今回の転職で、初めて年収が下がった話
ずっとSE稼業一本です。
過去、今回の転職で数度投稿しております。今回の転職で、初めて年収が下がりました。年収を第一優先にしなかった理由もありましたが、面接内で希望年収を聞かれる企業は、ほぼないに近かったです。それよりも面接に到達する率が、一昨年よりも急激に落ちたため、まずは書類通過ということが急務課題の逼迫活動になってしまいました。
1.いつから始めたか
実際には5年ほど前あたりからでした。しかし、この頃も忙しく、とりあえず登録をして、適当に目を通しては、興味のある企業や紹介会社に打診をしてた非積極的活動になってました。
相応に当時は書類通過はしてましたが、その忙しさから指定された面接日時に行けない続きで、やむなくお断りするか、今回は遠慮してねのメールだらけで断念せざるを得なかったのでした。
実際には、3,4年前から腰を入れて活動。毎晩帰宅後はチェックして応募。他の事もしてますので、毎晩寝るのは2時くらいでした。それでも、まだ書類通過や一時面接に行ける事はありましたが、応募したい企業が見つからないという母数の低さもあり、さらに仕事が繁忙で、相変わらず指定された日時に直接出向くことができず、断念する毎日。まだ不合格をもらえた方がスッキリしますが、それ以前の状況で、やむを得ず続きでした。
2.呆れて退職を選択
結果的に呆れて退職を選択。仕方なく無職を選びました。先々見て、こんな生活を10年もやっていられず、SE稼業に専念もできず、昇給も乏しければ、残業代も出してくれない企業だった事、すでにアラフィフ領域で後がない状況でもあったからです。
全く次を決めていませんでしたが、有休消化中は好きなと言うか、就業中全く取り組めなかったことに専念する時間を過ごしており、満足な時間でしたが、次第に焦りから来るメンタル面に不均衡が起こり、パニック状態になってました。しかし、すぐに紹介予定派遣が決まり、正社員の道も頂けました。ところが、正社員になるまでの時間が、当初の派遣会社との話と異なり、実情何年もかかるという事がわかり、別の派遣に。そこでも正社員の話を早期に頂くも、初めて「合わない」ことを感じ、引き続き派遣での就業を拒否されてしまい、いわゆる派遣切りでやむなく無職となってしまいました。夢うつつの3ヶ月でした。
ここからが精神的な地獄を、更に数ヶ月味わいました。
3.過去の転職活動で
今回の転職活動以外では、現行年収を記載してました。年収って企業ごとに異なりますが、一応ポジション的な意味を図る指標にもなってますから、役職者でなくても、その企業の役職者と同じ年収というケースもあれば、これだけの収入で生活しているというアプローチにもなるので、記載してました。特に紹介会社からは、指摘を受けてなかったので、直接応募でもそのままだしてました。
ただ、15年くらい前の無職の時、後にも先にもある会社1社のみ、最終面接の社長との中で、「あなただけだよ、年収記載してくる人は」と言われたことがあり、面食らいました。
どうも、グループ企業の地方の元工場長で、左遷か栄転か、グループ内天下りのような方で、当然同じグループとは言え、その会社の事業を完全把握はしていない、もうすぐ定年という方でした。まあ、そういう世間しらずもいるのだなと憤慨してました。この時、結果としては合格をいただきましたが、若干年収が下がり、他の活動企業もあったので、その結果待ちで話そうとしてましたが、時間満了にておながれにしてしまいました。不思議と、今でも募集している事をたまに見かけるので、これ幸いと思い、今回も応募しましたが、書類でお祈りでしたw。
4.今回の転職
「今回」というのは、実質3、4年前から始めた活動ではなく、昨年派遣切りを受けてからの活動になります。
その今回では、年収を履歴書に記載するのをやめました。どうもウケが悪い気がしたので。加えて、この年で市場にマッチするスキルが乏しい事もあり、以前のようにキャリアでの募集が、かなり減ったと感じてもいた事で、とにかく入れる所をの気持ちで望むほかありませんでした。
面接も一方的に打ち切られる事が多くありました、こちらの希望やキャリアビジョンを聞かれる事がかなり激減したと感じてます。正社員も非正社員と同じく、エンジニアの募集がスポット要素が高いと感じてきました。
結果として、よほど低い提示年収以外は、全て応募することとしました。しかし、ハロワの企業は、やはり低い。ひどいところは300万からのスタート。実は前職もハロワ利用を第一としていた企業と、入ってから知ったので、確かに提示年収は低すぎでした。生活は20代でない限りできないので、お断りしました。
むしろ、非正社員の方が、もっと高収入見込めもしますし。しかし、永年就業を望んでましたので、何とか正社員での募集、あるいは紹介予定で探しており、やっとの思いで、今の企業に入る事ができました。
5.譲ったこと
結果として、やりたい事ができる、SE稼業に専念できるといった願望はクリアする事ができ、加えて労務管理がしっかりしている(前職では、タイムカードすらなく、有給取得もお願い事項として打診するため、消化率は20%ほど)というのも魅力的でした。実際、残業禁止で残業もなく、休日出勤になる事もなければ、業務時間内にチームミーティングや自習など、売り上げに直結しない時間が多く、「こんなんで、金もらっていいいんか」です。
しかし、当然なのか前職より、60、70万は年収が下がりました。決して元が高くなかっただけに、就職できても生活が楽にはなってません。そのため、食事と風呂は、実家に戻るか食べない入らない(ほぼ在宅勤務なので)を数ヶ月続けてます。しかし、前職に比べ、年収上限はかなり高いので、相応に成果を出せばやっていけることは可能であり、そこを見越して入社をしました。
退職金もなく、就業条件が厳しい為、再度転職をやり直す必要がありますが、今は得られることを得るために我慢として、続けられる時まで続けることとします。
6.今の生活
ほぼ在宅なので、楽です。しかも残業も今はないです。
その分、寝ていられるのですが、動かなくなったため、買い物行くだけでも、足がもつれる事があり、完全に運動不足の傾向が高くなってます。
また、昨年秋から、実家で食事を頂くようになりました。みっともないアラフィフです。ですが、ガス代はほぼ0。電気代通信費も水道代も合わせて1万もいかず。おかずや野菜をたまに買って、実家で調理してもらい、余りを翌日の朝昼の食事に充ててます。物価が高くなったのか、そんなに食べないのに、食費の支出がお金が不足する要因となってます。一人分をコンビニで毎日買うよりは安いはずなのではありますが、確実に万札が消えていく。。。
無職を経験しましたので、国民健保や年金未納分の支払いがまだあり、それが実支出の多さにもなってます。
家庭持ちで出社されている方は、私には今どき珍しいと感じるお弁当を作ってもらっており、他企業より、相対的に収入低いようにも感じてしまいました。
でも、前職に居続けては、決してSEらしき業務に就き続ける事はできず、事務職で終わってしまう様相であり、古い体質でもあったので、今新しい技術に触れる事ができ、SE業務に専念できている事は、何より望んだことでもありましたので、少しきつくなってますが、良い選択であったことには間違いがありません。
情報提供や考え方、そしてこれまでの苦々しい経験での対価として、ありがたく頂戴致します。