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わたし、という存在に落ち着く

自分が自分の存在に気づくこと。

当たり前だと思っていることは
あらためて「気づく」ことはなかなかありません。
しかしそれが何らかの解決につながることはよくあります。

わたしがわたしに気づくこと。

人によっては内観なのかもしれません。

そうしてわたしに落ち着くことは、自分の存在を否定したらできません。

わたしという存在に落ち着くことは、
すべてを一体化とする体験より、あるいは"無、的"を感じるよりも、
身近でありながら、到達しにくいものでもあります。

たとえば、
非二元界隈でいわれる「私はいない、ない」を
現世でベースにしたら、
そこに至る感覚は難しいでしょう。

ある意味で生と死の境はありませんが、
この今生では存在を否定しては迷子になります。
歩く道は自分で決めて、見極めるのものです。
そこは気を付けてください。

「わたし」に気づき、
そのまた向こうにある「わたし」に繋がる。

あえて付け加えるのなら、
そこに落ち着き、再び目を開けても、
苦しいものは残っています。

あー・・・って泣きたくもなります。

それでいいのです。
それで。

それがあなたの重たさ。
けれどそれは心の重たさとは違う。
良し悪しではないのですから。

ただ、ちゃんと存在し、「落ち着く」ということ。

それは喜びでもあるのです。


#lightStreamメッセージ
#lightStream非二元問題



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