リストカットが先生にバレて親召喚された話

2013春の終わり頃。当時中2。
クラスで友達といじめに遭っていた。
私…C組。
夏ちゃん…A組。人見知り。
冬ちゃん…B組。ちょっと難しい子。


私たち3人はリストカット、アームカットをしていた。
当時はリストカットなんて言葉は滅多に聞かなく、リストカットなんてしている奴は本当に「ヤバイ奴」くらいの扱いだった。
今はリスカ=メンヘラみたいな風潮もあり、リスカを知らない若者いないんじゃね?くらいのモノになってきている。

それぞれ辛いことがあった。
特に私と夏ちゃんは、ドン底にいた。
生きるために切っていた。死にたい衝動をそれで抑えていた。怒りや、悲しみ、全てをそこにぶつけていた。
頭は狂っていたことは間違いない。
3人でふざけながら切っていたこともあった。
私は親に前から正直に話していて、
母親からは「やめれるようになったら、やめよう」と言ってもらえていた。
怒られない事、否定されない事、その言葉だけですごく気が楽になった。

学校では腕に絆創膏を付けていた。
毎日同じ箇所に付けている絆創膏は、正直先生にバレるのも時間の問題だと分かっていた。
でもバレてしまったら面倒だからと極力隠していた。
ある日、3人で帰る約束をしていた放課後、冬ちゃんは1人で保健室に行った。
その傷の絆創膏を貰いに行った、と待ち合わせていた夏ちゃんから聞いた。
ちょっと嫌な予感がした。
わざわざ、見せに行くようなことを……。

しばらくしても戻ってこない冬ちゃんを迎えに、保健室へ向かった。保健室から夏ちゃんの担任が出てきた。
ちょうどいいと思い、その先生に
「あの、冬ちゃんいませんか?」と聞いた
先生は「いるよ。でも当分帰れないよ。
先帰ってな。…分かるよね?」と脅しかけられたように言われた。
一瞬で悟った。
保健室。腕の傷。絆創膏。先生。
「(絶対、バレましたやん……)」
マズイ。ここは早くこの場から去った方が…冬ちゃんには申し訳ないけどここは逃げさせてもらう……
当時は夏の入りかけな頃、半袖のジャージを着ていて腕の絆創膏は丸見えだった。それをなんとか隠すために、そっと通学リュックを、ランドセルのCMの子供みたいな持ち方をした。内腕を隠しながら、「あー…分かんないです。じゃあ先帰っ……」

先生「あああああ!!!!!こっちもぉ!!!!」


おわった。


すぐに保健室に連れて行かれた。
隣にいた夏ちゃんと「(やっちまったな〜)」というニヤケ顔をして目を合わせた。

保健室に入ると、冬ちゃんはベッドの方で冬ちゃんの担任と話していた。泣いていた。
冬ちゃんは自分で泣く演技が上手いんだと豪語していたのを思い出した。
冬ちゃんは絶対こんな所では泣くような子弱い子ではないし、むしろこういう状況を楽しむ方だと分かっていた。
あれも演技だなあ、と気付いた。
実際後に聞くと演技だったと笑って話していた。

夏ちゃんも担任と話すことになった。
私の担任は会議だったのかすぐ来れないらしく、待つ間に保健室の先生に腕を消毒してもらうことになった。
冬ちゃんは「猫に引っかかれた」と絆創膏を貰いに来たらしい。しかし明らかに猫に引っかかれたような傷ではないと気付いた。あなたも今までしんどかったんでしょう、
と消毒をしながら話をされた。
私は愛想笑いをするしかなかった。
どういう顔をしていいか全く分からなかった。
辛かった思いをここで吐いてもいいのか、
それとも笑って誤魔化して過ごすか。
迷った挙句、「人前で泣きたくない」という私の無駄なプライドが勝ち、ヘラヘラしながら話を聞くことにした。

消毒をしてもらってるうちに担任が来た。
私のクラスの担任は40代くらいの男性で、専門教科は体育。
体育の先生だからと言って熱血教師といった感じではなく、落ち着いた雰囲気で、静かな先生だった。見た目は少し怖めで、絶対この人昔ヤンキーだったよな感が出ている。
私は異性が苦手ということもあり、その担任と話すのは好きではなかった。
保健室へ入ってきた先生は、持っていたペンで私の頭を軽くポン、と叩き「なにやってんだ〜」と笑った。意外だった。
怒られるかと思っていた。というかこんな状況であの物静かなイメージの先生が笑うなんてこれっぽっちも思わなかった。もしくはめちゃくちゃ深刻な顔をされるかと。笑ってくれたのは逆に気が楽になった。

担任と話をした。いつ頃やったものか、なぜやったのか、なにが辛かったのか。
記憶にあるのはこれくらい。他にも話していたと思う。覚えてない。

担任が親を呼ぶと言い出した。
でたでた、先生の必殺技、「親召喚」。
ああ、めんどくさいことになったなあと思ったがこうなることもずっと前から覚悟していた。
担任が親に電話をかけに保健室から出た
その隙に先生と話している夏ちゃん、冬ちゃんをチラッと見たが、同じく担任から色々と話をされていた。
あー、ほんとめんどくさいことになったなあー、帰りた〜なんて思っていると、保健室からラスボス・学年主任が入ってきた。


「き、来たあああああ!!!!!!!」


ラスボスの登場である。
学年主任は、40代くらいの男性、普通の教師といったところだが、キレたらヤバイ。生徒たちは皆学年主任に怒られるということだけには怯えていた。何度かキレた学年主任を見たことがあったが怒られていないこっちまでもがヒヤヒヤした。口調が荒くなり、例えるなら炎のようにカンカンと怒るよりかは、冷たく、ジリジリと攻めてくる氷のようだ。学年の複数のヤンキーたち相手に黙らせるほどの勢力を持っていた。コイツだけには逆らえない。勿論私たちも学年主任には怯えていた。

学年主任はこっちへ歩いて来た。
「(やめろ。来るな。やめてくれ…)」
そして私の目の前に座った。
「(3人いる中で私に来るんかい!!!)」
最悪だ、これはおわった。覚悟をした。

私は、ここ数ヶ月荒れ気味で何度か先生と戦っていた夏ちゃん、ブッチギリ破天荒な冬ちゃんとは違って、他人から見ればかなりの真面目だった。自分でもそうしていた。目立たないように、普通を意識して過ごしていた。そんな私がリスカなんてしていたと知って絶対に先生たちを驚かしてしまったのだろうな、なんて思った。
そして2人に比べて明らかに傷のレベルが違っていた。
例えるなら冬ちゃんが側溝、夏ちゃんは川、私は川が集まって海になりそうなほどのものだった。
私は2人が始める前からやっていて、かなりの数をやっていたし腕の広範囲に傷があった。

学年主任は怒ることなく、
笑いながら、慰めるように話をし始めた。
多分担任と話した内容と変わらなかったと思う。
死ぬほど緊張していて記憶が飛んでいる。
緊張であの「ラスボス・学年主任」が目の前で怒ることなく笑って話をしているこの状況をよく理解できていなかった。
1つだけはっきり覚えている
学年主任の顔にある傷についての話だった。
その傷は昔暴走した生徒を止めたときに出来たもの。暴走した生徒は棒のなにかを持って暴れていたらしく、学年主任はそれが当たってしまった。
笑いながら、そんな事があったんだよと話してくれた。
あはは、と愛想笑いしながら
「(これリスカと関係あるのか…?傷は消えにくいって事か…?)」と謎に思っていたことを覚えている。


担任も学年主任もだが、リスカしたことを怒ったり責めたり否定することは一切なかった。
手首、腕を切るというすでに自分を傷付けている行為を否定して感情を加速させてしまったら、次何をするか分からないからだったのだろう。
現にリスカで死にたいという欲を抑えていたのだから、それを取られてしまったらさらに危ないことをしていただろうと、自分でも思っていた。
私はそれがとても有り難かった。

少ししてまた担任が戻り、必殺技親召喚により、私の母は学校へとやって来た。
私は元々親が知っていたからダメージは少ないけど、夏ちゃんと冬ちゃんの親召喚のダメージは計り知れない。
「(頑張れよ…)」謎にエールを送った。

担任と母と3人で話をすることになった。
別室へ移動し、夕方で薄暗くなった部屋でまた同じような話をした。
細かなことは覚えてない。

ここで担任は母に切り出した、

「リスカをやめよう」

まあそうでしょうね、と思った。
自分で自分の腕を切り、傷つける行為は絶対にやめるべきなのは当然であった。
でも突然「やめよう」でやめれるものではなかった。母と約束した、「やめれるようになったらやめよう」はここでなくなった。
人見知りな私は「母との約束があって!やめれるようになったらやめるって話を…」なんてこと言えるはずもなす、突然のやめようをのむしかなかった。けど内心、「(絶対無理だね。やめませ〜ん)」なんて気楽なことを思っていた。やめれるわけなかった。

そしてずっと前から学校にお願いをしていた、別室登校の話になった。
私は友達と2人でいじめにあっていて、教室に行けなかった。朝学校へ行って、教室のあの雰囲気に耐えられず午前中のうちに早退する、それが日課になっていた。その生活が駄目だということを分かっていたし、高校受験に響くから、別室登校をしたいと話してきた。学校側は、現時点で別室登校の人数が満員状態で、空きがない。無理だと断られていた。学校に断られてしまったら、どうすることも出来なかった。いやいや教室に行き、辛さを蓄積させているだけだった。母はそれでも行けと何度も私を叱った。高校受験に響くから、と未来を見すえた母の言葉も理解していたが、先の事より今の事で精一杯だった。早退して家に帰ると母は機嫌が悪かった。何も話せなかった。私の居場所はどこにもなかった。「死にたい」が増す日々だった。

しかしリスカをしたとなったら、話は一転した。
別室登校を許可するという話になった。
このまま過ごしていたら、リスカでは済まず、自殺してしまうと分かったのだと思う。
やっと私たちがどれだけギリギリで生きていたか気付いたのだろう。
たかが腕を切っただけ。
それだけでこんなにも変わるもんなんだなと
何故か悲しくなった。
こうでもしないと分からなかったんだな、と。
私は何度も担任に辛さを訴えていたのに
言葉だけでは伝わらない、
自傷行為なら伝わるんだな、
そんなにリスカって「ヤバイもの」なのか、
そんなに状況を一瞬で変えさせるほど「迫力」あるものなのか…と考えていた。

話を終え、すっかり暗くなった頃、帰宅した。
車で母に話されたことも覚えていない。
怒られたのか、笑って話をしたのか。



その後すぐ無事に別室登校を出来ることになった。気が大分楽になったが、リスカをしていたことはこの学校の先生みんなに知れ渡っていると思ったら気まずかった。
見事に「ヤバイ奴」認定されたのだ。
その証に自分自身でも分かるくらいの腫れ物扱いをされた。
何をしても怒られない。責めるようなことは一切しない。私の調子が良くない時はまるで幼い子供のような扱いを受けた。
先生と母と約束した「もうやらない」はすぐに破った。そしてそれを繰り返し二度もバレた。

リストカットが落ち着いたのは1年後くらいだったと思う。別室登校に慣れ、精神も落ち着いた頃だった。
しかし高校生になってから、社会人になってからも数回はしてしまった。未だに悲しみや、怒りの発散方法がリストカット以外に見つからない。正直、それでも生きていれればいいと私は思っている。
当時の傷はかなり深く、今現在でも腕にしっかり残っている。
私は自分自身では傷が残っていることや見られること、それが何か聞かれることにさほど抵抗がないが、母は私以上に気にしていて、レーザーで消すことを何度か提案してきた。
確かに半袖を着て外に出れば、他人の目に入ってしまう。その傷で「いいイメージ」は持たれない。そんなことは当時から私も痛感していた。

でも私は何故かその腕に愛着さえ湧いていた。
「死にたい」と闘った証。どうにか生き抜いた証。
その傷が無ければ今の私はいない。
あの時から今までの生きた証は、あの時の私を否定するように感じてしまい、消すことはしたくないとずっと思っている。
私はあの時の傷を「間違っていた」なんて思っていない。

傍から見れば腕に傷のある「メンヘラ」なのかもしれない。
でも私はそれでも、「あの時這い上がってこれたから、今日も絶対頑張れる」、と私の左腕に勇気を貰い、毎日生きている。

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