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映画『瞽女』を見て

ネタバレを含みますのでご注意ください。今回の記事は映画を見た私の忘備録です。忘れないでいたい気持ちと思ったことをただ文章にしただけですのでとても独りよがりだと思います。

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瞽女とは、親しくは瞽女さんと呼ばれ三味線などを奏で語りをしながら各地を門付して歩く『盲目の女旅芸人』のことです。視力ある手引きを先頭に親方・弟子と前を歩く人の荷に手を触れ動きを知り右手に杖を持ち足元を確認して旅をして瞽女さんを待ち望んでいる山村劇地の村人に瞽女唄を届けたのです。

恥ずかしながら私は、この映画を見るまで瞽女さんという言葉すら知らなかったのです。知ることができて良かったと思いました。

この映画は、盲目としてまれた少女が瞽女になり親方になるまでの半生を描いた作品でした。

正直に一生懸命生きていれば神様が見ていてお陰を下さる。人を羨ましがらず・差別せず・恨まず過ごす主人公の生まれてからの姿が描かれていた。

私は、この映画を見て自分自身が新しい種類のイチゴを求めてしまっていたことに愕然とした。

<少し突拍子もない例えになってしまうけれど……>

イチゴを食べたことがなければイチゴを食べたいという欲求は生まれない。でも一度でもイチゴを食べてしまうとまたイチゴが食べたいと思う日がやってくるのだ。そのうち苺を食べられるということは、当たり前になって気づけば甘い種類の別のいちごが食べたいという欲求に変わってしまっている。残念なことにひいては、買ったイチゴが甘くないと少しイラッとしてしまう始末だ。初めはイチゴが食べれただけであんなにも幸せだったのに……

幸せを感じるには、たくさんのことを知り過ぎてしまったなと思った。そして知らなかった頃には、もう帰れないんだと落胆した。それでもこの映画を見ていると、初めて食べたイチゴの時と同じ幸せはもう感じる事はできないけれど感謝を増やす事とはできるのではないかと思った。作った人の苦労を知り流通する人の細心の注意を知る。そうやって食べられてよかったとありがとうと感謝を増やす為の知ることをしていきたいなと思った。

目が見えないということは、まずたくさんのことを諦めることから始めないといけない。諦めるということは、大人でも辛いことなのに主人公は、子ども時代からまず明るい世界が見える人と同じようにすることを諦めそしてその上で同じようにできる努力をしていく。出来ないことを恨まずできる人を妬まず自分自身を卑下せずまずは受け入れて努力していく。どんな辛いことも修行だと思い感謝という気持ちに変えて飲み込んでいく。もしかしたらどこかで一人では生きていけないと思い続けていたのかもしれない。彼女にとってのそれが当たり前だったのかもしれない。主人公はどんな苦しいことでも飲み込んで感謝に変えていく。

それを当たり前として生きていく彼女の生き様を見て私はとても苦しくなった。私には、私自身の欲・奢り・羨み・妬み・嫉み・やっかみなどの尖った矢が一斉に自分に刺さってきた。陰で人の悪口に愛想笑いすること・赤信号を渡ってしまうこと・羨ましくて意地悪な気持ちを持ってしまうこと・生きるには必要のない感情とどれだけ戦っているのだと。生きるのに必要のなとるに足らない感情にどれだけ支配されているのだろうと。

同じなら限られた時間そんなことに使わず同じ使うのなら感謝を増やす知識を得ることにつかおうと思った。


最後にこの映画の主人公のモデルとなったハルさんの96歳の時の歌の録音が流れる。この映画は、この最後の唄を聴くだけでも価値がある。


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