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ファンレター

人生を終わらせるに辺りやっておきたい事を考えたら、自分の素直な気持ちを残すことしか思い浮かびませんでした。
21年生きてきたものの、ネットにしろリアルにしろ素直さとは程遠い人生を送ってきたので、最後くらいは混じり気なく自分自身の本心を書いておきたいという思いなんですが、私の知人もしくは知人未満の彼彼女等が見たら卒倒しそうだなと思うくらい珍しいです。自分で言うのもなんですが。

チラシの裏、もといTwitterにでも書いてろよという内容なんですが、現在自分はありとあらゆるSNS出禁の身分で呟くことも閲覧する事も不可のため、残された手段であるnoteを使いました。というか多分これもアウトです。書くんですけどね。はい。

時間が許す限り残せるものは残したいけど、次があるのか分からない、だから差し当たって直近で一番書きたかったことを書きます。元々noteに載せる予定の
記事だったから丁度いいし。

時計の針を4ヶ月ほど巻き戻して、私がまだ元気にTwitterをやっていた頃のことです。マシュマロという機能で私宛に届いた手紙なんですが、中身を要約すると
「ずっと推していた人が炎上して推しというものが何か分からなくなった。あなたにとって推しってなんですか?あなたの推しの話を聞かせて欲しい」というもの。

私は好きなものも好きなクリエイターも沢山居るし、推しって言葉1つとっても個々様々、色々あると思うんだけど、この時頭に浮かんだのはたったの一人だけでした。話すならこの人の事以外ないなと思った。
その人は、私が本当の本当にどん底で、何もかもがMAXで詰みのように感じられた死にかけの自分に楽しいことを教えてくれて、面白いことを共有してくれて、心をすくい上げる言葉をくれて、最終的には命まで救ってしまったすごい人です。盛りすぎではって思うでしょ???ほんとなんだなぁこれが。
正しく人生のサビ。
今からその大好きな人についてお話するね。
長くなりますが最後まで読んで貰えたら私は本当に本当に嬉しいです。


推しの存在を認識したのは数年前の7月だったと記憶している。
元々相互がフォローしていた関係で彼女のツイートがちらほらTLに流れてきていたので存在は知っていました。推しのアイコンが中々に強烈だったから、多分それで覚えていたんだと思う。

ある時TwitterのTLに流れてきたマシュマロの返答が何故かバズっていて、それを見て色々と行き詰っていた私は久々に大爆笑し、後々推しとなる彼女を特に深いことも考えずその場の勢いでフォローした。出会い編、おわり。
出会い編というか物理的には出会ってすらなかったわ。ただこっちが一方的に認識してるだけだったわ。
でも私にとっては大切な思い出です!!!!!
なんか危ないファンみたいな言い分だなあこれ。


幼少期、文房具と聞けばやにわに飛びつく習性があったため、彼女が時折Twitterにのせるお手製のノートデコや買ったシールのお披露目をとても楽しみにしていました。すごく懐かしかった。

投稿されるツイートはいつも凄く面白かった。
彼女が持つ独特な言葉ぢからに憧れたし、二次も含め、この人には創作の才があるなぁと毎日思った。心が折れそうになる度にそれらを見に行った。通知まで入れた。それらは確かに私が生きる助けになってくれました。

ここで少しだけ自分の話をさせて貰うんですが、私は数年前まで作家を目指していました。まだ自分が10代の時の話です。
それで食べていくつもりですらあって、なんなら専門学校にも通ったけどまあぶっちゃけ全く上手く行かなかったです!!!ワハハ!!!!!!!

結論を言うと折れました、心。
スランプも相まってある日突然全部無理になりました。
ものを書くしか出来ない自分からそれをとった時の、何も書けなくなった時の絶望は今でも忘れない。
その後死のうと決意するまでにさして時間はかからなかったように思う。

でも結果的に私は延命して、そしてそのおかげで今こうして文章をかいています。それは彼女のTwitterの通知と、noteの存在のおかげ。
入水を試みようと思って遺書を残してる間に本当に偶然彼女のTwitterの通知が来て、それで何となく、そういえばこの人は何者だったのかなぁって検索かけてヒットしたnoteを何の気なしに読み始めた。
30分後、泣きました。わんわん泣いた。もう人生レベルの大号泣。
はじめてただただ純粋に心をすくい上げて貰った気がした。
彼女がnoteのその記事で
「死にたくなった時にしなきゃいけないのは、死ぬ以外の全てをまずするだと思ってる」と言っていて、これは今でも強く心に刻みつけています。座右の銘と言ってもいい。作家になれない自分にはなんの価値も無いと思っていたけれど、それは一旦脇に退けて、そういえばあの小説まだ読み切ってないなとか、あのケーキ1度でいいから食べてみたかったとか、コメダ行ってみたかったとか。小さなものも大きなものも、今まで思い至らなかったのが不思議なくらい、やりたかったことは近くに沢山溢れていました。
「死んだら観れなくなる、読めなくなるものばかりだから感想や感じたことを残してからでも別に遅くない」
そうか、小説でなくても書けるものはあるのかと。
すとんと心に落ちてきた。腑に落ちるみたいなあの感覚を多分は僕は一生忘れないよ。
彼女がいなければ死んでたから。ほぼ間違いなく。
その日から彼女はずっと、大切で大好きな私の推し。

人生に行き詰まった自分が延命してまず最初にやったことは推し活でした。とりあえず推しのやってる事、見てるもの、片っ端から自分も手にして口にして目に映した。
いいのかよファンレターでここまで暴露して。クソデカ感情にしても限度があるだろ。
勿論現実はずっと厳しくて、それからもあいも変わらず何度も何度も何っ度も死にたくなりました。だけど、彼女のnoteで救ってもらえたことをなかった事にしたくなくて、無駄にしたくなくて、その気持ちをバネにして今の今まで生きて来れました。3年も。
延命処置にしては十分すぎる程ではないでしょうか。


改めまして、私の最推しである柔らか仕上げのフクダウニーさんへ

初めまして!!!ダウニーさんを、年単位でずっとずっと推してます!!!
ちなみにいま!めっちゃくちゃ緊張して手は冷たい上何故か足が震えてます!!アイドルになった気分!!!!!推してる側なのに!

思えばはじめてダウニーさんのことを知ったあの日、まさか自分がnoteでダウさんに長文をしたためた挙句それを見てくださいマロを送ることになるとは夢にも思っていませんでした。
自分が誰かにこんなにも心をすくい上げられて、救われて、支えられて、喜んで、楽しんで、生きていけるとは全く思ってもいなかったので本当に本当に嬉しかったです。
私はダウニーさんの友達でも、まして家族でもありません。Twitterのあなたしか知らないです。
だけど、だけど自分はダウニーさんのトップヲタであるという自信だけ誰よりもあります!!!
そこだけは誰にも譲らねぇ!!!!!!!!!!!
の気持ちでいます。昨日も今日も明日も明後日もずっとずっとそれだけは変わりません。

今日も生きていてくれてありがとうございます。私の事、心、気持ち、
今まで沢山沢山すくいあげてくれてありがとうございました。
何度も、何度も何度も壊れそうになったけど、でも生きてこれました。
生きて、あなたにお礼を言えた。それだけで、あの時終わらせなくて良かったなって心の底から思えるよ。

だいぶ遅くなりましたがお誕生日おめでとうございます。
大好きなあなたが、これからも笑って生きていけますように!

ありあより

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