見出し画像

おおきく息を吸い込んで

わたしのTwitterから。

***

いつも、断崖からひとりで叫んでるような気持ちで作歌しているので、♪とか、♡とか、評など。いただけると、届いた!という気持ち。になって嬉しいです。嬉しいのです。。

***

きょう呟き立てなもの。ですが。

わたしは、短歌を作っています。今年七月末から始めました。正確には、十年ほどまえにある日記コミュニティの中でそれらしいものを、短歌と意識せずにぱかぱか書き捨てていたときがありました。書き捨てなんで、ひとつもとっては無いし覚えても思い出せもしません。わたしとしては、飽くまで書き捨てだったので。

短歌との出会いは学校の教科書。という味気も色気もないものでした。ただ、

金色の小さき鳥のかたちして銀杏散るなり夕陽の岡に

という一首だけは忘れられずにいました。最近になって、この歌を詠んだのは与謝野晶子だと知りました。ふふっ。間抜けだ。

そののち、いくつの頃だったかは忘れてしまいましたが、愛を想う(東直子) というイラストと言葉の見事な融合を果たした本に出会いましたが、それが短歌である。とは気づかず、散文詩の本だと思ってました。また、間抜けだ。

そして日は過ぎ時は流れて、今年2019年7月末。どんどん言葉が溢れて溢れて止まらなくなりました。慌てて適当なノートに書き留め、溢れては書き留めて。が三日三晩と文字通りに続いて不眠不休のわたし。ただ一つ気がついたのは、この言葉たちには一定のリズムがあること。5とか7とかで言葉たちをくくる事ができ、やがてまとまりを見せて5、7、、5、7、7。と形を成していったワケです。あ、これ短歌形式に嵌るじゃん。じゃあ、短歌にしよう!そうしよう!

なんて単純なんだろう。カンタンな頭が出来ているのでまあ、こんなもの。なのですが。そうしてわたしは七月末以来ぼちぼちと作歌を続けているのです。だから、短歌の世界の、難しいことなんて何一つ分からない。否定しているわけではないです。勉強する気はあるので、古本買っては図書館通って、と貧乏ひま、、?をフル活用。生活能力と体力と行動範囲とお金に限りがあるので、そのなかで。出来る範囲で。出来、とかまあ色んなところをすっ飛ばし紙と書くもんが有ればなんとかなる!使うのは、心と頭!

となった時。わたしは心に不自由があるのです。長いこと、感情鈍麻(字から察してください)であったわたしはまず、伝える、という情動が圧倒的に弱かった。だから、ひとりでもぞもぞしていた。ら。うたの日、というサイトを見つけました。毎日お題(詠題)がでて、毎日ひとがいる。短歌を詠みに集う人々。歌われる歌たち。♪に♡に時には選評も。楽しいなあ。が、今に至るわけです。独りぼっち感が強いわたしでも、やっていける。そしてお約束どおりに、わたしも作った歌を誰かに見て欲しくなる。なんの策略だ。自分のせいだ。

ここで、はい。短歌独りで始めました。短歌仲間が一人も居ません。ひとりには慣れているのでまあ、まあ、、。だいたいこう言う事って、まあなんとかなるもんで(経験上)そのうち、ネット上で短歌仲間が出来るかも知れませんし。どこかの歌会に飛び入りとかする機会があるかもしれないし。手っ取り早いのは、結社に入ること。なのですがなにせ貧乏。会費が払えないー!!!

ので。いまは絶海の孤島に。その断崖から独り叫んでる状態です。運が良ければ、まあ、どこかの誰かに届くだろ。だから、おおきく息を吸い込んで。

ちゃんとするって向いてないから うっかりだけが人生だ