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【創作大賞2024応募作 恋愛小説部門】 壷中磔刑(改訂版) 6章、7章、8章

      

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  通い妻を得たような、こそばゆい生活が始まった。アパートの住人はその大半が固執の老齢とあって、勇吉が同棲を決め込んだとばかりどこか非難がましい視線を送ったが、瞑想爺一人は、なんだか真相を見透かすよういっそ寛大な眼差しで見守ってくれるけはいであった。
 ただし、香夜子の方は周りの目なんぞいっさい頓着するでもない。勝手に三畳の部屋を自分の領分と決めてしまい、キティーちゃんの壁紙を張り、そこに勇吉の描いた小品を飾ったり、鏡を掛けたり、隅っこに観葉植物を押し込んだり、一人悦に入っているようであった。
 それでも、見習い妻の腕前は急速な進歩を見せた。ネットの料理サイトを参考に、これがそのまま食卓に乗るの安直もあったが、味はまあ及第点、部屋の掃除もテキパキとした手並みに落ち着いた。
 そのように、香夜子は朝の八時までには勇吉の身の回り世話を焼きに『烏有の扉』から現れ、夜になると相変わらずきちんと床を延べ、おやすみなさいのひと言を残して再びケント紙の中に消え去るのだ。さながら、時給なんぼの家政婦のふぜいであった。

 かかる内助の功よろしきを得て、勇吉は香夜子不在の折、その残り香を手蔓に不謹慎にも、つい香代子のことをしばしば思い出した。
 そう。会社をやめたいとか細い声に漏らして、勇吉の胸を濡らした時のこと。再会から一年後、当時アトリエにしていた部屋の簡易ベッドの中、二人はまんじりともせず朝を迎えたはず。香代子は初めてであった。モチーフにしていた沈丁花の、気だるさを誘う甘いかおりが、官能の余韻のように漂っていたのを今も思い出す。
 香代子は、勇吉のこころに直接言葉を吹き込もうとするかのように訴えたものだ。なんでも、社内でのけ者になっているという。案ずるに、現代では希少価値ともいえる古典的初々しさに対する拒絶反応であったかも知れないし、芸術至上主義をもって任じ、物欲を頭ごなしに否定する独断と偏見に満ちた勇吉の価値観の受け売りが、周りの反発を招いたのかも知れないが……
 ついては、その日を境に香代子は世話女房さながらの所帯じみた日常を勇吉のアトリエに持ち込んだのだ。オレンジ色で統一された部屋の模様替え、ペアルックの強制。腕を組んでの、スーパーへの買い物。薄味好みは、さだめてこの時期に形成された嗜好だろう。

 香代子との結婚を意識したのも事実であり、それは最も好ましい選択のはずであった。
しかし、愛の深化とは裏腹に、その当時から勇吉は自ら真骨頂と自負していた掟破りの色彩感覚における自信を、急速に失っていたのである。
「奇をてらった平凡」というのが、勇吉に押された烙印であり、それは叉いかに歯軋りしようとも、冷静なる周囲との比較に於いてシカと認めざるを得ぬ一事であった。ガキの頃より「天才」を謳われた身の、凝り固まった虚栄心にとってこれは堪え難い屈辱であるのみならず、香代子の目にかかる「平凡」をこそ良とする安堵の色合いすら覚えるに至れば、なおさらいたたまれない。
 なればこそ、まとわりつく好意の一つ一つが、こちらの頑なな気負いの鎧を、鱗を剥ぐように解体し、やがては平凡な社会人としての馴れ合い的結婚へと突っ走らせる、あざとい、悪意に満ちた姦計のようにさえ思われたのだ。
 そのせいか、勇吉はしぜん香代子に対して不機嫌に、いっそ邪険ともいえる態度に出た時もあった。しかし、真実は違う。誰よりも香代子を大切に思い、望むものを何なりと与えてやりたかったのだ。少なくとも、お前の愛した男は非凡の芸術家であったと、そんな確信を持ってもらいたかったのだ。それが叶わない、遣る瀬無い苛立ち。
 もとよりいかに天才であったにして容易く絵で生活が成り立つ道理もなく、将来の生活を支えるわざが本の装丁などあれば最高に恵まれた部類であると知らぬものでもなかったはず。しかし勇吉には、共同作業たるデザインの世界で生き抜いてゆくために必要な、小回りのきく器用さや柔軟さを欠いている事実も認めぬわけにはゆかなかった。けだし、肥大した矜持だけの天才。
 そのように、美大での最終的な勇吉への評価は、いっさいのデフォルメを排除したところの、愚直な職人技ともいえる描写力だけであった。それは勇吉の本質である頑固さとも一脈あい通じていて、そこから類推されるタチは決して派手にして破滅的な天才型ではなく、地味な努力の積み重ねによる晩成型の、いやむしろ黒子のような指導者にこそ相応しい姿であった。
 そんな結論をこころの一部で下しておきながらも、勇吉の絵はしだいに唯一の武器たる描写を離れ、実在性や日常性から遊離した夢幻の世界に流れてしまったのだ。激減した自信の失地回復の窮余の一策として、無意識のうちにこれを夢に求めようとしたは事実であった。――あなたの絵を見ていると不安になる。香代子はコトある度に繰り返したが、さだめてそこに勇吉の人生に対する表徴を読み取ったのだろう。――光栄だね。勇吉はそう答えて強がってはみたが、卒業間近の作品は結局他人の夢の模倣に他ならず、懸命に狂気を装った平凡な幻想画もどきに違いなかった。
 いくばくかの狂気があるとすれば、それは己の凡庸さを断じて認めようとはしない、ヒステリックな悪魔に魅入られた自尊心の有り様であった。
 香代子は、ほとんど我が儘な弟に対するよう勇吉の将来のこと、勤め先のことに口を出し、からだ全体の重さを預けてしがみつき、己の口臭をあらん限り染み込ませんばかりの接吻を求めたものである。受け止める手に香代子の、小柄の割りには張り切った腰の肉付きが隆起する。左手に一人、右手に一人、背中に一人……三人の赤子もものともせず駆け回る、逞しいエプロン姿の母親の姿が見えるようであった。パパ。パパ。パパ。パパ……赤子が舌足らずに叫ぶ。香代子が叫ぶ。えい、小癪な! 俺に夢を見させてくれ! 香代子との、絶対的乖離の始まりであった。
 そうは言っても、いざ別れを切り出したあと、勇吉は自らの暗愚な魂を恥じ、この当時の香代子の姿をこころに刻み、慟哭と共に何度繰り返し思い浮かべたことか。この八年、頑として女人を退けた理由もそこにあったのだろう。

 ところが、香夜子が現れてから一週間ほどのうち、記憶の痣のような香代子がほとんど標本箱の蝶のように艶きを失い、溌剌とした香夜子の中にどんどん吸収されてゆき、ついにはその肉体的繋がりを別にすれば、いっそ香代子の方こそ夢の住人であったような魔術的認識が、ごく自然に形成されていったのである。

 いずれにしても、香夜子のサポートよろしきを得て、勇吉はいっさいの日常に背を向け、ひたすらパネル張りのケント紙に鉛筆を走らせることができた。
 鉛筆画と言っても、勇吉は決してデッサンの延長として導いたわけではない。十分に構図を練って下絵を作り、トレーシングペーパーで転写したあと陰影を重ねてゆくのだ。BからHまでトーンに合わせて濃淡の異なる鉛筆を十数本使い分け、ハイライトには練りゴムやカッターで刻んだ消しゴムを使い、ぼかしには慎重に先を整えた擦筆が出番を待つ。そして、メチエの単調を補うために、デカルコマニーの技法を使ったアクリル絵の具の凹凸をスタンプとなし、これに定着液を塗って画面に押し付ける。後に練りゴムを使えば、定着液を塗った部分だけはそのままに、周りはトーンを落とす。これを何度か繰り返せば、陰影は奥行きを増し、ナイフを使った油絵にも似た質感を表す。
 鉛筆は待機するミサイルさながらに居並び、練りゴムは自在なアメーバーになって這い回り、羽根帚が天使の飛翔を繰り返すところ、佳境に入った身は造物主の傲慢にほくそ笑む。二次元の平面はこの時三次元の奥行きを作り、矜持の神の手は狭霧なす空間をまさぐるのだ。この瞬間がたまらない。一区切りがつけば、黒鉛で黒ずんだ指先にタバコを挟み、出来栄えの点検の後ずさる。
 小暗い森の彼方から吹き渡る風に少女の髪は靡き、月影に照り映える純白のドレスの周りに幾何学模様の蛾が乱舞すれば、つい向こう、野外舞台の上に、ヴィオロンを手にしたピエロが不器用な恋のセレナーデを奏でる。風に乗って、か細い虫の音にも似た弦の響きが聞こえるようであった。
 いいねえ。一人悦に入った身は、タバコに火を点し、手探りにインスタントコーヒーの瓶をまさぐる。とたんに、熱いコーヒーが出る。そう。香夜子の気配りであった。
 日常から開放されたからには、もはやゲイジュツ的に汚れた手を洗う必要もなく、頭をしぶしぶ切り換えて米をとぎ、キャベツを刻む必要もない。空想の森から流れてくる、不安をはらんだ恋風はしばし止みそうにない。それまでの一人暮らしの屈託糞を食らえの、人も羨むいいご身分であった。

 しかし……かかるご身分の代償として、勇吉は香夜子から一つの義務を押し付けられるハメにあいなった。
 そう。一日に一度の、『烏有の扉』に入るための訓練という難題であった。すなわち、壁に止められたケント紙を、遠くにあって小さく見える開かれた扉だと思えというのである。
 勇吉が乗る気を見せないと、この時ばかり香夜子は駄々をこね、拗ね、ついにはヒストリーまで起こして閉口させたが、その態度はどこかまだ関係を持たぬ前の少女っぽい香代子を彷彿とさせ、これを見たいがためにズボラを演ずることもあった。
 それでも、毎日の訓練功を奏し、香夜子の力説するとおりに数メートル先のケント紙が光あふれる入口と意識され、そこに向かって歩いているような感触を覚えたこともあったが、その度に当人の口にするはしゃいだ口調がかえって邪魔をして、再び現実に引き戻されてしまうのだ。

 ――向こうに、あなたのお城があるのよ!

 厚さにして一ミリにも満たぬ紙切れの、時空を超絶した世界に巨大な城塞を築けるイマジネーション。そのことが、初めての個展を前に、今一つインパクトに欠ける地味な画風に不安を抱いていただけに、大きな自信を与えてくれるのだ。加えて、目下の仕事の順調さ、個展での成功。そこまで連想したとたん、『烏有の扉』はたちどころにして、何の変哲も無い一枚の白い紙に戻ってしまうのであった。
     
      

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 香夜子との不思議の生活が始まってから十日が過ぎ、二週間目に入った。
 その日の夜、いつものように就寝前の挨拶を残して『烏有の扉』に入ろうとする香夜子に、勇吉は知らず声をかけて、
「ちょっと……」
 振り向いて、剝きたての茹卵みたいに含羞むのに、
「いや、何でもない。おやすみ……」
 勇吉はそう答えて、そのまま仕事を続けた。

 それでも、香夜子が消え去ると同時に、勇吉は画面から鉛筆を離し、これをイーゼルに力任せに突き立てた。折れた芯の、荒々しくささくれ立った木質部に目を落としながら、『烏有の扉』に向かおうとした香夜子の、ゴム縄を飛ぼうとする少女にも似た無防備な姿態に覚えた己の欲情を恥じた。従順なる妻の役を演じる香夜子に、八年に及ぶ禁欲のツケを押し付けようとしたのだろうか。いや、ずっと鋭い罪の意識が、しばし勇吉の胸臆に棘のように突き刺さった。
 なんだか息苦しい得体のしれない胸騒ぎに締めつけられ、仕事に集中する気力も阻喪して、勇吉はそのまま大の字に寝転がった。

 出し抜け、香代子との肉体の交歓が鮮烈に蘇ってくる。真冬の深夜……重なり合う手、挑み合う汗ばんだ足。朧月に波打つ胸の、羞恥の解纜。野分け吹き荒ぶ朝の、こもりぬの静謐。一枚ずつページを繰るように、その刹那刹那の求め合ういのちの躍動を思い描く。そして、最後の夜……
 香代子は勇吉がポーの詩集の間にいつも挟んであった、かの上京の折に渡した自らのポートレートを見つけ出すなり、冷ややかに言い放ったものであった。
「これは、わたしじゃない!」
 ――我こころのアナベル・リー。裏に記された酔余の戯れ言もろとも、香代子は即座に写真に火を点けた。ねっとりと湿った炎をくねらせていたのが、香代子の爪先を離れ、灰皿に散った時にはすでにハラハラと崩れる白い灰に変じていたはず。
 なんだか、自らの影が火刑に処された気分であった。
 さだめて、懶惰の腐れ縁に惰眠を貪る甲斐性なしへの仕打ち。確かに、結婚を迫っている男がいることは勇吉もかねて知っていたが、相手はバツイチの十五から歳の離れたやつとあって、意見を求める口調もふざけ半分、勇吉にしてせいぜい自分に対する当て擦りくらいにしか考えていなかったはず。
 ところが、炎を見据える香代子の表情の中に改めて打診すれば、より深刻な問いかけが感じられたのだ。かそけき白い灰を前に、息遣いだけが揉み合う。
 そんな状況下で、どうしてベッドを共にする気になれたのだろうか。そのように、香代子は勇吉の腕の中にあって、あからさまのじれったさをもってからだをくねらせたものだ。件の中年男によって開拓された新たなる花園の在処を、目隠しのままに要求しているようであった。虚勢の殻に罅が入る。黄色い毛糸みたいな嫉妬が、鼻先に覗きそうであった。
 だからこそ、勇吉は香代子の苛立ちを等閑に、娼婦相手さながらに前戯の手続きすら省き、機械的往復運動のまにま、目下の大問題であるところの、油絵から鉛筆画への転身につい思いを馳せたのだ。

 確かに、三年近く勤めたデザイン事務所のイラストレーターとして常用していた鉛筆という画材に、新しい世界の曙光を見始めていたは確かであった。頭の中で一つずつ色彩を消してゆく作業には、侘びしい挫折と、震える期待が綯い交ぜになっていたものである。そして、最も愛していたラック・ド・ガランス、その透明な茜色の大胆な使い方で高校時代に賞をもらったこともある自尊心の色を消し終えた瞬間、勇吉は香代子の腹の上に中絶の欲望をぶちまいた。妊娠を恐れてのわざにはあらず。死体さながらに横たわるおんなへの、夢に火を放った魔女への、小児的報復であった。この時、侮辱のほとばしりは、ほとんど香代子の顔面を穢したに等しい。
 香代子は半眼に開かれていた目にようやく光りを蘇らすと、勇吉が火を点けたばかりの煙草を奪い取り、いっそ突き放すよう切り出して、
「わたしを取る? それとも夢を取るの?」
 虚脱感の中、勇吉は即座に答えたものであった。
「その男と、うまくやるんだな」
「そうする」
 荒んだ声で受けたのが、上半身を起こすと、タバコの火を勇吉の胸に押し付ける仕草を見せ、ニヤリと不適な悲しみを口元に浮かべてから枕元の灰皿に強くもみ消した。
 からだをひねった香代子の乳房が煙草の代わりにしばし胸に押し付けられたが、勇吉はすでにして香代子を、仮に皮肉めいた祝福のためにせよ、抱擁してやる気にはなれなかった。
 頭の中のラック・ド・ガランスは完全に消えていたし、自分が愛することが出来たのはひたすら写真に埋葬されたところの、十六歳の少女でしかなかったことを、今更ながらに思い知らされたようであった。
 勇吉がデザイン事務所をやめ、今のボロアパートに越してきたのはその直後のことであった。

 勇吉はからだを起こすと、スケッチブックを引き寄せ、つい頭にチラつくイメージ構図してみた。それは、今までの勇吉の発想とは趣を異にする、幾分エロチックなものであった。
 楕円形の姿見の前に立つ少女の全身像ながら、鏡からは芙蓉の花を頭部に持ったバケモノじみた男の半身が半ば抜け出ている。少女は花男の勃起する花心を無邪気に握っている一方、花男の方は少女の清楚な白いドレスを荒々しく捲り上げているのだ。
 香夜子への欲情が、かかる歪んだ発想を産んだのだろうか。勇吉はふと不純の念を覚え、手近の後ろ向きのエスキースを裏から透かし見た。顔は、やはり正面を向いている。夢の裏側まで見透かせる、己の才能の何よりの証しのようにも思えるのだ。
 勇吉は下絵作りの手続きを省き、十五号大のパネルに貼られたケント紙に直接鉛筆を下ろした。この絵が、これまで描いてきた作品を引き締める重要な役割を演じてくれるような気がするのだ。
 初めてクロッキー教室でヌードを走り描いた時にも似て、背筋に緊張感が走る。集中力は弾みをつけ、いっそうなりを発して舞い戻ってくる。
 勇吉は夜が明けるのも気付かず、一心に鉛筆を走らせた。
      
       

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「勇吉さん、起きて。もう、お昼よ」
 香夜子の、ちょっと甘えた声に続いて、間仕切りの襖をオズオズとノックする音が聞こえる。
 欠伸をかみ殺しつつぼんやりと瞼を開くと同時、異様な世界が眼球に飛び込んだ。一瞬、聖域に割り込んだ黒魔術のようで我が目を疑ったが、もとより即座に昨夜の狂気じみたイメージが蘇る。ノルマルな昼の光を浴びても、その絵は自分ながら満足のゆく出来栄えであった。一息に描き上げた割りには構図に狂いもなく、下絵からの転写を省いたぶん、描かれた少女の肩から腰にかけての曲線には、あどけなさと兆発の交錯した怪しい美しさが、いっそ直截的に表現されているようにも思えるのだ。
 それでも、イメージの来歴に思いを馳せれば何となく香夜子に見られるのが照れ臭く、勇吉は起き上がる足を進めて、その絵を裏返しに壁に立て掛けた。

 しかし、食後の片付けが終わった後、香夜子はその絵を見つけてしまったのだ。勇吉は返ってくるだろう冷やかしの先手を打って、
「ちょっと、エロチックだったかね……」
 確かに、真昼の光に照るエプロン姿の、林檎の歯触りにも似た清潔感を漂わせる香夜子を、昨夜の狂気が穢しているような疚しさを覚えたのである。
 香夜子はすぐに絵から顔を背けると、昨夜中断してしまったところの、それまで描いていた作品の方にことさら視線を向け、少しムキになった口調で言うことに、
「もちろん『夢見城』にはいろいろなものがあるわよ。美しいものから、目を覆いたくなるような醜悪なものまで。清潔なものから吐き気を催すほどの不潔なモノまで。優しいものから、涙も枯れるまでの無惨なものまで。希望に満ちた光から、絶望の闇まで。それを統治するのが、城主たるあなたの責務。それに、わたしの……」
 つと言葉を切って、うっそりと誇らしげな顔を紅潮させかけたのが、再び件の絵の方に視線を戻して改めて凝視のあと、
「ねえ……もしも……わたしが、この絵みたいなコトされてたら、どうする?」
 何やら含みを持たせた問い掛けに、
「そうだな……この花男を蹴飛ばして、君を救ってやるさ」
 とたん、見ず知らずの男に辱められている香夜子の姿が、やけに鮮やかに脳裏に浮かぶ。――いゃあぁ! そう絶叫する声すら聞こえたようであった。
 そのように香夜子は作り笑いの唇を幽かに震わせていて、顔色も一気に青ざめた。一瞬、勇吉は当の絵を濃い鉛筆もて塗り潰したい衝動にかられたが、実際、そんな真似はできるはずもなかった。

       ←前へ  続く→


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