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絵を描く理由

なぜ絵を描くのか。

私の場合最初は「承認欲求」だった。
今日ははじまりのお話。


絵を描いていこうと決めた時、私は福岡から東京に引っ越して来て、学校に馴染めず、家庭内もごちゃごちゃで、自分がどんな存在なのかわからなかった。

学校からの帰り道、ふと立ち寄った古い画材屋さん。グラデーションに並ぶ絵の具を見るのが好きで、何度も通った。
母がデザインの専門を出たこともあり、私の表現方法の一つに「絵画」の選択肢が普通にあって、なんとなく描く日々。

そんな中、画材屋の店長さんに渡された美大予備校の無料体験チラシ。美大なんて考えてなかったけど、行ってみる。行くとあったのは、テーブルの上にテニスボールとサボテン。とにかく必死で、はじめての木炭デッサンをやってみる。

「下手くそだけど、このサボテンが一番生きてる」と言われ、喜びを感じる。
「念じれば伝わる」「一生懸命描いた絵画は私を絶対裏切らない」そんな確信めいたものが、私の心を埋めていった。

絵を描くことは、自分を自分として認めてあげられる、自分を承認してあげる「自分への承認」が出来た。

そして、中学時代の美術の授業を思い出し、「ハマりこむ、夢中になれるもの」だったことを思い出した。それからは、学校も休みがちになり、朝も夜も絵を描き続けた。
美大予備校に通いたくて、バイトも始めた。
私は私の人生を生き始めた。与えてもらうばかりの子ども時代から、少し、自分で選びとって行く大人みたいなものになっていった。
(つもりでいた。もちろん生活費も高校の学費も出してもらい、自由に絵を描ける環境を与えてもらっていたのだから、全然自立ではなかった)

学校にあまり通わなかったけど、友達はいた。
福岡の友達と毎日のように手紙をやりとりした。
手紙にはその時自分が感じてること考えてることをツラツラと吐き出していった。その行為は自分を形成していく中で、かなり大きな作業で、確認と疑問をずっと手紙にぶつけていた。

たまに学校へ行くと、学校でも手紙を描き続けた。
学校へ行かず、自由に美術の道へ進んでいく私に友人たちは暖かった。私が学校に馴染めなかったのは、お嬢様学校だったから。彼女たちは、とにかく穏やかで優しかった。すんなり転校生の私を受け入れてくれることに違和感を感じていた。ただ、私がひねくれものだったから。
でも、周りの子たちも悩んでいた。少なからず親たちを安心させる大学を選んだり、その為に努力したり、思春期だし、それぞれに悶々としていたんだと思う。そんな中で私は稀有な存在だったんだと思う。「絵を描いて生きていく」と決め、学校では禁止されているバイトしながら予備校代を稼ぎ、絵の具まみれの腕で登校し、家庭内がぐちゃぐちゃだったおかげで、大人への期待も、男の人に対する期待も何もない私の考えは面白かったんだと思う。
10人近い子たちと、それぞれに文通をした。授業中に回すような小さな手紙じゃなくて、A4サイズぎっしりの、決意と確認の手紙。

私が絵を描いていくことは「周りから認められる」大切な行為になっていった。

自分自身と周りから認めてもらう為の美術。
これが、私の絵を描く最初の理由です。
ここから先はまた明日書きたいと思います。


プロフィール、コンセプトもちょこっと追加しました。
irobako.iro@gmail.com

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