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6月を似合わせて

6月の土砂降りの日曜日に私は生まれた(らしい)。だからか、自覚があるくらい雨女だし、雨はそこまで嫌いじゃない。6月といえば見かける紫陽花は一番好きな花だ。

6月生まれ故、一年の中で6月は一番好きな月だ。水無月、涼暮月、すてきな和名もついている。月の半分くらいは梅雨でじとじとしているし、連休が無い。疎まれやすい6月が私と被って見える。
半面、いろんなところで紫陽花が見ごろになる。紫陽花を嫌いな人をあまり見かけない。青、紫、淡いピンクの花々はなぜか雨もよく似合う。雨が降ると途端に裸になってしまう桜に比べて、紫陽花は雨も似合わせている。

紫陽花になりたいと思う。紫陽花のような人、とかではなくて紫陽花そのものに。疎まれる6月を少しだけ華やかにしてくれる紫陽花に。
だけどそれは無理な話なので、せめて紫陽花が似合う人間になりたいとちょっとだけ思う。外に出れば降ってくる雨もついでに似合わせたいと思う。雨が降る中咲く紫陽花の中に立つ私、でありたいと思う。6月を一番似合わせたい。

毎年6月になると人の耳にタコができるくらい「6月が一番好き、今月は私の月だから」「紫陽花が好き」と話すし、書く。だからきっと、私をよく知る人の中で青色と(これも飽きるくらい言っている)紫陽花と雨が似合う、という刷り込みがされている。本当は似合ってなんかいないのかもしれない。去年の6月、わがままを言って紫陽花と写真を撮ってもらったこともある。担当カラーのあるアイドルがその色以外を纏うと物珍しく見えるみたいに、私が青と紫陽花以外を手にしたらきっと違和感があるんだろう。そのくらい、他人に自分のイメージを刷り込ませている自覚は多少ある。他の点でも。

私は6月が似合うんじゃない、似合わせたいだけなのだ。
ごまかしてごまかして、似合う自分を今演じているだけなのだ。
私が口を開かなくとも、6月が、雨が、紫陽花が、寒色が、似合うねと言われるような人間にせめてなりたいと6月になると毎年思う。
今年も6月が好きだと雑記をこうして残している。
来年もきっと残す。
自分が、自分のこと、誰よりも6月が似合う人間だと思えるまでは、きっと。

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