私が外科を辞めたい理由③心が折れた日

※身バレを避けるため、一定のフィクションを混ぜています。今回の内容は症例についても書いてありますが、ニュアンスが伝わるレベルまで事実を改変しています。
自分の感情や外科を辞めたいという動機につながるエピソードなどは現実に忠実に書いています。

「あ、今心が折れたな」と思った瞬間がある。
専攻医1年目の5月のこと。外科の当番をしているとき、とある患者が運ばれてきた。
詳細は守秘義務に関わるので省くが、緊急手術が必要であった。
まだ外科1年目の5月。本格的に外科を始めて2ヶ月目だ。自分1人では何もできない。当院は必ず上級医と一緒に緊急手術をする事になっているので、上級医を呼び出した。
その日の上級医は消化器外科専門ではなかった(別の外科領域の専門医であった)が、外科専門医でもあり、外科歴は20年程度。何の問題もないと思っていた。

上級医がERに来たので患者のプレゼンをした。すると上級医は患者のもとに行くことなく「消化器外科の専門の先生に聞こう」とだけ言った。
まぁ専門外だしそんなもんか。そう思い、当番ではない消化器外科専門医にコンサルテーションした。
その先生はとても優しく、すぐにERに駆けつけてくださった。やはり手術適応と判断され、術式、やり方やコツも教えてくれた。最初にコンサルトした上級医は心得顔に聞いているように見えたが、消化器外科専門医の説明が終わると笑顔でこう言った「先生一緒に入ってください!」

私は内心ホッとした。なぜならその術式をやった事がなかったし、何より専門の先生に教わることのできる安心感があった。
これでなんとかなる!手術は「勝ち」確定だった。

手術は自分でも驚くほど円滑に進んだ。

すこし脇道にそれる。
医療ドラマでは多くの場合「助手」の先生は若手の先生であり、よく執刀医に怒られている描写があるが、そんな場面はごく一部の高難易度手術の時のみだ(そしてあまり怒られない)。
ほとんどの手術は、若手が執刀医となり、上級医の先生が助手に入る。この助手を「前立ち」と言う。患者さんを挟んで執刀医に面と向かって立って、「ここを切って」「ここをつまんで」「もっとこうして」などと教えてくれるのだ。
手術が上手い先生は前立ちもうまい。術野(手術が進行している場所。臓器や血管など)を上手く執刀医に見せてくれるので、緊急手術で予習ができていなくとも勝手に手が動くのだ。
まるで自分が名医になったような、手術全てをコントロールできているような気にさせてくれる(実際は前立ちの先生が全てを司っている)。

話を戻そう。
この日手術に入ってくれた消化器外科医はまさに「名医」だった。指示が的確で分かりやすく、迷いがない。私も安心してその指示に従う事ができた。この手術をよく復習すれば次に活きるぞ、そう思いながら手術を進めた。

手術は最難関の部分が終了し、次の段階に移行しつつあった。すると上級医は消化器外科専門医に対してこう言った「これ以降は私もできますから、先生は大丈夫です。お休みのところありがとうございました。」私はその術式を何度か見たことはあるが、まだやった事がない。専門の先生に教えて欲しい。そう強く思ったが、上司には逆らえない。消化器外科医は手術室を後にした。

「さぁ、ここからは我々で頑張ろう」と上級医は言った。そして続け様に「これまでどうしてた?」と聞いてきた。私はこれまでこの手術を執刀した経験がないことはすでに伝えている。なのに「これまで」もクソもないだろう。
私が困惑していると「ほら、よく考えて」と追い打ちをかけてきた。これは矛盾している。「これまでどうしてきたか」は経験と術式の暗記を問うているのに「よく考える」は暗記とは別のベクトルの話だからだ。そもそも手術は最初は手順を覚えないと話にならないので、覚えていない術式を「考え」る意味はそもそもない。
前々から執刀が決まっていてこの状態であれば、それは言語道断だ。予習不足なのだから。しかし緊急手術では予習の余地がない。だからこそ上級医を呼んでいるのだ。

上級医は手本を見せる事なく、ふんわりとしたイメージだけを私に伝え、手術を続けさせた。
私はなんとか食らいつこうと必死で頑張った。何度かオペを見た時の記憶を引きずり出して、目の前の状況と必死で戦った。
指示はずっとフワッとした指示で、良いとも悪いとも言わない。何かあったら責任は全て私になすりつけるつもりなのだろう(執刀医なのでもちろん責任は負うが、普通の上級医であれば何か起こった際庇えるように気を遣ってくれるものだ。執刀医としては悔しいが、技量不足と判断したら手術を「取りあげて」、前立ちが遂行する。これは屈辱的だが、患者のためには理に適っているのだ。今回は取り上げていいレベルだった。だって私はやり方を全く知らないのだから。しかし上級医はそれをせず、最中に私の手技に対する指摘もしなかった)。
上級医は全て終わってから「こことこことここがイマイチだったね。」とだけ言った。
終わってから言われてもどうしようも無い。そして私は上級医のふんわりした指示にできる限り忠実に従って手術を進めたはずだ。しかし、ダメ出しは全て私にきた。私だけが悪い、私の技量不足だ、という言い方であった。
モヤモヤする気持ちを抱えつつ、何事も起きない事を祈って、手術を終えた。

術後、消化器外科医と一緒に手術をした部分はなんの問題もなく経過していた。しかし、上級医と手術をした箇所は明らかに不具合が生じていた。

手術1週間後、上級医と手術をした箇所の再手術が決まった。一度で決めていればそもそも不要な手術だ。また患者さんに不要な負担とリスクを負わせる事になる。私は自己嫌悪の谷底に転落した。
再手術の説明をする際、同意を得る際、目の前はぐるぐるに回っていた。気を抜けば申し訳ない気持ちと悔しい気持ちで涙が溢れそうだったし、全身の力が抜けて膝から崩れ落ちそうだった。軽い吐き気も伴っていた。もはや私はボロボロだった。
幸い患者さんもご家族も理解してくださり、トラブルには発展しなかった。
再手術はしっかりと予定通りに終わった。
上級医は最後までこの再手術の手術室には現れなかった。

こんな事をするために外科になったのでは無い。
患者で実験するために外科になったのでは無い。
自分の手術が原因で再度手術の要因を作るなんて最悪だ。

この体験で私の心はバキバキに折れた。いい仕事がしたいのに、それができない。部下のミスは部下のミス、部下の手柄は上司の手柄(その上級医のみで、他の上司はいい人が多いが…)。危険だと察知したら手助けせずに逃げ出す。こんな事をされては、もう2度と手術なんてしたくなくなる。
これ以上外科を続けるモチベーションはこの時に完全に燃え尽きた。

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