見出し画像

ダブり〜新学期〜

キーンコーンカーンコーン♪          

キーンコーンカーンコーン♪


何かの始まりを告げるチャイムが鳴る。


春はあけぼの・・・


Yo Yo 俺は東京生まれっ!
ではない。
HipHop育ちっ!
でもない。
悪そうな奴はだいたい友達。
なのかもしれない。

なんて事はどうだっていい。

So!!
思春期も早々にっ それにゾッコンにっ

てな歌があったような無かったような。


そんな夢を見ていた。

遠くから俺を呼ぶ声がする。

「コニシくん」               「コ〜ニ〜シ〜く〜っ」           

「おいっ!! コニシユウっ!!」


とにかく
「春眠暁を覚えず」って事は間違いない。

机の上で腕を枕代わりに眠っていた。

その声に目が覚めた俺は眠たい目を擦りながら
顔をあげ見上げると

そこには、ビシッ!と
黒のスカートスーツに白いシャツで
バッチリメイクでキメた担任のモトキタが
俺を呼んでた。

「おっすっ、いや、はい」

モトキタは
「おっす!じゃないっ
       出席とるよっ、コニシユウ」

俺はまだ眠たい目を擦りながら気怠るそうに
「ふぁ〜い」
とあくび混じりに返事をした。


モトキタは大人の色気を感じさせる振舞い笑顔で俺を見て、
ニコッと笑い出席を取り続けた。

布団で寝るのとは違い机で寝るのは足が痺れる。

桜が散り舞う窓の外をみながら希望に満ちた
まだアカ抜けないクラスメイト達の返事を
BGMに俺は思った。

「この光景を見るのはもう何度目になるのか?」


So俺は、「ダブり」だ。

◎【ダブり】【ダブる】とは
「留年」「落第」の事で正式名称は
「原級留置(げんきゅうりゅうち)」
学校に在籍している児童•生徒•学生(在学生)が、
何らかの理由で進級しない(できない)で同じ学年を繰り返して履修すること。


しかも2回も……。


決して韻も糞も踏んでない。
俺は俗に言う「2ダブ」ってやつだ。

もう恥ずかしいを通り越して情けない。
むしろ開き直って逆に凄くないかっ!?
凄いよな?やっぱり凄い!?
なんせ卒業式には20歳(ハタチ)だ!

いや、いや、あり得ないだろ!?
成人して2年だぜ!

そんなのマンガでもあったか?

待てよ・・

ってか!今年成人だぜ!?
誰が18歳(エイティーン)を成人にしたんだ!?
何の為に?
20歳(ハタチ)のままで良くねぇ?

車の免許とれんじゃんっ!
「夏休みにでも行こうか?」
いや、それは正規に進級してても取れる。


ただただ窓の外を見つめる事しか出来なかった。

まぁいい。
起こってしまった事は仕方のない。

だから、足の痺れが引くまでの間、

こんなどうしようもない俺の話を少しだけ
聞いて欲しい。


俺は、コニシ家の長男として
母ヨシエ
父イツオ間に
生を授かったが流石にジャーに無敵のマイクは
授かる事は無かった。

どうやら少し複雑な感じだったようで
ヨシエとイツオは籍を入れておらず俺は
ヨシエの旧姓で
「イカワ ユウ」
として物心がつくまで育てられていた。

当時、2人は何故籍を入れていなかったのかは
知らないが、2人にも色々あったのだろう。

そして俺が4歳の時に弟が出来た事をキッカケに
ヨシエとイツオが籍を入れイツオの姓になり
「コニシ ユウ」
として順調に育てられていた。

何故?このタイミングで籍を入れたのかは
気になる所だが、2人にも色々あったのだろう。

自分で言うのもアレだけど、
良く女の子に間違われる程のルックスだった様で
近所でもチヤホヤされて評判だったらしい。
お世辞にも裕福な家庭とは言えないが、
それなりに幸せだった記憶が今も残っている。

それから、保育園を経て小学校へ

小学校3年の時に俺の親友達に出会った事を
キッカケに少しずつだが歯車が狂い始めた気が
して仕方ない。

その親友達の事はまた次の機会に話するよ。
だけど私生活では妹が生まれて充実はしていた。

それから中学に入り
親友達とは連むグループが違ったのだが
唯一「オカウエ ゴウ」
こいつとはずっと一緒だった。
中学でゴウは俗に言うヤンチャ者になり喧嘩に
明け暮れる日々だった。

俺は痛いのは嫌いだ。

ただ最強過ぎるゴウの友達と言うだけでそこそこ
名前も売れたが決していい事ばかりではない。

ゴウのせいで大勢に絡まれ痛い目にもあったが
必ずゴウは助けてくれた。

俺は、そんなゴウが大好きだ。

そんな俺だったが中学2年の時に凄く感動した。

それは、ギターとの出会い。

近所のおっちゃんが引っ越しをするって事で
「ゴミになるから、これやるよ」
と言ってくれたのだ。
もともと音楽には興味があったので
俺はそのギターをもらった。
「はじめてのギター」って本を買って必死に練習した。

ハマった。

ハマりまくった。

ただモテたいと言う不埒な気持ちが
優っていたが、テレビに出てくる
ミュージシャンに憧れていたからだ。

いや訂正する。

やっぱりモテたい。
ただそれだけだ。

俺は、少し疎遠になっていた親友達に声をかけて
バンドを組む事にしたのだ。

もし、あの時ギターでは無く
【麦わら帽子】だったら俺は間違いなく海へ出ていたかもしれない。

半ば強引にバンドを組んだ俺たち。
そんなこんなで楽しい時間は過ぎるのが早く、
あっという間に中学3年。

So!受験だ。
バンドのメンバーで同じ高校へ行って
軽音楽部(けいおん)に入って楽しい
高校生LIFEを!
って思っていたのだが俺は甘かった。

今まで全く勉強とは無縁だった俺が行く学校は
もう選べなかったのだ。

まさに痛恨のミスだ。

アルファベットなんて【C】からしか刻まない。

だけど、
ロックの神様は俺を見捨ててなかった。

と、言うのも我が国は少子化で受験生が少なく
落ちるのはなんと2人だったから。

そんな俺に希望を与えたのは2人のうち
1人はゴウ。

そして、ここにもう1人。

そこの金髪の奴だった。

それと・・・
そこの鼻ピアスの奴と・・
あっ、ピンク色の髪の奴も・・
あと・・・他にも色々と。

こんな奴等がここに居る事で確実に俺は受かると確信した。

そして、俺は晴れて高校生になった。

残念だが軽音楽部には入らず学校外でバンドを
続ける事にした。
言うなら「帰宅部」ってやつだ。

なぜなら、メンバー達とは違う学校だからだ。

唯一同じ中学の奴はゴウだけだった。

あのゴウは奇跡的に受かっていたのだ。

やっぱり金髪の姿は無かったが、
鼻ピアスとhide(ピンクの髪)の奴はここに居た。

後1人は、どんな奴なのか?
今になってもわからない謎のままだ。

今思えば2人くらい入学させてやっても
良かったんじゃないのか?と思う。

1年生の時、俺とゴウはクラスが別れた。

お陰様でクラスメイトにも恵まれて
それなりに楽しい高校生活を送っていた。

それと同様にゴウはゴウなりにグループをつくり相変わらず楽しくやっていた。

でも、そんなルーキーを良く思わない奴等が
この学校にはいたのだ。

この話はまた次の機会に話す事にするよ。

そして、月日が経ち事件は起きた。

出席日数が足りない。

義務教育とは違い、高校にはそんな制度が
あるなんて噂では聞いていたが
まさか自分がそんな事になるとは夢にも思って
いなかった。

俺はバンド活動に夢中になり学校を疎かにして
しまったのだ。

痛恨のミス。
その代償として俺はダブってしまった。

そして2回目の1年生。

隣のクラスにはやっぱりゴウもいた。
それだけが唯一の救いだった。

俺は、年上って事もあり
1コ下にもモテて悪い気はしなかった。

俺もバカじゃない。

この1年は毎日学校へ行った。

でも俺はバカだった。

なんせ今まで勉強とは縁がなかった俺が
テストで点数が取れるわけないだろう!?

(欠点)赤点にてダブってしまったのだ。

高校とはそんな甘い場所ではないのだ。
出席日数、提出物による日常点
そして学期毎に2回あるテストの点数
この3つが揃い初めて進級する事が出来るのだ。

そして今、まさに3回目の1年生(2ダブ)

だがこのフロアーにゴウの姿は無かった。

進級出来ずに辞めたのか?とも思いたいのだが、

あのゴウは奇跡的に進級していたのだ。

またしてもミス。

俺はゴウより馬鹿だったのか?と思うと
もう地元で歩く事なんて出来ない。
もう一層の事辞めて働こうとも思ったのだが

「このご時世高校だけは出ろ!」
「学校も続かない奴が仕事なんて絶対に続かん」ヨシエとイツオが言ってくれた事や

バンドのメンバー達も俺に
「絶対にその方がいい高校だけは出ろ」と
やめるな的な事を強く言ってくれた。

そしてゴウも
「先に進級してお前に色々教えてやる」

恥ずかしさは半端なかったがかなり嬉しかった。

そんな感じで俺は、3回目の1年生(2ダブ)に
なったって訳だ。

「今年こそは必ず進級するぞっ!!」って
話なら別に話す必要もないが

ここまで印象的で長い1年は今まで無かった。

段々と足の痺れも治った。

だから今から

俺の「ダブり」を話す事にする。

              1限目Aにつづく



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?