteに書き続けていることばさん。もう2年も休んでいないと書いてあった。私も毎日書き始めて半年以上経つ。昨日、あえて執筆するのをやめて「やめてもいいよね」とつぶやいた。その言葉を、ことばさんはしっかりと受け止めてくださった。

私の文章から気づきを得てもらって、それをこうやって記事にしてくださって。「やっぱりいい記事書きたいな」という気持ちが湧いてきた。

結局私は、書き手である以上に「読み手」として言葉を受け取って、言葉を活力にすることを大切にしていく必要があるなあと教えてもらった。もちろん記事も書くけどね◎

私は「記事が書けなく/読めなくなること」を避けて生きたい。

じゃないと、私の心は完全に折れてしまうだろう。言葉という栄養素を吸い取る元気がある今を大切に、無理をしない範囲で頑張りたい。まだまだ未熟だから前に進みたいの。

ずっとずっと「いい書き手/読み手」でいたい。

数あるnoteの中から、私のnoteに読みに来てくださりありがとうございます😌最後のページまで来てくださって感謝です💌 私のことばが誰かの心に届けば、、、と毎日奮闘中です💭あなたの心が動いて「こいつ、やるやんっ」て思ってもらえたらサポートお願いします👀🌟