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2023年は「高密度なその日暮らし」

画像は妻がDIYで作ったリストレスト。肌触りと程よい硬さが手首の位置を最適化する。僕はお気に入りの道具を使っていても「他人が使っている」という観測をしてしまうと一気に萎えてしまうので、これは基本的に唯一無二の道具であり、壊れるまで使うと思われる。

新年の抱負をちゃんと心に留めて1年過ごせるやつ偉すぎる

小学校、中学校の冬休みでは「『新年の抱負』をテーマにした作文を書いてくること」が宿題になっていたと記憶している。あるいは冬休み明けの国語の授業があてがわれる事もあったかもしれない。いずれにしても、新年は抱負を述べるのが慣例だった。
逆に年内登校の最終週では「『1年を振り返って』というテーマで作文を書く」というようなこともあったかもしれない。僕が書いた作文の記録は散逸してしまったが、おそらく「新年の抱負」と「1年を振り返って」の内容については、ほとんど対応関係がなかったのではないかと推測している。
これを読む人たちのうち、新年の抱負を達成するために計画し、1年の振り返りでそれらの達成状況をしっかり確認した人はどの程度いるだろう。いたら素直に尊敬する。すごいと思う。

「新年の抱負」は大体2週間で忘れる

そして労働者となり、技術ブログとか書いてなんか色々やっていると、記事を書く都合の良い理由に「1年の振り返り」と「新年の抱負」がセットでくっつく。年末年始の記事はこれを使えば完璧なのだ。特に毎月投稿を目標にするならこれで12月と1月はネタに困らない。
僕も当初は別のブログで同じことをやっていた。過去3年分はこう。2021年はもはや年始の挨拶すらない。2023年も、まだ書いていない。
直近は振り返りを意識した設定にしているが、過去の目標設定は振り返りとの対応がなく、年末記事を書くときに「あーこんなこと言ってたなあ」みたいな感じでケラケラしていた。

2020年にはお気持ちを壊して目標の達成なんか出来たものではなかったし、2022年は緩く設定した目標すら達成できていないので、もはや僕は何を設定したら振り返りのときに「できました!」って言えるようになるんだ、という感じしかしていない。

新年の抱負「だけ」に向き合えない性分

労働者としてどうかと思うが、正直僕は「目標を設定してその達成に向かってなにかやる」というのが非常に苦手である。眼の前に興味が出る問題があればそれについて考察し、とりあえず解く、という在り方が性に合っている。仕事がスケールアップしないのはこの辺にありそうだなと思うが。
ただ、仕事に関してはやるべきことは利益追求であり、そのために必要な専門性の深化である。これらは毎日仕事をしていれば何かしらの振り返り材料は確保できるはずなので、設定自体に難しさは感じない。
関連して、仕事に伴う資格取得(統計検定とか情報技術者など)も別段抱負として特別に設定するという必要性は感じられない。

問題は、僕個人に残された人生のうち、直近365日のスプリントである。
1年は52週、365日ある。その間に予期せぬ出会いや思いもよらないことに関心が全く向かないことに賭けるのは、あまりにも分が悪いようにも思う。

たとえば京都へ旅行に行きたい。でも京都へ行きたいという気分になっているのは今だけで、旅行シーズンになった頃にはもしかすると静岡に行きたくなっているかもしれない。
更には引っ越しを考えている。賃貸で探しているが、もしかすると家を買ったほうがよいのでは?と思う場面も出て来るかもしれない。

統計学以外の事柄を勉強したい。今は暗号技術をちまちまやっていたり、ウィトゲンシュタインの哲学を読んだりしているが、物理学に飛んだり、経済学に飛んだりするかもしれない。
自分がこれから何に出会い、どんなことに興味が持てるのか、明確な予想ができないのである。困った。

開き直って「広く浅く」やっていく

たとえば「新しい分野を3つ以上勉強する」とか「国内5箇所以上に旅行する」とか、そういう定量的な目標を掲げることで抱負とすることも考えられるが、この場合、2023年末に「新しい分野は1個だけでした」とか「国内旅行は1箇所でした」とか、そういうことになったとき、
これらは「できなかった」らダメなんだろうか、ということになる。その1つの新しい分野にのめり込んで、楽しかったら良くないか?とか、その1箇所の観光地ですごく良い時間を過ごせたら良くないか?とか、そういうことになる。

あるいは「習慣づけ」というものも考えられる。毎日英語に触れるとか、毎日本を読むとか、そういうこと。
これは頑張れる人は頑張れるだろうが、僕は僕を信用していない。大体冬休みにはじめた英語の勉強なんか仕事が始まったら絶対に後回しにするだろうお前?
僕ってやつは、スタートダッシュはいっちょ前だがスタミナが切れるのも早い。だから新年初日は去年やっていたことをそのままやってる。
ちなみに去年やっていたのはkaggle。冬休みだからと調子に乗ってやっていた。難しいなと思う。

こうなると具体的な目標を設定できるほど自分が信用できなくなる。どんどん抽象化されて「楽しく生きる!」とかそういう事になってしまう。いや楽しく生きるのは大事だけれども。
でもまあ個人の人生なのだから、測定可能な目標を無理に設定する必要もないのか。年末に「今年の楽しかったこと」とか、noteやらブログなどを読み返して「あーこれ面白かったなあ」とか、そういう振り返りができれば、ある意味良いのかもしれない。人間、観測できている「経験できること」のほとんどは、自分自身の経験には結びつかない。
Twitterを見ていれば色んな人がいろんな経験をしていて「はやくこれになりたい」とか思う。でもそれにはなれないし、なる必要もない。

結局今年の抱負は?

色々考えた末に記事タイトルの「高密度なその日暮らし」というワーディングが降ってきた。ダッセエ。
ただの「その日暮らし」ではなく、あえて「高密度」とつけているのは、「その日にあったことをちゃんと思い出す」という行動くらいは習慣化して良いのではないか?とも思った。
もとい、妻との会話も大体「今日何かいいことあった?」という話が定番の話題になっていて、一緒に暮らし始めたときは全く出てこなかったことに自分でも驚いていたが、1年半生活をしていると、なんとか思い出して話をすることができるようになるものだ。自分ひとりでは振り返る意味もないが、話す相手がいると習慣として身につきそうな気もする。
ちなみに元日の今日の僕は、0時になってすぐに近所の神社に初詣に向かって、そこから寝て、起きてkaggleして別の神社の出店でたこ焼きと焼きそばを食べてスプラトゥーン3をやって昼寝して起きておせちを食べて風呂に入って今記事を書いています。今日振り返り完了。

基本的にはnoteやブログに証拠となるような記事を書き連ねる気ではいるが「毎日投稿!」とかそういうことはできる気がしないので、普通に気が向いたら文字にしようと思う。ただ平均的目安として週1~週3くらいは書きたい。

具体的な活動目標も掲げているが、意識しているのは以下。大体仕事の延長でどうにかなりそう。

  • 統計検定(統計数理)の合格とそれに伴った数理統計学の理解の深化

    • 今年から本気出す。勉強は正月明けてから本気出す。

  • 勉強会での発表

    • 特にTokyoRや統計学勉強会(どうにか開催を考えたい)

  • 健康維持

    • 心身の健康を維持する。

    • 特別なにかスポーツを始めるとかではなく、
      頭の回転を最適化できる体調を維持すること。

  • 家庭円満

    • だいたい健康維持と同じ。

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