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2021年、初めての買い物

英国の大学の最終学年(三年目)に在籍する娘が、コロナ措置のため大学に戻れず、スイスの家でオンライン授業を受けてきた冬学期もいよいよ終了。あとはイースター休暇を挟んでやはりオンラインで試験、卒論提出と怒涛月間を経て、誰にも会わないままのあっけない卒業になる段取り。大学生活「最後の授業」が終わったその日、彼女なりにこみ上げる思いもあったのだろう、「久しぶりに街にでも行かない?」と母の私を誘う。街、といっても昨年末より飲食店はすべて閉まったままだけれど、少し前から小売店は営業再開。「いいよ、もちろん」と、二つ返事で承諾。

「トイレに行かれないからね、出発前にちゃんと行っとかないと」

そうなのだ、飲食店が閉まっているということは、この点がなかなか厳しい。

お彼岸を過ぎたというのに、夜間は氷点下。時に小雪も舞う。何ヶ月、代わり映えのしない冬の装いを続けるのか、といやになるが、仕方がない。しっかり防寒して街へと繰り出した。

「入りたい店とかあったらどこでも付き合うからね」

お互い、そう言い合っての街散歩。娘が小学生の頃から、この習慣は変わらない。若者の店、おばさんの店、そして「やっぱり美しいものに触れたいよね」と、高級ブランドの店もたまに覗いてみる。

ファッション大好き、そして哲学と政治学を専攻する娘の卒論テーマは「ファストファッションと倫理」というようなものらしい。

「チューリッヒでVEJAのスニーカー買える店、あるよ」

そんな娘の案内で、旧市街にある若者向けのセレクトショップに入店してみた。自分にはどう考えても似合いそうにない服は全部パスをして、スニーカーコーナーに直進。こういう時に私の決断は非常に早く、数秒後には「これ」と決め、試し履きをして購入。ちょっと感慨深いものがあった。

というのもこのフランス発のスニーカー・ブランドが、パリの展示会で手作り風の小さなスタンドに自社製品をパラパラと並べていた日のことをよく覚えているから。

当時、私はフェアリーテールという名前のフェアトレード・セレクトショップを運営していた。運営といえばなんだか立派そうだが、実情は自宅の一角に自分で棚を作り、ランプを吊るし、商品を並べたショールームを構えただけの大変ささやかな形。それでも好きなファッションやインテリアの分野における小さな小さな社会貢献がしたい一心で、せっせと国内外の展示会に通い、生産者やスタートアップの経営者と直接話し、商品の買い付けを行っていた。そんな中で出会った生まれたてのメーカー、VEJA。スニーカーの分野にフェアトレードとエコを、という当時としては斬新そのもののそのコンセプトに共感したのはもちろんのこと、デザインがこれまたよかった。展示会場で起業したご本人に、早速あれこれ質問。そんな時の自分は、バイヤーというよりは、むしろジャーナリストの視点だったかな、と今にして思うが、ともかく彼らの口から直にブランド立ち上げの背景や、熱い想いについて話を聞き、ますますいいなと思った。

これ、買い付けようか。

真剣に迷ったが、靴を展開するとなると、サイズや色を揃えなければいけない。とんでもない在庫になる。弱小セレクトショップにはそのスペースも予算もない。そして、驚くほど保守的なスイスの消費者に、このコンセプトは「ちょっと早すぎるかな」という判断もあった。後ろ髪を引かれながら断念したことをよく覚えている。

あの日のVEJAは、展示会場に小さなスペースを借り、テーブルにただ靴を並べ、起業家というよりも学生さんみたいな二人の青年がそこに張り付いていた。起業は2005年。リセの同級生だったという25歳の若者二人が始めたプロジェクト。きっかけは中国のアパレル生産の現場に労働条件の監査人として訪れた時に受けたショックだったという。まだまだ駆け出しで知名度もなく、巨大資本が跋扈するスニーカー業界でどうやって生き延びて行くのか、誰にもわからなかった頃の話だ。

フェアリーテールは経営者の非力と資金・忍耐不足で結局持ちこたえることができなかった。けれどほとんど同時に産声をあげたVEJAは今や世界に販売拠点を広げる企業に成長した。VEJAは「見る」という意味のブラジル語だという。現実を、世界を見る、そしてすべてが見えること。そんな「透明性」が企業コンセプトのかなめだというが、そのブレない初心と、それを夢物語で終わらせず、ビジネスモデルとしてきちんと成功させた手腕は、まばゆいばかりだ。

娘に聞くところによると、どうやら今、スイスでも若者の間でVEJAはなかなか人気があるらしい。やっと時代がVEJAに追いついたような感じ。やはり、案じた通り、10年前では早すぎたのかもしれない。

コロナ蟄居が始まってから一年以上。その間、身に付けるものはほぼ、何も買っていない。そして今年に入って最初の買い物が図らずもVEJAのスニーカー。小さな時から知っていた子供が、立派な大人になって世界に羽ばたいている、そんなかつての子供の活躍に目を細めながら遠いどこかからこっそり応援しているおばさんみたいだな、と思う。そして、そう、ここ数年は、私を含む世のおばさんたちも街で普通にスニーカーを履くようになった。その意味でもやはり時代がVEJAに追いついてきたのだ。

メジャーブランドのスニーカーの値段の7割は広告とマーケティングのコストだという。VEJAは最初から、その7割を、残りの3割とともに素材と人件費とフィックスコストに当ててきた。人気に奢ることなく、これからも初心を忘れずに、言葉の真の意味で「サステイナブル」でい続けて欲しいなと思う。

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