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恩送り

私はこの概念がまったく理解できませんでした。手元にある貴重なものを他人に送り喜ばれ、めぐり回って帰ってくる。そんなこと、あるわけない。現実世界ではありえない。非現実的だ、と思っていました。

自分が相手に恩を売るのは、より大きなリターンを得るため。経済活動は、少ないコストでより大きなリターンを得て利益を上げること。損得の世界。

自分で買った大切なものを他人に渡すのは、大きな見返りがあってこそ。あなたは代わりに何をくれますか?

やがて、贈ることも贈られることも、大嫌いになりました。相手から何かを贈られたなら、より大きなリターンを返さなければならない…。そう思っていたので、そんな面倒くさいことする意味がない。プレゼントなんて意味のない文化は無くなればいいのにと思っていた。

でも、どれだけ要らないと主張しても、物や食料が贈られてきて、家の中が贈り物であふれかえる。
そこまで生活に困っていないのに何故?
そんなにもありがとうって言われたいの?

もう何年も、ずっとずっと、イライラが治らない。

ところが、今年の4月末に突然声が降ってきました。「いただき物は預かり物」「不要になればまた必要な人のところへ送られていく」

この瞬間、羽が生えたような、いや、自分が羽になったように身体が軽く、宙に浮かぶ気持ちになりました。

他人の所有物が贈られてきたと考えるから重くなる。

誰のものでもない、世の中で共用のものを受け取り送るだけ。それが、何周も回っている……。

長年の苦痛から解放されました。

5月上旬のある日。
マスクが大変貴重で一箱数千円だった頃、家の備蓄から一箱無くなっていました。
妻が実家に手渡ししたようだった。私は、義実家へのわだかまりが相当強かったので面白くなかったが、なんとか気持ちを抑えた。

すると同じ日に、私の父親から持って行けとマスクを手渡された。なんだ、この奇跡。

数千円する時期のマスクではあるが、それでもたかがマスク。でも、私にとっては奇跡のマスクでした。

即時に巡って戻ってきた恩送り。

そんな事ある訳ない、けど現実にも起こった。

この数ヶ月、今までになく心が平穏。


今月末で離れ離れになる人たちがいる。
来月には新たな出会いがある。

たくさんいただいたご恩を、新天地でしっかりお返ししたい。良い循環を生み出したいな。

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