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シー・ユー・アゲイン【chapter50】*

こんな声だっただろうか。

この声を聞くことは二度とないだろうと思っていた。そしてそれと同じくらいこの声を聞きたいと思っていた。一度だけ、もう一度だけでいいソノコの声を聞きたかった。リョウくんと名前を呼んで欲しかった。

自分の名前はこんなにも甘い響きだっただろうか。

その声を聞き、今の自分の気持ちを表す言葉は自分の中にも、そして世界中の辞書の中を探しても見つからないだろうと思う。ソノコの声が左耳から全身に、頭のてっぺんから足の指の先まで染み渡る。

返事はおろか、今自分が携帯を耳に当てていることさえも忘れ、リョウは過去の記憶をさかのぼる。しかしそれは、よく考えてみれば大げさに過去と言うほど大昔の話ではない。タカシがいなくなってからのたった数ヶ月。

けれど今ソノコの声を聞き自分はその数ヵ月を、とてつもなく長く感じていたことに気づく。もう二度と聞くことは出来ないかもしれないと心の片隅で確信し消えなかった。

「今日、タカシくんのお誕生日で」

ソノコが小さな声でささやく

「あぁ」

「タカシくんにあげてもらおうかなと思って。ケーキ。ごめんね連絡もしないで突然。どうしようか迷ったんだけど…やっぱりどうしても…」

伝えたいことがあるのに言葉は見つからないまま、リョウは携帯を耳に押しつけ黙る。

続く沈黙は自分が不快感を与えたせいなのだと認識したソノコは、最初から小さかった声を更に細め

「本当にごめんない。ドアノブにかけさせてもらうねケーキ。今外でしょ?ごめんなさいお邪魔して」

心細く震える声でごめんなさいばかりを重ねる。

勝ち気で大きな口を開けて笑ってばかりいたソノコが、タカシがいなくなったあの日からきっと、ごめんなさいばかりを繰り返してきたのだろう。リョウはどうしても胸がつまる。

「リョウくん、元気?ちゃんとごはん食べて体に気をつけてね。ごめんねリョウくん」

ごめんねと一方的に切れた電話をリョウは、耳から離せずしばらく電子音を聞いた。

食事中のテーブルに戻ると向かいの女がたずねてくる。

「大丈夫?仕事?」

「いや」

手にしたフォークを持ち上げ、空中で止まる。皿と皿の間、テーブルの隙間を見つめているリョウの顔をのぞきこむと、再び女が「大丈夫?」と聞いてくる。

「いや、うん。言わなかったな。と思って」

「え?」

「え?あ、いや、なんでもない。ほんとに。ごめん」

リョウは女に唇の端だけで笑顔を作り、フォークに巻き付けたパスタを口に入れる。まずい。クソまずいと思う。胸の中で苦く呟く。

「隠し味が入ってるんだけど、それが何なのかは教えない」

鼻を高くして無意味に威張っていたソノコのつくる、パスタを思い出す。

ノースリーブの細い肩。白い肌。タカシの腕を掴み見上げて笑う横顔。笑顔に不釣り合いな目のきわのホクロ。リョウの下で息をもらし苦しそうに寄せた眉間のしわ。ベッドの上でボンヤリ夜明け前の外を見つめていた。涙。腕を伸ばし最後に抱き締めたかった白い背中。もう会わない方がいい、出逢わなければ良かったと暗闇のなかで伝えた日。部屋を出ていく後ろ姿にさよならもまたなも両方言えなかった。リョウくんと五文字で骨抜きにする甘い声。サイテーとにらむ切れ長の目尻。勝ち気な横顔。口癖の「大丈夫よ」

テーブルに並ぶ手料理。

長年の豆腐嫌いを克服させたソノコの手料理。三人で幾度となく食べた。テーブルを囲んだ。いつまでもこの生活が続けばいいと願った気持ちに嘘はなかった。全てが旨かった。

「ごめん」

リョウは謝りながらポケットに手を入れる。

「え、いいんだけど」

「いや、そうじゃなくてごめん」

リョウは財布から慌てて紙幣を数枚引き出すとテーブルに置く。

「え?帰るの?」

「うん。ほんとごめん」

また。と言いかけてリョウは気づく。

またはない。だからさっき、ソノコは電話を切るとき言わなかったのだ。「またね」と。


「リョウくん。どうせまた会えるんだから大丈夫と思って、目の前の人との今を、おざなりにしたらだめだよ」


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