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【小説】私立図書館との出会い②

40歳独身の私。ある日砂利道の先にある不思議な私立図書館に出会った。その図書館で私は自分の将来について少しづつ考え始めた。

一人がだんだん近くなる

今まで不器用ながらも一生懸命仕事をしてきた。人より不器用な分遠回りだったかもしれない。

色々な壁に当たっては、挫折したりあきらめて折り合いをつけたりしながら前に進んできた。理不尽な事にも自分の中で折り合いをつけながら自分の納得する理由を探してどうにか前を向き直してきた。どんなに理不尽だと思っても、「もし私がこうしてたらこんなことにはなってなかったのかも知れない。」という理屈を探すことは、気づけば癖になっていた。どんな時も簡単に手に入れた人生よりはきっといろんなところにぶつかったほうが深いんだと信じてやってきた。この考え方もきっとその癖の一つなのかも知れない。

そう思いながら生きてきてたくさんの人に助けられながらそれなりの結果も認められおかげで今の自分の立場がある。そして今それに不満も後悔もない。


 今では、生活に困ることもなくちょっと贅沢な暮らしをしても貯蓄をすることができる。もちろんそれなりの給料をもらった代わりに責任もついてきた。今の私には責任と同時にやりがいと居場所がある。「何も不満はないし足りないこともない。認められ結果を貰ってるのだから…」いくら自分をそう言い聞かせてももう一人の自分が私に話しかける。
 
 「あなたから会社とったら何が残るの?」
 
 そう思うと漠然とした不安に襲われる。その不安を払拭する様に私は、自分に新たな目標を掲げる。不安になるのは、目標がないからだ。

視点を変えて目標とその理由を考える。40過ぎた事を機にそろそろ第一線から退く準備を始めてもいいのかもしれない。少し余裕がある仕事の仕方をしていかないととこれから身体の無理も効かなくなることを考える。短距離選手のようなダッシュではなく少しゆっくり長距離を走る気持ちで走ろうと。40代は転換期だ。部下との距離も一緒に頑張るよりは、頑張ることを促す側の関係に変えていくにはいい機会だ。みんなの気持ちを察することが出来る欲しいところに手が届くそんな上司になろう。

 そうして目標を立てても今回ばかりは、うまくいかず相変わらず虚しさばかりが押し寄せてくる。私から仕事をとったらなにもないの根底にずっとあるしこり。
   
「 結婚してない私は不完全なのではないか…」

年をとるごとに今まで一緒に食事を楽しんだり旅行をしたりした友達は、一人また一人と結婚し子供ができ生活リズムが違ってきた。そして私は今までその友達と過ごしてきた時間を持て余す様になる。持て余した時間で私は、どうして結婚できないのだろうと考える。30代そんな不安から私は、何かを探すように限りなく贅沢をしたり飲み歩く夜を過ごすことに時間を費やす。結婚した友達が、今できない事をしないと…そんな焦りを感じてしまう。その焦りや不完全さを隠すようにシャンパンパーティーに参加したり贅沢な一人旅をしてみたり…あなたたちにはできない経験をしないと私には何も残らないと言わんとばかりにお金を使う。私は、そう思いながら30代を過ごした。大胆な無駄遣いだけがあの時の私の焦りと不安の穴を埋めてくれた。
 確かに楽しかったしとても充実した毎日だった。しかし、その時間を過ごした今の私には何が残ったのだろうか。結婚した友達は、その間子育てをし家族との時間を過ごし少しづつ自分の城を築き上げていった。かわいい子供たち、そして旦那さんに必要とされる毎日。それは、約束された未来に向かって永遠と続く幸せへの道。彼女たちの未来は、どんどん人が増えていく寂しくない道。私の未来にはそんな道が見てない。私が過ごしたあの華やかな時間は、私に何の未来を約束してくれたのだろうか…なんて思う。
 
 だんだん一人が近くなる。
 
 独身でいると言うことは、一人がだんだん近くなることなんだろうか。独身でいると言うことは、生きると言う未来が少し怖くなることなんだろうか。時間の流れが成長ではなく老いという言葉になっていく。きっと体も思う様に動かなくなっていく。そして友達はどんどん減っていく。

そんな漠然とした不安の中で、私はこの図書館に通う。やるせない現実を忘れるため。自分の自尊心を保つため。

ここは、世間で演じている私を知ってる人が誰もいない空間。何もせず一人で過ごせるけど干渉する人はいない一人があつまる空間。一人で家で過ごすには寂しいけど誰かと過ごすには居心地が悪い。人の体温を感じながらも一人でいたいというわがままを叶えてくれる空間。
 そして何より一部の人だけが知ってる特別に選ばれた人しか知ることができない空間。神様がタイミングを与えてくれて勇気を出して入った人にしか持てない時間。という優越感がある。

そう自分に言い聞かせて私にはその優越感が、私が無意識に結婚や子供の代わりに何かを手に入れようとしていると思い愕然とする
 他人に左右されるのは、自尊心が足りたないからなのだ。わかっているのに不安から逃げ出すことができない。堂々巡り…
 もうすでに私は、誰かと比べないと自尊心が保てなくなっているのかもしれない。


毎夜この図書館では、11時を過ぎるとグレゴリオ聖歌が流れる。あと1時間で閉店の合図。男性の声で構成される拍子のない無伴奏の音楽は、1600年も前から人々に口伝えで広まった神に捧げられる聖歌だ。その声は私の心に深く染み渡り雪のように降り積もる。
 
 


マダムって歩くんだ

お前には何も残らない。

グレゴリオ聖歌を聴きながらそう言われた気がした。口伝いに伝えられた聖歌は今も残る。なのに私から仕事をとったら何も残らない。

世界中に蔓延した伝染病。旅行会社に勤める私の会社は大打撃となり、1ヶ月ほど会社を閉めた。その間私の携帯電話は全く鳴らなかった。私は持て余した時間に何をしたらいいのかわからなくて途方に暮れた。自分が何が好きで何をしたいのかがわからなくて唖然とした。私には何もないのだと実感した。目の前の仕事が私から湧き上がる何かだった。1600年人の伝えて行きたいと湧き上がる気持ちで伝えられ残った歌声と何も残らない空っぽでカラカラの私とが重なっていたたまれなくなった。

何も残らない事を知ってしまったばかりに生まれる苦しみ。そう思ったらなんだかもう今まで張り詰めていたものが一気にこぼれ落ちてしまった。私はまるで幽体離脱したかのように心も感覚も実体から離れてしまった。もうどうでもいい…そう思った瞬間だった。
 『よかったらどうぞ』
 突然どこか遠くから声が聞こえた気がした。朧げな意識の中で目を凝らすとマダムが立っている。マダムって歩くんだ。そんなことを思いながら声の出し方を忘れてしまっていた。やっとの思いで小さな声でつぶやいた。
 『ありがとうございます。。。』

 机の上には、透明で小ぶりのコーヒーグラス。濃い茶色の飲み物から湯気が上がっている。あったかさを感じながらカップを手に取り口に運ぶ。温かくて甘くて力強いかおり。その温かさが空っぽの身体にじんわりと染み込んでいく。
『ホット・バタード・ラム。寝酒にはぴったり。ゆっくり眠れるわよ。』

 ホット・バダード・ラムは、イギリスの代表的なカクテルで角砂糖にラムとお湯を注ぎ上にバターを少しだけ浮かべるカクテルだ。
 どこかに幽体離脱した気持ちと感覚が少しづつ身体に戻ってくる。まるでこのカクテルが体に入ることで少しづつ血が通い始めるように。
 『死んでしまうところだった…』
 ついこぼれた私の一言に今度はマダムがびっくりした様にこちらを見る。そして静かに私に語りかける。
 『確かにどこかに行ってしまった様な顔をしてたわ。』
 そう言いながらマダムは、ゆっくり笑った。少し遅れて私は、なんだか恥ずかしくなり照れ笑いをした。
 『なんだかすみません…』
 何がすみませんかもわからずつい口癖の様に謝ってしまう。
 『いいのよ。生き返ってくれてよかった。』
 そう言いながらマダムは定位置へ戻っていく。それが私とマダムはじめての会話。



 今日は、デパートにいる。気持ちも少し華やぐ。プレゼント用にお気に入りのマリアージュ・フレールの紅茶を買いに来た。誰かにプレゼントを選ぶってこんなに楽しかったかしら。マダムの顔を思い浮かべながらひとつひとつ茶葉の香りをかぐ。純粋に誰かの顔を思い浮かべながらプレゼントを選ぶなんて久しぶりだ。いつも機械的にリサーチしたその人の好きもの譲歩を自分の分相応を考えながら選んできた。無難で少し気が利いててリサーチに沿った物で…でもそこには、相手の顔はなかった。
 
 デパートを出ていつもの砂利道を歩く。
 この階段こんなに短かったんだ。最近階段を登る時は、気持ちが落ち込んでいてとても長く高く感じていた事に気づく。重いとびらも今日は、少しだけ軽く感じる。
 『こんばんわ』
 そう言って足を一歩踏み入れる。いつもと変わらない空気。いつもと変わらないマダム。いつもと変わらない時間の流れ。それを見て自分が少し浮かれていたことが恥ずかしくなってくる。
 『先日はありがとうございました。』
 そういうことが精一杯だった。いつも通り本を選び居場所を探す。いつも変わらない。だから落ち込んだ時も私は、なんの抵抗もなく入ることができた。そして今日もいつもと変わらない。それがいいのだ。買ってきたばかりのデパートの袋を差し出すつもりだったのになんとなく無粋な気がして渡すことができなかった。さっきまであれほど楽しく選んだのにそんな自分が恥ずかしくすらなってくる。いつも通りの気持ちを取り戻しそしていつも通り本を読む。気持ちのソワソワがだんだん落ち着き本の世界へ入っていく。

気づけば今日もグレゴリオ聖歌が流れ始める。11時。ゆっくりと目を閉じながら少しだけ耳を傾ける。美しい旋律の響き。昨日は、辛く苦しい気持ちになったこの曲が、今日は一日が終わっていく切ない様な安心したような気持ちに変わる。ゆっくり音楽をきき少しづつ目を開けると本の世界から現実へと戻ってきていた。

さて帰るか…外に出る。空にはまあるいお月様があった。久しぶりに月を見た気がした。前回見た月も満月だった。月が少しづつ削られていって新月となりそしてまた満ちていって満月になるまで気づかなかったなんてどれだけ私は、毎日下を向いて歩いていたんだろう…デパートの袋を手に持ってお月様を見ながら帰り道を月明かりの元歩いた。何も解決なんてしてないのに今日は、こんなにも心が軽い。
 翌日、私はまたデパートの袋を片手にし私立図書館をおとづれる。なんとく渡せなかった紙袋の中には昨日マダムを思って選んだ紅茶が入っている。もし今日も渡せなかったらその時は私のものにしちゃえばいいわ。と自分に言い聞かせる。
 『こんばんわ』
 袋をぎゅっと握って扉を開け足を一歩踏み入れる。いつもと変わらない空気。落ち着く感覚。袋を握っていた手が少しづつ柔らかくなる。いつものように本を選び椅子を選ぶ。気配は感じるけどお互い気にかけない信頼感。一人じゃないという安心感。結婚ってこんなものなんだろうか。そんなことを考えながら今日もまた本を読む。

手に取った本の主人公は。今日も大切な物を探している。探しながら壁にぶつかり騙されそれでも人を信じることだけはやめない。私はだんだん本の世界に没頭する。
 気づけば今日もグレゴリオ聖歌が流れる。昨日の月を思い浮かべる。目を閉じこの歌を教会の窓からもれる月明かりの下で聴いてることを想像する。拍子のない無伴奏の歌声と月明かり、時間の感覚がなくなっていく。
 
続く







 
#間借食堂 #小説  



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