体温を聴く

ラジオから流れてくる歌声に涙が止まらなくなった。

電車の中なのになぁ、と思う。電車の中で泣いてしまうのはいつぶりだろう。9年前のあの頃以来なのではないだろうか。

バッグからハンドタオルを取り出しながら周囲をそっと伺う。ひとつ空けた隣の席に座っている男性も、通路の向こう側に座る女性も自分のスマートフォンを見ながらうとうとしており、電車の中で涙を流す私に気がついている様子はなくホッとする。あの頃と違い閑散としている夜の電車では、近くにいるのはその2人だけだった。マスクの中で少しだけ深く呼吸をして気持ちを落ち着ける。久しぶりの残業と真冬の空気で冷え切った体が、妙な熱を持っている感じがする。配信リリースに先行しラジオで初解禁されると知り、今日一日この曲を聴けるのを本当に楽しみにしていた。体温、というタイトルから温かくなるような楽曲をなんとなく想像していたけれど、こうくるとはなぁ。ラジオアプリを巻き戻し、もう一度聴く。心の準備をしていても、あっという間にその歌声に呑み込まれる。諦めてその歌声に身を任せることにすると、頭の中に想い出が、心の中に愛おしさと喪失感の感情が溢れて、またしても涙が滲む。

いつも隣にいた彼。今でも隣にいるような気がしている彼。私が思い続ける限り、私があの人を失うことは絶対にない。そして、もう二度と会えなかろうと私の人生で一番大切なのはあの人だということは疑う余地もない。だから私は彼との2年半を繰り返し思い出す。でもたまに、恐怖で身が竦む。今はまだ全然問題ないけれど、時間が経って思い出せないことができたらどうしよう。むしろもうすでに思い出せていないことがあったらどうしよう。最近になってその恐怖はどんどん強くなり、体全部が冷たい石になって一歩も動けずずぶずぶと沈み込んでいくような気持ちに囚われることが増えてきていた。自分相手にですら、こんなことあったね、あんなことあったねと、言葉にしないといけないような気がして、そうでないとポロポロと取りこぼしてしまう気がして。

でも、そういうことじゃないのかもしれない。

あの人のことを考える。特別、この時何があったから嬉しかった、とかそういうことではなく。ただ、シンプルに考える。彼の背中、肩に置かれた手の重み、笑い声、少し体温の高い手のひら、笑顔、真剣な顔の横顔、大好きな漫画の話をするときの声、一緒に食べたご飯、並んで歩くコンビニまでの道。言葉で並べると何でもないことばかり。でも確実に全身で感じていた彼の温かさ。何があったというエピソードではなく、私の隣にいつもあり、私の中に今でも残るその温かさそのものこそが何よりも確かなものなのかもしれない。

冷たく強張っていたものが、徐々に熱を帯びながら解けて、大切なひとの温かさそのものに手が届いたような気がした。

♬ずっと離さない 君宛ての想い どれだけの時が過ぎたって

♬ガラクタだった日々 意味をくれた君を 決してなくさないように ぎゅっと握って

体温 / 松尾太陽


体温を初めて聴いた時、本当に心の在り方が変わったかのような衝撃を受けて涙が止まらなくなりました。

その気持ちを、拙い物語に込めて。

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