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がま口の新時代

 ゴーゴリの有名な小説に「外套」という、ロシア文学の金字塔ともいえる作品がある。もとより外套とはオーバーコートのことだが、随分以前からこの言葉が通じなくなっていて愕然としたことがあった。
 まだ小説を書き始めた頃だったが、某飲食店でのバイトの折り、レジ係を担当していた女子高生との会話で、「外套って何?」と訊かれたのだ。

僕は子供時代、祖母を筆頭に、家族全員「大人」であり、自然と昔の語彙をごく自然に身につけていたせいか、外套の意味を知らぬ女の子に出会った時はちょっとしたカルチャーショックであった。

なにせ、我が家ではハンガーのことをずっと「衣紋掛け」と呼んでいたし、小麦粉のことは「メリケン粉」とか「うどん粉」と言い習わしていたのだ。

さすがにアイロンのことを「火熨斗」とは言わなかったが、キッチンは「台所」と表現した方がシックリとくる。やはり割烹着が似合うのは「台所」だろう。STAP細胞の小保方 晴子さんが割烹着を着ていたというので、ちょっと話題にもなって、これは案外今でも……多少デザインを現代風にして復活しているらしい。

死語と思っていた「がま口の財布」も、別に違和感なく売れているようだ。

言葉というのは面白いもので、当然知っていると思い込んでいた単語が死語となり、忘れ去られたと信じていた名称が復活していたりと、世の中忙しい。

いっそテレビを「電気紙芝居」と呼んでみるのも、かえって新鮮かも知れない。いや……当の「紙芝居」そのものが通じない恐れもある。

なんだか、未だに文明開化が進行形のようにも思えてしまう。当時、インテリ達は西洋から入ってくる新しい概念や言葉を日本語化するのに随分と腐心したらしい。

確かに哲学用語など、日本語化してかえって理解しずらい向きもある。
 元来ギリシャ語の「フィロソフィヤ」とは……Love of wisdom、であって、そのまま約せば「愛知」なのだろうが、我が国最初の約としては「希哲学」……やがて簡略化して「哲学」に落ち着いたらしいが、字面だけでは正直……何のこっちゃ? である。

それでも祖母がよく使っていた「膕(ひかがみ)」という言葉も、英語の「popliteal space」よりはおさまりがいいように思える。「膕」とは膝の裏側のことである。
 「膕」を伸ばして歩け。……とよく言われた記憶がある。確かに、老人になると膝が曲がったままでちょこちょこ歩くようになって、あまり見栄えのいいものではない。

せいぜい頭の方の「膕」も伸ばし続け……どんどん誕生してくるだろう新語にも対応したいものである。


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