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反省を促すためのクールダウン!?潜む落とし穴

突然ですが、皆さんに1人になりたい時間はありますか?また、それはどんなときでしょうか?そしてどのような過ごし方をしたいでしょうか?
1人の時間が欲しい時というのは、もしかして気持ちを整理したいときではありませんか?
メルマガの閑話休題らしくクールダウンやタイムアウトについて考察してみました。

子どもになってみましょう。
あなたは誤って給食のお皿をひっくり返して食べ物を床に落としてしまいました。しかもこれは今月に入って3回目。でもいずれもわざとではありません。そのとき見るに見かねた先生から10分間延々と「注意力不足だ」と言われるのと「少し頭を冷やしてきなさい。」といってその後どうしてそのようになったのか振り返る時間があるのだとどちらが良いでしょうか。

延々と説教をされて理解できる子はまずいないでしょう。これは大人になってからも同じでくどい話は結局なにも生まず非生産的です。まして個人の悪意によらずちょっとした過失であればなおさらでしょう。


一方でタイムアウトに代表されるような1人の時間を設けられることは悪意がなければときに大きな効果をもたらします。しかし目的が先行してはいけない。
例えば1人で過ごして頭を冷やしてきたとしましょう。戻ってきたときに与える言葉は目的があればそれに見合った行動を相手に期待します。よって「反省を促すため」という目的があったとしたら、「反省した様子を口にしなければ効果がない」と考えてしまい、せっかくのクールダウンの時間も無意味になってしまうのです。

タイムアウトという手法があってこれは懲罰的に1人の時間を設け反省やクールダウンを促すことでやってはいけない行動を減らしていく1つの方法です。
しかし見直さなければならないのは反省を促し行動を変化させるためという目的が常に先行していると、そうでない反応があったときに「何をしても理解できない子」「タイムアウトの通用しない子」という形が出来上がりやすい。

つまりタイムアウトやクールダウンを取る際には「この子(人)には今1人で過ごす時間が必要だ」という半ば思いやりと状況判断から生まれるのです。

さて、発達上の困難を抱えている子どもは内心に「なぜ自分はいつもこうなんだろう。」という純粋な疑問とともに自己嫌悪に陥りやすい傾向があります。この2つは能力と存在意義なので本来分けて考えることであり、この2つを分けてメタ認知を促進することが私たち教育者の大切な役割でもあります。

よってクールダウンの時間を設けたとしても「私が悪い。ごめんなさい。」と結論付けさせることは大きな過ちです。これは能力とともに存在を否定することになるからです。そして謝罪は必要かどうかを振り返ったときに少なくとも自分のみの配膳分をひっくり返したのであれば誰に迷惑をかけたわけでもありません。仮に片づけを手伝ってくれた友人がいてくれたとしたら感謝はあって良いでしょう。

そして気を付けます、だけではなく「1つずつ運んだら全部ひっくり返すことはないね。」「最後に運べるようにしたら?」と提案ができたら良いですよね。

もちろん、こうした提案も翌日に忘れられてしまうこともよくありますけど(笑)

1人の時間とは何をするわけでもなくぼんやりできる時間です。

しかし多くの場合何か失敗をしてしまった後の1人の時間はいや応なしに自分のやってしまったことへの反省が伴います。

私たちが1人の時間がほしいときというのも、忙しくて自分のことを考える余裕が無かったり失敗が続いて落ち込んでしまったり自分の中で思い出を振り返りたかったりと自分の気持ちを整理するために1人の時間が必要だと理解しているからだと思います。

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