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月を見て、ドヴォルザークの新世界を聴いた夕暮れ。

美しく柔らかい陽ざしだった。
ここ最近、自分の中で正体のわからない"渦"ができていて、時が流れるのをただ待つ…みたいな"ただ耐えている"時間が長かったのだけど、今朝は陽射しとお茶が柔らかいな…と思えていて、どうやらその渦から抜け出したらしい…
11月になったな。今日も美しい陽だった。

私の中にある"美しい"という表現には幾つか感覚があって、例えば「カフェで頼んだエスプレッソの味が〜…」とか「音の並びが〜…」とか…色彩は勿論なんだけど、所作や言葉だったり、香りや味だったりにも"美しさ"を覚えるし、それらにはひどく感動する。

"美しい"という言葉や感情を丁寧に使いたいな…と、いつの頃からか想う様になった。

学生の頃、恥ずかしさ故に気持ちを押し殺していた時期があって、当たり前だがさすがに心が荒んだ。
自分の選んだ曲目を音楽室で弾いた時、友達から「貴女っぽくないね」と言われた事があって、「私っぽいってなんだろう」と違和感を覚えたし、私の"美しい"って私っぽくないのか…と思ってしまって、それ以来友達の前で演奏するのを辞めた。(言われた事に対して悪意を感じる…とかじゃないし、批判したいわけじゃないから言われた事に関してどうこう…って事ではない。)
なんだろうな…若かったな…。
心に素直でいることが自分を守る唯一の方法であるのに、ただでさえ厳しい世の中…。自身である"自分"が気持ちをも誤魔化してしまうってとても可哀想だった。ごめんね。


花は美しいし、音も光も色も…風の香りだって美しい。

言葉にした途端、"喜び"のキャパシティーが広がったし、もっと美しい世界を見たいと心の底から感じた。自身の成長は辞めたくない。
側から見たら馬鹿みたいに思えるだろうけど、人の厚みを決める"心"の気持ちには正直にありたいものだなぁ…。と常々感じている。


愛の反対は嫌いではなく"無関心"

道端に咲く野の花にも目を向けられる人になりたい。いつまでも純真な想いを持ち続けられますように…と願うばかりです。

11/1 "クリスマス"の足音が聴こえた日。
たまたま外出先で、オーケストラの野外演奏がやっていた。
有名な先生の指揮をタダで見れるなんてラッキー過ぎるなぁ…と嬉しかった訳だけど、クラシックを知らない、興味も無かったであろう人達も足を止めて、皆んなで演奏を聴いていた時間。キラキラしている…。
こんなにも嬉しい事があったでしょうか。

それはそれは美しい時間だった。

長くなってしまった。
さ、体もいい具合に冷えてきたことだし、スープでも飲んで寝るとしますか。
どうか明日も沢山の人に"美しい日"が訪れますように…。

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