歌詞勉強 きらり 藤井風


今回はシンガーソングライターの藤井風の楽曲より、きらりについて勉強していこうと思います。
相変わらずこれが正解ではありませんので、あくまで、考察や勉強の一助として読んでいただければ幸いです。

一定のテンポで刻まれるビートにリズミカルなギター、ブリブリした動くベースラインによる軽快さと
韻のノリの良さが気持ちのいい楽曲になっています。

この楽曲の歌詞のテーマとしては、変わるものと変わらないもの だと思います。

さっそく勉強していきたいと思います。

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「荒れ狂う季節の中を二人は一人きり さらり
明け行く夕日の中を今夜も昼下がり さらり」


Aメロから始まります。
「二人は一人きり」、「夕日の中を今夜も昼下がり」と相反するような文章が使われています。不思議な感じがしますね。

そしてさらりはさわやかな様、思い切りのよいさま、どとこおりのないさまなどを表す言葉です。
解釈としては、どんなことがあっても、淡々とただ過ぎてゆく時間の中を、誰もが一人きりで過ごしてゆくということでしょうか。

音としても同じ母音の「荒れ狂う」と「明け行く」、同じ文章の「の中を」、「一人きり」と「昼下がり」と
最後が り で終わり、さらり と更に り で終わる。と ここだけでも歌のリズムを重要視した歌詞になっています。


「どれほど朽ち果てようと最後にゃ笑いたい
何のために戦おうとも動機は愛がいい」


次はBメロ。
メロのリズムはあまり変わらず、音の違いでAメロとBメロに変化をつけています。歌詞としてはここはAメロと違って、かなり直接的な表現になっています。
韻の箇所は「朽ち果てよう」と「戦おう」、「笑いたい」と「愛がいい」の箇所ですね。


また、この曲の中では数少ない藤井風節が出ている箇所なのではないでしょうか。
藤井風は"何なん"や"へでもねーよ"など岡山弁を使った歌詞が印象的です。歌詞の男っぽさというか、言い方が悪くなってしまいますが、粗暴さ粗野さみたいなかんじと、楽曲のおしゃれさが完璧にマッチしているように思います。これが"シンガーソングライターの藤井風らしさ"なのだと思います。
ここでも「最後は」と普通だったら来るところを「最後にゃ」と言葉を崩しています。


「新しい日々は探さずとも常に ここに
色々見てきたけれどこの瞳は永遠に きらり」


そしてAメロに戻ってきます。ここでは一度テーマの変わらないものについて触れています。
新しい日々も瞳の輝きも自分はずっと持っているんだと書いています。

「ここに」と「永遠に」、「きらり」と音韻を挟みつつ、タイトル回収も一度行っています。


「あれほど生きてきたけど全ては夢みたい
あれもこれも魅力的でも私は君がいい」


そして再びのBメロ。
韻の箇所は「あれほど」と「魅力的でも」、「夢みたい」と「君がいい」の箇所ですね。
そして一行目は「ど」、二行目は「も」と前半部分が統一されています。

歌詞内容としては、一行目はどこかマイナスなイメージの歌詞で、
二行目はプラスのイメージという対比になっています。
ただ一行目に関しては後ろにつく言葉によってイメージが変わりますね。
夢みたいにいい感じだったのか、夢みたいに空虚なのか。恐らくは前者なのかと思います。


「どこにいたの 探してたよ
連れてって 連れてって
何もかも 捨ててくよ
どこまでも どこまでも
荒れ狂う 季節の中も 群衆の中も
君とならば さらり さらり
新しい日々も 拙い過去も 全てがきらり」



サビです。一人きりで歩いていた私と君が漸く出会います。
君とならどんな困難からだってすんなりと抜け出せるし、君となら今までもこれからも全てが輝いて見えるから
だから連れて行って という内容になっています。

韻の箇所について抽出します。「どこにいたの」「探してたよ」「何もかも」「捨ててくよ」「どこまでも」
「季節の中も」「群衆の中も」「新しい日々も」「拙い過去も」と母音が"お"になっています。
そして擬態語の「さらり」と「きらり」。抽出するだけで、ほぼサビを網羅しています。
とことんリズミカルに、ノリを大事にという考えが伝わります。勿論音だけではなく、言葉のイメージ、
語尾に関しても全てに気を付けているのだと思います。


さて、サビではAで使われていた言葉が使われています。
前に書いたかと思いますが、自分の場合は基本的にA・B・サビで言葉が被らないように気を付けています。
くどくなるのを防ぐためなのですが、別に同じ言葉を使うことが悪いとは思っていません。メリットはもちろんあります。
まずはイメージの持続化。A・B・サビと展開はさせつつも、歌詞のイメージは崩さないことで、想像する映像が常に
繋がっているようなイメージがでます。
それから印象付け。同じ言葉を使うことで、伝えたいことや言葉を印象付けることができます。
若しくはJPOPのようなA・B・サビとして考えていないのかもしれません。
区切りを付けず、verse,chorus という決まりだけで考えているのかもしれません。洋楽的な考え方っぽいですね。


「無くしてしまったものを振り返って ほろり
時には途方に暮れて ただ風に吹かれて ゆらり」


2回し目のAメロです。新しい擬態語が使われています。
ほろりは涙などが零れ落ちるさまを、ゆらりはゆっくりと揺れ動くさまを表しています。
勿論、韻としてどちらも"り"で終わっています。もしかしたら擬態語だけ決めてそれから構築していったのかも?


「息せき切ってきたの
行き先は決めたの
迷わずに行きたいけど保証はしないよ
何か分かったようで
何も分かってなくて
だけどそれが分かって本当に良かった」


2回し目のBメロです。
息せきは急ぐさまのことです。あまり聞かない表現です。語彙が多いことは良いことです。この表現したいけど
文字数合わないなーというのをもしかしたら回避できるかもしれません。
ここでも韻が踏まれています。前半は「きたの」「きめたの」「しないよ」と母音が"お"で終わり、後半は
「何かわかったようで」「何も分かってなくて」「それが分かって」 と母音が"え"で終わっています。
下に関してはわざわざ整えなくてもこの文なら勝手に母音が一緒になりますね。
破裂音のか行、は行などは多く使うとリズミカルになります。これもこの楽曲の疾走感の一助になっていると思います。


上では書きませんでしたが、おんなじメロの動きをしている箇所は同じ歌詞か母音にするとリズム感がでます。こういう作詞をしたいという人はそこを気を付けて書いてみましょう。


「新しい日々は探さずとも常に ここに
常にここに ここに
色々見てきたけれどこの瞳は永遠に きらり
永遠に きらり」


これまでのAとすこし違ったメロになります。1回し目2回目のAメロからの変化ですね。
無理に新しい言葉を使わず、メロによる変化で違う印象を受けますね。


「生きてきたけど全ては夢みたい
あれもこれも魅力的でも私は君がいい」


3回し目のBメロです。1回し目と同じように見えますが、入りが違いますね。
あれほどの部分がなくなっています。これは前の部分、「永遠に きらり」がある影響だと思います。

それにしても「あれもこれも 魅力的でも私は君がいい」の部分。いい歌詞ですね。語呂もいいですし、他の物をマイナス表現せずに、君が一番だということが表現されています。この曲にマイナスイメージは合いませんしね。


「どこにいたの 探してたよ
連れてって 連れてって
何もかも 捨ててくよ
どこまでも どこまでも
荒れ狂う 季節の中も 群衆の中も
君とならば さらり さらり
新しい日々も 拙い過去も 全てがきらり」


ラストサビは繰り返しになります。サビが2回なのでまったく同じですね。これも洋楽っぽい考え方だと思います。

新しい日々などは探さなくても常にやってくるものですが、君=人とのつながりは迎えに行かなくては見つかりません。
そして「何もかも 捨ててくよ」ですが、これは藤井風の思想、考えなのかなと考えています。
「帰ろう」でもそうでしたが、物質よりも思いを大事にする人なのだという印象を受けます。


"何もなくても、君とならすべてが輝いて見える"


これがこの楽曲を通して言いたいことなのかなーと思います。


いかがだったでしょうか。こうしてみると、擬音語や音韻をフルに活用していて、とてもポップな曲ですね。歌う人によって、イメージが崩れない。誰が歌ってもいい、そんな歌詞になっています。
アニソンとかジャニーズだとかの曲として出されたとしても、違和感はなかったと思います。
ブラックミュージック的要素が下地にある藤井風の曲は、ここ最近のシティポップの再流行だったりの流れの中で、流行りと独自性の両方を兼ね備えていると感じました。流行りの中でも埋もれないらしさ。

それが藤井風の魅力なのだと思います。


また修正箇所などありましたら、その都度修正していきたいと思います。やってみてほしい歌詞などありましたら、言ってくださるとうれしいです。





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