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正解はどこにある?

「自分が勝手につくりあげた相手の想像する私像」

で自分を制限してしまうことって
よくあると思う。

わたしはまさにその
「自分が勝手につくりあげた相手の想像する私像」
によって自分を縛り付けて、身動きを取れなくしてしまっていた。

何をするにもまずは、
変じゃないかなって周りを伺って、
これは私のイメージじゃないかもしれないとか、
馬鹿にされたり否定するされるのが怖いから
やめといた方がいいかな、とか
外側に正解を探してぐるぐる彷徨ってた感じ

だけど、
もし “私” に正解があるとするのならば、
それは誰かの中にあるはずはなく、
この私の中にあるはず。

そりゃそうだ。

本当の答えはすぐ近くにあるのに、私はよそ見ばかりしてたみたいだ。

誰かが許してくれたら、自分の本音を聞いてあげられるの?
誰かが受け入れてくれたら、素直な自分になれるの?

そうじゃないよね。


どんな私でも大丈夫。
かっこよくなくても大丈夫。
かわいくなくても大丈夫。
うまくできなくても大丈夫。

そうやって一番に自分自身が自分に許してあげること。

自分が自分にok!て言って解放してあげたら
それでいい。それだけのことだった。

自分の好きなところも、
あまり好きじゃないところも、
恥ずかしいところも、
おかしなところも、
素直に出していく。

ドキドキソワソワするかもしれないけど、
していいから出していく。


いつも自分に制限をかけてるのは自分。
自分の思考。
同時に、自分を解放してあげられるのも
自分でしかない。

誰かからの許可や承認を待たなくていいから、
もっと自分を素直に表現することを
許可してあげてみよう。

それができたら、その結果がどうであれ、
できた自分を誇り思えるはず。
そしてその経験は、誰かからの承認よりもずっと
自分に自信を与えてくれるものになる。


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