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憧れと、これから

2021年1月1日から、3年日記を書いている。

これは、1ページが縦に三段に分かれており、書き終えた際には同じ日付の三年分を一度に見ることができるものだ。


2020年12月に祖母が他界し、祖母の遺品整理をしているうちに、既に10年以上前に他界していた祖父の日記を数冊見つけたことがきっかけだった。

祖父は太平洋戦争を大学生の時に迎えたが、大学受験から終戦直後までの生々しい記録と、祖父が私の知らない「青年」として過ごした記録が混在していて、とてもおもしろかった。


なかでも最も心に残っているのは、原爆が落ちた際の受け止め方だった。祖父は九州の大学生としてそのとてつもないニュースを知った。


まず、広島で何やら起きたということが、8/7-8に書いてあり、ついで長崎でも何か起きたと8/10以降に記載があった。

ニュースがその日のうちに届かなかった、あるいは日記など書いている暇などなかったのかもしれず、やはり祖父にとって原爆投下は衝撃的だったようだ。

広島と長崎に挟まれた福岡にいた祖父は、人の移動や現場の把握について記録を取っており自分の考えなども記した上で、しかし敢えて多くを述べないまま終戦を迎えている。


わたしは、教科書やせめて資料館でしか感じてこなかった「戦争」というものを、はじめて肌で感じた。


祖父は私が7歳の時に亡くなっており、戦争の話をすることもなく、ただ優しく賢く立派な祖父だったということだけがわたしの記憶の中にあるが、このような壮絶な体験をしてきたことを何十年も大切に残してきたんだと知った時、わたしも日記を書いてみたいと、そう思った。


ちょうど2021年が間近に迫っていたので日記売り場は盛況で、その中でも見た目がかわいく、1日の分量がプレッシャーにならない程度のものを探していた。そこで、3年日記に出会ったのである。

さすがに重たいので、帰省や旅行の時は連れて行けず、携帯のメモ機能に書いておくことにしているが、それ以外は基本的に忘れないうちに書いてきた。


その時買った日記は、2021年1月から2023年12月で、完結している。


やりきったという思いが強かった。大学生活で一番頑張ったことは、日記を書くことかもしれない。それくらい、習慣にして続けていった。


2024年1月からは、新たな3年日記を購入し、いま2ヶ月目を無事進行している。


最近、日記を書いておられる入院患者さんを受け持った。わたし自身と重ね合わせ、わたしもいつか入院したら、忘れずに日記を持ち込もうと決めた。

特に、過去のものも持ち込めたら良い。

過去の自分が何を体験し、何を思い、何に向かって努力しているのかを読むのはきっと楽しい。記録として見返すこともたまにあるが、ただの読み物として、絶対いい時間を過ごせる。

いまのわたしは、わたしが好きだった人たちのことを覚えているけれど、いつかは忘れてしまうかもしれない。でも、忘れたくない。暫く会わない間に、自分の人生の中ですれ違わなかったかのように扱われてしまうのが、もったいないように思う。

せめて、日記に出てくるような関係性の人たちのことは覚えていたい。文字を読んだら、エピソードを振り返ったら、懐かしく、温かく、まるい気持ちになりたい。わたしのことを色々な立場で成長させてくれたあらゆる方々を、胸に抱きしめて生きていきたい。

そのために、日記を書いているような気もする。


わたしは、日記を書いているうちに、自分が積み重なっていく感覚を得た。毎日なんとなく生きていくのではなく、一日ずつわたしが意味を持って過ごしているのがわたしはとてもすきだ。

誰にも話せない話も、日記になら素直に書ける。正直、2020年のわたしの1年間は激動で、それを形として残しておけなかったのはとても悔やまれるのだが、2021年からも葛藤や喜びなど、いろいろな感情を抱えて生きていたから、日記を始めてよかったなと思っている。



かつて部活の後輩に日記を書いているという話をしたら、「影響されてわたしも始めました」と昨年言われ、とてもうれしかった。


3年日記は一日にかける量が限られているので、たくさん思うところがある日は大変なのだが、だんだんまとめる力がつくし、仕方なければ付箋や後ろのページなどを有効活用して大量に書いたりもする。


日記を書いて得られた「良い経験」などないが、わたしは自分を見つめられるツールとしてこれからも、日記を書いていけたらなとそっと思う。

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