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自分軸の自分って何?

以前の自分は、どこにいってもその場所の「普通」を目指していました。

新しい班、新しいクラス、新しい会社、新しい職場など環境が変わる都度、この場所の普通は何だ?と誰よりも早くそれを見つけて、真っ先に座る。

でも、安心は出来ません。自分は端っこに寄っていないか、転げ落ちそうになっていないか、椅子が壊れかけていないか…。常に警戒して、神経をすり減らす。

観察力は身につきました。他人の行動や言動を先読みして器用に振る舞う。それが自分のスタイルでした。

歳を重ね、そんな自分の性格も意識しなくなった。

唯一、ゴリ押しで来られる相手は苦手。

観察が終わっていないのに来られると、どうやって対処すれば良いかわからない。それがストレス。

なんて自分勝手な奴なんだ!!

と思っていました。

でも、ある時心の声に気がつきました。
きっかけは、以前書きましたが、自分を許し、自分を愛することの大切さに気がついた事です。

自分の心と真剣に向き合ったら、聞こえてきた。

(なんて自分勝手な奴なんだ)
(私は自分を抑えているのに)

(私は自分を出してゴリ押しするなんて出来ないのに)
(私が出来ないことをやっているアイツは嫌いだ)

(私は自分を出せない私が嫌いだ…)

そう、自分自身で嫌っている部分、自分自身を認められない部分を他人に投影し、その他人を嫌っている。

あれ?

なんて自分勝手な奴だって思っていたけど、それって自分自身のことなんだ。

私がいる。
相手がいる。
私と相手にとっての、世界がある。

私と相手の見ている世界は、見た目はほとんど同じでも、見え方は異なる。ここまでは理解しているつもりだった。でも、まだ先があった。

私が見ている世界は、私にしか存在しない。

私が判断している善悪、好き嫌いは、私だけのもの。

私と相手は、別の世界に生きている。

これに気がついてから、世界が開けました。

今では、どんな事があっても、どんな感情をぶつけられても、全部が私の周りで回るだけ。

たとえ、私を突き抜けても、心を乱されてもすぐに修復される。

すべては、私の心の水面に映る世界。

落ち着いた、静かな水面のような世界。

透明な世界。

私がずっと求めていた心の平穏。

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