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好きな子同士の世の中で

私の生きてきた社会では、会社や町内といった「組織」に貢献する度合いこそが人の価値の多寡でした。

貢献による価値の提供が、生きていくために必要でもありました。組織を守ることが生きていくことに直結していたからです。

組織にとって「お荷物」や「異端」は、基本的には排除されました。組織を維持することが最優先でした。

なので、個人の意思は出さず「組織」の意思を尊重しました。いわゆる「人様に迷惑をかけるな」や「ムラのオキテに従え」ですね。

現在では、大きな会社も安泰ではなく、町内会で繋がらなくても世界中と繋がることができる。

組織に馴染めなかったり、見切りをつけた一握りの人がいち早く外に出て、素晴らしく活躍され、個の時代が訪れた。

その姿を見て、私も私もと組織を離れる。そもそも組織の必要性が下がった事に気がついてしまったのだし。

組織から出た個人が、共感出来る仲間と自由に繋がり、好きな子同士の集落が出来てきた。

古いシキタリはもう要らない。
お互いの自分軸を認め合えるとても気持ちの良い繋がりは、夢の様な世界を見せてくれる。

と思っているけど、何か足りないというか違和感を感じ始めました。

私は、小学生の頃から「好きな子同士」の班分けがとっても苦手だったのです。自分を開示し発信することが全く出来なくて、教室の片隅に居たので誰の視界にも入らなかったから。

組織では、それでも何か仕事はあるものです。
トイレ掃除係でも、ゴミ出し当番でも、机拭き担当でも、何か貢献できることがあったから居場所はあった。

皆が嫌がる事を進んでやる事で、存在感や自分の価値を確認できた。少し歪でも、所属欲求は満たされた。

でも、今はこんな価値を提供出来ると自分から発信し、共感されないと、居場所がなくなるんじゃないのか…?

今の世界では、自分が何者かというブランドを確立させ発信し、共感共鳴出来る相手と手を繋がないと生きていけないのでは? という恐怖心が生まれてきました。

あなたの夢はなんですか?
あなたは何に挑戦していますか?
あなたがやりたい事はなんですか?
あなたは自分に正直に生きていますか?

えっ?
私は生活できるだけの収入が得られれば、あとは皆さんの机を拭いて、トイレを掃除して。それだけなんですけど、そんな場所はありませんか?

それでは、価値はありませんか…?

今の時代、夢や目標がないヤツはお荷物なのかな?
私の目には、以前のムラ社会とそう変わっていない様に見えますが、どうなんでしょう。

まあ、自分の価値は自分で決めるということですね。

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