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データ分析官のキャリアなんもわからん問題 The Final

そしてぼくは考えるのをやめた

今年は少し早めに書こうかなの気持ち
結局、キャリアパスを中心に「人生」を考えることが馬鹿らしくなってしまったので、もう少し自分勝手に「仕事」を見直そうと思った。

結論: キャリアや市場価値について考える優先度が下がった

https://twitter.com/0_u0/status/1478200936426532865

年末年始暇になったので、いろいろな人のTweetとか、友人との対話とかを通じて、「2022年のなんもわからん問題シリーズどうするかなあ」とか思っていた。
紆余曲折を経て「そもそもキャリアについて考えたり、市場価値を高めるための活動に時間を割いたりすることが、自分にとってどれだけ優先されるべきであるのか」という疑問に行き着いてしまった。
いろいろ考えを巡らせたり、他の人の考えを見聞きしたりした結果、以下に書き散らしているように、「キャリアや市場価値についてあることないこと考えて不安に思う暇があったら、自分が面白い・楽しいと思えることに向き合う機会を増やせ」という結論に至った。
そこで、そういう機会を作り出すために、キャリアや市場価値を考えてきた「なんもわからん問題」に終止符を打つことにした。


読み方

書き散らした結果各節のつながりがぐちゃぐちゃしているが、そもそも僕が納得してこの問題を思考の対象から外すための「ポエム」である。
ある程度、1つ1つは独立して読めるような構造になっているはずなので、ちゃんと読みたいという変わった人は、そうやって読んで欲しい。

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とはいえここまで考えてきたことが無駄になるわけではないと思っている。
また、同様の問題・悩みを持つ人はこれからも現れるであろうと思うので、劣化速度がどの程度か知らないが、その人の整理に寄与したら僕にとってもうれしいことである。

誰?

・ 同じ会社で4年働いてしまったデータアナリスト
・ 1年目で転職活動して給与交渉した(2018年)
・ 2年目で大失敗してスーツで取引先に謝罪した(2019年)
・ 3年目で勝手にリモートワーク始めて怒られた(2020年)
・ 4年目でチームリーダーになった矢先チームメンバが転職した(2021年)
※ チームメンバの転職に関しては以下を参照。決して喧嘩別れとかそういうものではない(と僕側は思っている)のでご安心ください。
※ 彼のキャリアを伸ばすためにできたことはまだ多くあったものの、それを満足できる形で提供しきれなかった後悔はないとは言いませんが、過去のことなので、とにかく彼の活躍を応援してくれれば僕としても大変うれしいです。

最近何やってんの?

意味がわからないと思うが「仕事を定義する」仕事をしている。
具体的に言えば統計科学の応用手法(因果推論とか混合モデルとか)をどうにか利益に結びつけようという活動や、社員の業務を効率化するための社内ツールの開発・導入などをしている。
これまで非公式で行ってきた「前例のないことに取り組む」という業務を、部署単位での事業内容として、経営陣の合意をとった上で進めている。
個人的には楽しいがこれが市場価値にどれだけ貢献するかは何もわからない。だが個人的には楽しいのでそれでいいと思っている。
コロナ禍を経て、所属する会社内部で「自社のステータスをデータで評価できてなくね?」という話が持ちあがった。
さらに言えば「より価値のある売り物とはなんだろうか」という根本的な問題に向き合うことが仕事として認められることになっている。

データ分析はやってるん?

やっているが基本的に面倒くさい集計を簡単に行うことに閉じている。それ以上は面倒くさいのでやらない。
そもそも、データ分析単体を通した価値化には限界があると結論づけている。理由は単純で「データ分析は誰でもできる」からである。
有料なソフトウェアなら山ほど分析ツールはあるし、社内には山ほど分析を自動化したツールが溢れている。結果、誰でも最低限のデータ分析・可視化はできるようになった。
自分の仕事は、そんな誰でもできるようになったデータ分析について、それを適切に使うための方法論や、結果の妥当な解釈(分析結果を根拠にしてどこまで主張することができるか)、そもそもの社員の統計リテラシーの向上など、そういうアドバイザーみたいな動きに追いやられている。

専門性は深まった?

ぶっちゃけ言えばデータ基盤に関する理解やA/Bテストなど、マーケティングに関連するデータ分析の様々なスキルを醸成するリテラシーレベルや環境は一切整っていないので、専門性を深める機会はほとんどない。完全に個人の取り組みに依存している。これをどうにかするのが今の仕事である。
専門的なデータ分析者としてのスキルで求められるスキルは年々高まっているが、これは単純に技術革新で誰でもできる分析手法が拡大しているからだと思っている。現職ではこれに追いついていないというのが致命的な要素である。
参考までに、例えばGoogleにおけるデータサイエンス領域のスキルセットはこんな感じ。

引用すると「最低」これができないと「駆け出し」ですらないという感じ。

  1. 一般的なアナリストとしてのスキル

    • BIツールなどを用いたインサイトレポートが出来る

    • A/Bテストなど効果検証とそのデザインが出来る…etc.

  2. 東京大学出版会の統計学シリーズ3巻分に該当する統計学の知識

  3. はじパタに該当する一般的な機械学習の知識

  4. SQL文法を含むデータベース操作の技術

  5. クラウドの知識

  6. データ前処理・特徴量エンジニアリングの技術

  7. 何かしらのビジネス領域における若干年数の実務経験

これからどんどん増えていくと思うが、自動化も加速するので、大変そうに見えてUIポチポチでなんとかなるところも多いだろう。
実際UIポチポチを中心に、知的生産活動に時間を割けるならそれで良いと思う。
(あくまでTJOチームにおける基準ではあり、市場としてこれを満足しなくてもある程度の価値出しはできると思っている)
「なんもわからん問題」シリーズがついぞ向き合ってきた「データサイエンティストとは」という話は視点を変え形を変えいろいろに整理されている。

データ分析のビジネス価値の1つが「意思決定支援」であるというのは大きく同意する。そのためには「意思決定ができるためのデータを妥当性のある方法で測定し、妥当性のある結論を出せる分析手法を選び、妥当な範囲での解釈を行う」ことが重要だと思う。
そういう話になると「じゃあどんなデータに向き合えば『職業』としてのデータサイエンティストの市場価値を高められるのか」という問いになる。
僕は最近やっている仕事を通じて、「活きたデータ」に向き合うことがデータサイエンティストという「職業」の市場価値を高めることにつながるんじゃないかと思うようになっている。

データサイエンティストの価値を高める「活きたデータ」とは?

個人的には、データ分析を専門にしてキャリアを積んでいくには「活きたデータ」を定義して、それを追跡できる仕組みを作り、活用できるスキルを積んでいく必要があると思う。
現職のような、開発を伴わない受託分析でのデータ分析では、多くのプロジェクトがパワーポイントやエクセルでの「報告」で終わる。業務からのフィードバックが得られない理由は、個人的にはここにあると考えていて、結局報告書を書いて、そこでしか使われない数字のためのデータ分析になってしまっているからだと考えている。
これは個人的に名付けると「静かなデータ」であり、ワンショットで終わるため、プロジェクトの拡大可能性もあまりない。
現職でも意思決定層が「追跡できるデータ」と「モデルの定期的な更新」を志向している。
つまるところ、受託分析においては、何らかの利益指標に対する「定期的で妥当な測定」と「一定精度の担保された予測」ができることが期待されているのかなと考えている。こういったフレームを「活きたデータ」として対比して名付ける。
結局、分析結果が使われるかどうかという話については、基盤があるかどうかだけではなく「基盤が構築されていて、かつ、基盤を利益追求のために活用する知識・技能・文化が定着しているかどうか」なのだと思う。
受託企業であろうと事業会社であろうと、データ基盤を構築して、利益追求のために活用し続けられる環境があれば、多分市場価値が高められる環境だと思われる。
逆に言えば適当なデータ分析で適当な報告書を書いて終わるような仕事で市場価値が上がる時代は結構前に終わったので、そういう分析しかできない人は、頑張って価値観や技術のアップデートをしていく必要があると思う。
もちろん、価値提供のために取り組む熱量はコントロールする必要がある。合理的でない分析オーダーには反論し、簡単には引き受けないなど、ある種の政治スキルは求められるかもしれない。
僕自身、ここ最近は合理的でない分析オーダーに時間を割くことは可能な限り避けている。

それらは結局「楽しい」のか?

これまでの「なんもわからん問題」では、結局「データ分析を仕事にする上で市場価値を維持・向上するには?」という話を(自分なりに)突き詰めて考えてきた。
結果、ここ数年は「データ分析官」としての市場価値を上げるにはどんなスキルが必要かという問題に向き合い、インフレしていく技術要件に焦り、思うように積み上がらないスキルに絶望し続けてきたように思う。
そうして仕事だけでスキルを上げることにこだわり、仕事を選ばずにこなした結果、睡眠以外が仕事のような状態が続いてしまった。
突き詰めて考えた結果、不安が加速した。自爆である。
そうして仕事と距離を取る時間を意識して確保した結果(仕事が楽しめる人間がいることを認識しているし、その人の価値観を否定するつもりもないが)、僕個人は根本的に仕事を楽しむような人間ではないことを思い出した。
これまで現職でいろいろと変革を求めて仕事(これを「戦争」と個人的には呼んでいた)をしてきたが、振り返ると「市場価値を高められる仕事を増やす」というつもりでやってきたことが、結果的に「やりたいことを邪魔されない」ための活動になっていた、のかもなあと思う。
例えばデータ分析基盤を構築したりBigQueryを書いたりA/Bテストを設計したりすることは仕事をする上では必要ではあるが、個人的な楽しみには程遠いと感じている。僕は怠惰なので、楽しみから程遠いと感じてしまう事柄を積極的に学びたいとは思われない。どうにかしてこれらを楽しみと感じる事柄に結びつけたいのであるが……。
では僕の「楽しみ」とはなんだろうか?

(多分)僕の楽しみの1つは「数理統計学」

どこまでこの欲求が強いかは自分でも評価しかねているが、おそらくは僕は数理統計学に飢えていると感じている。
ここ数年時間ができるとソシャゲ以外に行うことと言えば、数理統計学の本や論文を読み漁るのが常であった。その大半は仕事に一切反映されないが、面白いなあと思うことが多かった。
数式のギャップを埋めながら「いろいろ忘れているなあ」とぼやいたり、稀に仕事に活きる知見を見つけて報告したりしていたが、仕事で数少ない「面白い」と感じる場面に思う。
きっかけは学生時代、Dobsonの「一般化線形モデル入門」を、当時の先輩や同輩と輪読し、(満足できるレベルかは別として)数式のギャップを埋めることで読み切る経験をしたところにあるのかなと思う。

これは僕のキャリアの中でも相当に大きな経験で、回帰モデルについて、世間一般よりは強い関心を向け続けられている自負がある。今でも数式を伴う文献は、どんなに小さなギャップでも、簡単な変形であったとしても埋める癖がついているし、それが楽しいと思うことは多い。
基本的に世の中をひねくれて見がちな自分が楽しめる数少ない事柄が、統計学と数学であるなら、これを楽しむための人生にしていく必要があると思った。

楽しいことに割くリソースを増やす

昨年のJapanRでも強く関連する報告を聞いていたのを思い出した。

「Enjoyの最適化」というキーワードはとても刺さった。この人はEnjoyを仕事に結びつけることに成功している。一方で自分にとってのEnjoyが数理統計学であり、仕事であるかどうか関係なくこれに向き合いたいのであれば、そのための時間と体力を確保する必要がある。
仕事も数理統計学と結びつけやすい領域はあるが、ズレは0にすることはできない。どうしても仕事が残ってしまうことは否めない。

面倒事に割くリソースを減らす

もしかすると他人に見えている僕は仕事熱心なのかもしれないが、実際僕は仕事を「面倒くさい」ことだと思っている(上司には常々「面倒くさい」とか「やりたくない」とかぼやいてしまっているくらいには。これはこれで言わないようにしたい)。
だからこれまでは仕事と数理統計学的な関心を可能な限り関連付けて、やりたいこととのズレを小さくしながら取り組もうとしてきた。
ただ、そのズレが0になることはまずないので、最終的には面倒くさい仕事が残る。
これまでは短期間に全力でリソースを割いて捌くことで時間だけを確保してきたが、体力が確保できないので、結果的に自分のやりたいことにリソースを割けない結果になってしまっていたのだと反省している。
面倒事にはどうにかしてリソースを割かないようにしたい。
例えば仕事の多くはプログラムで自動化して、コマンドを実行したら勝手に終わっていて欲しい。
思考や人を動かすような場面を伴う、プログラムが難しい仕事は、
記録や管理を工夫するなどして、頭に残す要素を減らしたい。
いずれにせよ、やらなきゃいけない面倒事はどうにかして「片手間」に終わらせられるような努力は惜しみなくしていく必要がある。その努力は、自分が楽しいと思える方向に突き詰めていければ良いと思っている。

最後に

ここまで、今自分がやっている仕事や、それを通して思い至った「自分にとって価値があると感じられる仕事」という話を経由しながら自分のキャリアや市場価値について検討してきた。
本末転倒な結論として、「仕事としてデータ分析を捉えたまんまだと面白くなくなってしまう」ということに着地してしまった。
せっかく数理統計学が楽しいと思えるのであれば、仕事であるかどうかということを意識せずに楽しんだほうがよい。
そのためにはキャリアや市場価値についてあることないこと書き連ねた「ポエム」をインターネットの海に垂れ流す時間がもったいないということを意識する必要がある。
そういう意味で”The Final”というわけである。
ずいぶんと発散したように思われるが、結論現状の僕にとって、キャリアパスや市場価値について考える優先度は大きく下がった。
ただ、優先度は下がったが、重要度が高いことがらであることは変わらない。ただ、キャリアや市場価値について考える時間や体力を、自分が楽しいと思える数少ない事柄に向けるほうが優先的でかつ重要であるし、そうして楽しんでいく先に、なんだかんだキャリアとか市場価値は伴ってくると信じたい。良くも悪くも深く考えすぎたなあと反省した。
面白いこと、楽しいと思えることに真剣向き合うために、面倒くさいことを効率よく受け流して、むしろ面白いこと、楽しいと思えることをこれから増やしていければな、と思う。
「なんもわからんの人」はここでおしまい。さようならだ。

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きぬいと
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