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メガネ

メガネが行方不明になって3日目の昼。メガネをかけない習慣がつきそうだ。古い、形の悪いメガネをかけながら家で生活をしていると、見えていればなんでもいいや、という気になるし、かけていなくても左目だけで事足りてしまう。

たまに思い出したように左目をつむり、右目で見てみるとふわっと視界がぼやけるので思い出す。あれ。メガネ。どこやったっけなあ。

メガネを無くして5日。メガネという概念すらだんだんわからなくなってくる。目が根?メカね?ムカデ?いやいやそれは遠ざかりすぎてる。面白くもない冗談を言っても誰も笑ってくれるまい。頭の中の雑談なんだから。またメガネをなくしたと人に話すのも気がひける。ロックダウン中、外に出るのは散歩とスーパーくらいなものなのにいつ何処で不可欠な日用必需品を落とす機会があるんだ?ないだろう。

私の場合、起きてすぐ使うからベッドの脇の机に置いて寝てしまった。そして朝起きたらなかった。

ベッドの下、浴室の棚、椅子の上、探せるところは探したが、一向に見当たらない。まあ、流石に闇に呑まれるなんて事はないのだから自然とポッケからぽろんと落ちてくるまで待とうと思い、その日は左目に頼った。

メガネをなくしてから1ヶ月が経った。相変わらずメガネは出てこず、代わりに子供の頃の写真やいつどこで買ったのかわからないガラクタが戸棚の隅から出てきた。左目で写真を愛で、右目でガラクタの錆を見ないように目を細めた。コンタクトレンズは期限が切れていて使い物にならない。新しく買う気にもならないので、左目生活と古臭いフレームの代わり番こで我慢していた。

「新しく買ったら?」私の中で会議が開かれた。コロナ禍とメガネ新調。うーむ。もしかしたら出てくるかもしれないし、我慢しよう。

三ヶ月が経った。右目はどんどん視力を失い、左目も最後の力を振り絞っているようだった。それでも私は諦めなかった。

7ヶ月が経った。政府が検討したワクチン大量注射政策のおかげで国の半数以上の住民が接種した後だったが、私はパソコンも紙の字も読めないくらい目が弱っていた。光と暗闇の識別をしながらガラクタで埋まった部屋の隙間をぬって台所に行き、残りの食料を漁る毎日を過ごした。

夏も過ぎ、木枯らしが吹き始めた時期だった。冷たい身体を暖めるために布らしきものを肩にかけた。そしてそのまま台所の冷蔵庫の前で眠り込んでしまった。

夢の中で私は今までに人類が経験したことのない速度で視力回復をしていた。ボヤけた光の中からどんどんと形が浮かんできて、距離感や色彩が鮮やかに目に焼きつく。爽やかな風がパアッと顔に当たり、青々とした草木の合間に太陽が眩しく光っている。雲は勢いよく形を変え、ずんずんと流れていく。雲の下で飛んでいる鳥の羽毛までがはっきりと見えた。その柔らかい羽一つ一つの違いまで判別できた。そして目線の先はもっと上をいく。飛行機が飛んでいる。大型機だ。何百人もの乗客が乗っている。女の子が一人窓の外を眺めていた。その子と目が合った瞬間、飛行機は雲の結晶に覆われ、私の目線は地に引き戻された。「早すぎる!早すぎるんだ!!」そう叫びながら目を塞いだ瞬間、自分の声に驚き目を覚ました。


ベッドの上だった。何事もなかったかのように時計の針の音が響く。

机を見る。メガネはない。

とりあえず我慢するか。





2021年3月に書いた物です。たまたま見つけて、ロックダウン時の塞ぎ込みと妄想力を思い出すと、なんとも言えない気分になります。
写真は私のメガネです。
ワクチン大量注射政策ってなに

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