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量産型がナンセンスだと思うのも一種のナンセンス
数年前から「量産型」という言葉を多く目にする。
ジャニヲタさんによく見られるフリルがついて淡い色の服を着る「量産型」
大学生にありがちな全身を茶色と白でまとめる「量産型」
デニムにボーダーと羽織る薄手のシャツを着ている「量産型」
などなどあげればきりがないだろう。
しかし、被るのが絶対嫌だ!私は私!誰とも被らない私を出す!などと意気込み個性的な服装にする人もいる。(イメージだと古着が好きな人とかが多い。)
しかし、それをやりすぎると自分は何が着たいのか、どうゆうものが似合うのかが分からなくなったり、自分自身へのステレオタイプに縛られてしまい「いいじゃんこの服着たい!」と思っても周りの子の服と似ていて素直に着られなくなるという危険も潜んでいると思う。(何故ならこれは私の経験談だから。)
このような事があり、私は量産型について批判をしたりするのは違うと思った。
量産型の服装はみんなに受けいれられやすい、好感度が高いから量産になっているのであるから。失敗も少ないし安全だろう。
しかも店側も売れると分かっているので多く置いており安価で購入することが出来る。(だから私は量産型大学生が出来てしまうのは自然の摂理のようなものでもあるよなと思ってしまう…。)
個性的な服は周りと差をつけることができる、注目度が上がるなどの面もありつつ色使いが難しいなど大変な事も多い。
つまり言いたいことは、
自分自身が素直にそのときに着たい!とか欲しい!とか思った服を着続けることがその人の個性を突き詰めるのことになると思うから、量産型になるとか、ひとりだけ浮いちゃうとか、周りの目を気にしないで服装くらい好きにしようよということだ。
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