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1ヶ月の売上500万とおっぱい(Chapter2-Section5)

 1991年のホームレス体験から、1年半かけて再スタートを切る為の預金をした。それも礼金敷金を支払い家電製品を揃えたら、ほぼ消えてしまった。

 割のいい仕事をみつけたつもりでも、「立て看」の取り付けで現行犯逮捕された。あれは、電柱がNTTの所有物だから違法扱いとされるが、公共の道路で販売しても逮捕されない。路上でパフォーマンスしても、警官の注意だけで逮捕はされない。
 
 この公共の道路で、シルバアクセの露店は月100万も売り上げていた。正直、この額を知った時は驚いてしまった。
 サラリーマンやっている日本人で、月100万稼いでる人がどれほどいるのだろう?
 それを、目の前の外国人がやっていた。これがボクにとって、マインド的なターニングポイントになった。

 このユダヤ人のボスは、新宿近辺に5箇所の売り場があり一月の売上は500万。年間だと6000万になる。
 歌舞伎町といった繁華街に売り場を持ち、他のユダヤ人グループは南新宿を仕切っていた。当時の西新宿側は寂れて、誰も関与せず。主に二大勢力しのぎを削っていた。

 時折、南新宿のボスがやってきては「言い値でそこを買う」と交渉に来ていた。ボクも巻き込まれて「お前のボスを説得しろ」なんて言われもしたが、そもそも所有権なんて存在しない。縄張り意識が妥当だろうか。
 
 2週間、露店を手伝っているとヤクザがきた。
 「ボスはどこにいる?」と聞かれたが、入管の見回り期間と伝えると素直に去った。最近のヤクザは一般人と区別がつかないと言われるが、当時はいかにもって感じで、すぐにわかって便利だった。
 
 ヤクザの話をすると、片言な日本語で「ショバダイね」と言った。
 繁華街の公共道路は空中権のような縄張りがあって、それをショバ代としてヤクザに支払う。その上にユダヤ人も縄張り権を作って、その場所を売り買いしていた。まるでAdobeのレイヤーのようだった。

 当時の新宿には、住吉会系と稲川会系と極東会系の3つあった。
 露店で支払うショバ代は月5万。無料ではなった。どんな理屈がまかり通って公共道路に場所代が生じるのか知る由もないが、そんな仕組みになっていた。
 一等地の新宿で店舗をかまえることを考えたら月5万は破格に思えるし、そもそも払わなくても良いお金とも言える。
 
 2週間の露店は、あまり良い稼ぎにはならなかった。
 販売員の外国人の言い値で買っていた客も、ボクになったら「高い!」と値切り交渉が起こった。値切り文化のある関西人が客だった訳ではない。
 シルバー925。まがい物ではない。重量や質的にも妥当な線で店舗の価格よりも安く提示したが、何度も競り負けて凹まされた。単に口上が下手だった。
 バナナのたたき売りのあの軽妙な口上は、芸と言ってもいい。きっとあの人たちは、商品が何であっても売りさばく自信があるんだと思う。
 客は外国人からモノを買った体験に付加価値を見出し、同じ日本人のボクにはその付加価値がなかっただけ。
 それでも自分の取り分は、1日あたり8000円~1万円あった。ボスには申し訳ないと頭を下げたが、さほど気にする様子はなかった。

 行徳のゲストハウスで、ユダヤ人仲間にシルバアクセの事を聞いて内情がわかった。
 シンプルなデザインであれば、1000円で売っても利益は出ると言う。銀地金の相場は1グラム100円以下。それを鍛造して製品にしている。
 インド製は質が落ちるので、主にタイ製のシルバアクセを輸入しているのだと教えてくれた。
 
 原価数百円のモノが、数倍の値段で売れる。なるほど、宝飾という付加価値がつくのかと理解ができた。
 「ユダヤ人って頭いいな!」と感心すると、彼らは大笑いしていた。その内の一人が「ユダヤ人には、ダイヤモンド産業をしている者もいる」と教えてくれた。
 シルバーアクセサリーという発想は、歴史的背景があっての着眼点かもしれない。仮に在庫を抱えても銀地金という一定の価値は担保される。

 行徳で一緒に過ごしたユダヤ人は、気のいい人たちだった。男女半々の共同生活。身長は一般的な日本人と変わらない。男女共に兵役がある割に、特段マッチョな体型ではなかった。
 ただ、全員が上半身裸で室内をウロウロしていた。特に女性への目のやり場に困った。また、ユダヤ人の男たちがはだけた胸を前にしても、平然としているのも不思議だった。
 
 毎度、ボクが視線をそらしている事に気づいた女性から注意を受けた。「実は…」と心の内を伝えると「ついてるものは同じだろう」と大笑いされた。
 「お前は、おっぱいで興奮するのか?」と、変態みたいな言い方をされて「いやいや、日本人の男性は全員そうだぞ」と弁明すると、「日本の男は、おっぱいで興奮するのか?」と訝しい顔をした。

 言われてみると確かにそうだ。胸という部位は同じなのに、女性のおっぱいが性的な興奮の対象物として、いつの間にか刷り込まれていた。
 ついてるものは同じ。おっぱいで興奮しないユダヤ人男性の方が、健全な気がする。
 彼らとの共同生活でbrainwashされ、おっぱいを見ても何にも感じなくなってしまった。

 たまに「おっぱいでか!」と喜ぶ男性を羨ましく思う時がある。ボクは、何か大切なモノを失ってしまったかもしれない。

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