伝わる温度に願いを込めて。

最後の燃料が尽きた音がした。動力がなくなったこの小さい舟で私に残された時間はどれくらいだろう。
サクラはゆっくりと視線を動かし、自分の座る椅子のすぐ隣に立つトキをそっと見上げた。いつも通りサクラの方を真っ直ぐに見ていたトキとあっさりと目が合う。サクラが見ていようと見ていなかろうと、トキは常にサクラに視線を向けている。そのことが悲しかったときもあったけれど、今は悪くないというよりもむしろ嬉しいと感じる自分の身勝手さが可笑しくて、サクラは思わず笑みをこぼした。
「サクラ、何を笑ったのですか。現状、笑える要因は一つも観測されません。」
「思い出し笑い。トキの観測範囲外だから気にしないでいいよ」
「‥可能であれば、何を思い出したのか教えてください。もし、私も笑えるようなことであればですが。」
一瞬の躊躇い、少しだけ首を傾けて伺うようにこちらを見つめる視線、言い訳めいた付け足しの言葉。その全てからトキの存在を感じ、サクラは自分の決断が間違っていなかったという確信を深めた。
「ごめん、具体的には内緒。簡単に言うと、トキと一緒に乗り込んだ私は間違ってなかったなぁ、ってこと。むしろ天才的決断だったと思う。」
トキはほんの一瞬視線を足下に落とし、しかし、と言った。
「しかし、このような任務にサクラひとりで挑ませたということ自体、私は最初から納得できていません」
トキはサクラが身を預けている椅子の目の前にあるモニタに手を伸ばし、いくつかの数値を確認しながら首を左右に小さく振った。
「こんな状況になれば尚更です。サクラひとりで臨めばこうなることは予測されていたはずです。」
「ひとりじゃない。ここには私とトキがいる。」
「私はアンドロイドです。現行の法制度において、私はひとりとは数えません。備品のひとつであり、自立型であるため舟内への持ち込みの際に特別な許可証が必要にはなりますが、区分上、備品リストの一つに過ぎません。」
「私の認識の上では、ここには私とトキのふたりがいる。」
サクラは出来るだけいつも通りの声が出ているように祈りながら、出発前から何度も繰り返されてきた平行線の会話に付き合うことにした。目の前のメインモニタ上を目まぐるしく動き回るトキの右手を見ながら、サクラは自分の思考が徐々にゆっくりになっているのを感じた。寒い。とにかく寒い。サクラにとっては不本意なことだが、確かにアンドロイドであるトキは乗員数には数えられない。しかし、物理的なスペースとしては1人分が必要なのは紛れもない事実である。つまり、サクラが新航路の発見のために上司から支給されたこの船は、サイズとしては2人乗りのものだった。そのおかげで、船内の動力が切れても、意外に酸素濃度はしばらく持ちそうだと思っていたが、宇宙空間に電源切れで漂う内に想定外の速度で船内の気温が低下してきていた。寒いと眠くなるのって本当だったのね。サクラの口数が減ってきたことに気がついたのか、トキがいつもより少し早い動作でサクラの座る椅子を回し、正面からサクラの全身をその視界に捉えるようにした。
「勝手に全身スキャンしないでって言ってあったよね」
「緊急事態です。マスタの命令より生命維持が優先されます。体温が低い。眠らないようにしてください。」
「無理。寒くて眠い。」
「サクラ、お願いです。起きていてください。今何とかします。」
サクラはトキのその言葉を聞いて、こんな事態なのに顔が赤くなるような照れ臭い幸せを感じた。お願い、とか、何とかする、とか。
「やっぱり、トキとふたりでいられて本当によかった」
体がやたらと重たく感じる中、サクラは視線を正面から右側に動かす。モニターに表示されている現実は、もう打つ手が何もないことだけを示していた。サクラが、そうだろうなぁと最早穏やかになった気持ちで正面に視線を戻すと、対照的にまるでその現実を受け入れられないとでもいうように必死で活路を探すトキの横顔が見えた。トキはサクラのサポートアンドロイドだ。職業選択の際に国から1台支給される、普通に税金を納めている大人であれば普通に持っているただのアンドロイドのはずだった。そのプログラム上、常にトキはサクラを見守り(もしくは監視し)、サクラからの指示がない限りは、常にそのデータを政府が管理するデータベースに送り続けるはずであり、つまりサクラの指示を受けていない状況のトキの横顔を見ることなど、ほとんどあり得ないことなのだ。この横顔が見られれば十分だと、サクラは心から思った。ほら、電気信号だけの思考でも、経験や関係や時間が積み重なれば、そこには自由な意志や思い入れが生まれてくるんだ。サクラはどうしても伝えたい言葉と気持ちでいっぱいになるのを感じて、トキ、と名前を呼んだ。

トキ。サクラの声の、自身に与えられた識別音を認識し、トキはモニタからサクラに視線を移した。トキは自身の故障の可能性を感じ、メモリをスキャンする。現在、サクラから船の修理の指令は出ておらず、確認するまでもなくこの船はもう壊れきっていて、トキには修理は不可能。どちらにせよ、この状況ではサクラからの指令よりも生命維持を優先するという認識が、ロボット3原則に則って作製されたトキの行動に重み付けをしているため、もう出来ることが何もない以上、サクラの監視をおこないデータを送り続けることが最適であり、先ほどまでの変化のないモニタを分析し続けていた自己の行動は明らかに不適切だった。そういった自己レポートとは裏腹に、トキはサクラの頬に手を伸ばし触る。冷たい。
「サクラ、体温が下がっています。どこか動かせますか?筋肉を動かして熱を維持しましょう。船内の気温を上げるのは難しいのですが、まだ大丈夫です。」
「トキ。最初の日と逆になったね。」
会話にならない返答を聞いた瞬間、トキは目線以外動かしてくれないサクラの手首を掴み、信じられないくらい力を感じないその腕を無理にでも動かしてみることにした。同時にその言葉をメモリと照合する。初めてサクラと会った時、サクラはトキと握手をしながら、冷たい手だね、と言った。
「アンドロイドなので、ヒトとは違い低温には強く、むしろ機械熱の方がリスクがあります。異常が生じないよう冷却装置も搭載しています。」
「そっかぁ。外から暖まるのも良くないのかな」
「ヒトが生活可能な範囲内での気温上昇および暖房器具の使用程度では支障がないようになっています。前述した冷却装置で内部温度を維持します。」
サクラは、なるほどぉ、と言いながら、自分の両手でトキの右手を包み込んだ。
「指先がちょっとあたたかくなるくらいなら、貴方の負担にはならないかしら」
「指先には重要な機械はありませんが、外気温および接触物の温度を感知するセンサを搭載しています。指先が温まると全身の温度調整の優先順位が上がり、必要に応じて冷却装置の稼働率の変更および基礎動力の機能制限をおこないます。」
「つまり指先が少し温まる程度なら、温度感知の作業量が少し増える程度でそれほど負担はかからないってことであってるかしら」
「正しい認識です」
「じゃあ少しこのままで待ってて」
「かしこまりました」
トキは現在の周辺環境が最も安全と判断される状況であることと、自身のマスタからの初の指示であることを加味し、少しとは具体的にどの程度の時間を指すのか質問するのを自制した。もとより、平時はマスタの行動をあらゆる点で監視し、そのデータを政府のデータベースに送り続けることがトキたちサポートアンドロイドに課せられた優先業務であるため、マスタが視界に入っている位置関係での待機指示はトキにとってはなんの問題もない。
「だいたい同じくらいの温度になってきた感じがしてきた」
数分後(必要のない正確さはマスタとの関係に支障をきたすケースがあるため、トキたちには曖昧さの許容も搭載されている)、トキの右手を両手で包み込んだままで言ったサクラの言葉を自身への指示だと判断し、トキは自分の右手とサクラの体温を測定してみた。
「私の右手と貴女の体温は現在共におよそ36.5℃となっており、貴方の感覚は正しいと言えます」
「ああ、じゃあやっぱり‥」
あの時、その続きの言葉を認識した瞬間、トキは自身の電流のノイズを検知していた。そのノイズはその後もある程度の頻度で起こり、徐々にそのノイズの痕跡が蓄積してきていることも無論把握はしていたが、トキは意図的に自身の機能活動に関するレポートから削除し続けた。取り除く必要がない、と分析するまでもなく結論付けていた。
「サクラが以前言っていたことは正しいです。」
トキは今目の前でどんどん体温が下がっていくサクラに手を伸ばし、出来るだけ接触面積が増えるように抱きかかえる。
「アンドロイドとヒトでも、熱は伝導します」
トキは自身の安全ロックに関わるプログラムにアクセスし、冷却装置のスイッチを切る。
「あの時サクラが言った、熱と一緒に想いや意志も伝導するという仮説、あれから数年観測した結論として肯定する材料が十分に集まっているとは言えませんが、私も私の意志で今この瞬間から支持することにします」
冷却装置を切った影響か、トキは自身の思考を司る回路が普段と違う速度とルートで動くのを感じ、同時に内部温度が急激に上昇していくのを感知した。さらに自身の外皮の温度は狙い通りに上昇していく。トキはサクラを抱える自身の腕に力を込めた。伝われ伝われ伝われ。
急激に上がっていく自身の熱で何かが焼き切れてバラけていく思考回路の中、トキはサクラの肌が少し温かくなってきたように感じ、安堵ととも全身にさらに力を込めた。


BGM  【きみとシンギュラリティ】 超特急
超特急さんの新譜『宇宙ドライブ』の収録曲、きみとシンギュラリティ、で歌われる、確かな意志を持った愛のある選択が美しくて冷たくて温かくて大好きです。見えないけど確かに引かれた境界線を超えて、自分が大切にしたい大好きな存在と向き合える在り方に勇気をもらいました。SFとは言えないかもしれませんが、CDタイトルにも縁を感じる宇宙を舞台にして、大切な気持ちを拙い物語に込めて。

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