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氷の課長

「これちゃんと考えた?どこのこと言ってるかわかる?やりなおし。明日朝まで」
課長の声が聞こえる。

私はこの部署に配属が決まりみんなから可哀想だねといわれた。
その理由は、この課長にある。
とにかく厳しいと評判で氷の課長といわれている。仕事以外の会話は少なく何を考えているのかわからない。部下からの評判が悪いからか直属の上司からの評判も良くないことが多いようだ

この部署にきて3か月。
氷の課長の意味が分かってきた。
直接的な注意・怒りを逆なでするような言い回し・情がまったくないぴしゃりという言葉がぴったりの言葉尻。
口癖は『ちゃんと考えたの?』『考えてこれなの?』部下としては何もわかってもらえないと思う事も多かった。こちらが感情的になっても課長は冷静で正論でぐうの音もでなかった。私たちは、周りから可哀想な課の人という目で見られた。内示が出た日大変だねと顔ぐらいしか知らない人に声をかけられた。
課長は部下の信頼があるはずもなく、この課で課長を飲みに誘う人はいない。
たまに仲間内で飲みに行く事はあるが課長に悟られないようにとそれぞれ退社時間をずらすほどの徹底様だ。

前の部署の部長もそんな氷の課長の部署に異動になった私を気にかけてくれていたのか移動から半年ほどたったある日飲みに誘われた。
『新しい部署にはなれたかね?』
そんな風に聞かれたしまったものだから私はずっと我慢していた事や氷の課長が部下からどれだけ慕われてないか等の愚痴を話してしまった。
言った後でなんだかもやもやした。
私が話をしたことはまるで課長へのいちゃもんだったから。
他人に話して気付いた。課長は間違ったことを言ってないし贔屓もしない。結果が良ければ言葉少なくではあるが褒めれくれる。人間関係は目の前の事だけを解決しようとせず問題を見極め注意する。権力にはしっぽを振らないし人間関係の序列で物事を評価しない。よく考えると頑張るだけきちんと報われる環境だと気づいたのだ。私は本当に可哀想なのか?


その氷の課長が、ある日突然直木賞候補かもという噂が持ち上がった。
噂は、たちまち社内に広がり会社より本人に確認があったようだった。そして正式にその噂が本当であることが明るみになった。
休日には、マスコミの取材も受けているようで対談などもしているようだ。週刊誌で写真を見た等という人も出てきた。

そうすると周りの態度が突然変わり始めた。あれだけ評判の悪かった課長にすり寄ってくる人がこんなにもいるんだとびっくりした。手のひらを返すというのを目の前で初めて見た。
課長は何も変わらなかった。
言葉少なくきつい物言いと『考えてるの?』の口癖、ぴしゃりとした言葉尻。態度も服装も何ひとつ変わらなかった。変わったのは周りだけ……
とうとう課の中も『課長本書いて数字上げてなのに可哀想な事してたな。』と氷の課長と揶揄してた人がいいはじめた。そんな課長に飲み会も誘わず悪口ばかりで何も知らず可哀想なことをしたという空気に課内は一気に変わり、びっくりした。

同時に課長や課長にしっぽを振る人に対する反発グループが出てきた。今まで氷の課長って言ってたのに突然寝返って人として信じられない。としっぽを振る人達を軽蔑し課長もちやほやされていい気になってるけどこんなの一時的なものよ。と僻みめいた事を言った。


直木賞候補にはなったものの課長の作品は、受賞することはできなかった。
周りは、それから課長を腫物を触るように扱った。まわりはだれもその話をしなくなった。
それでも課長は変わらなかった。

唯一その話をしていたのは、なんと反発グループの人たちだった。
突然課長の味方をし始めたのだ。
氷の課長といわれたかと思うと直木賞であれだけ持ち上げといて受賞しないとはれ物に触るように扱ってそのうちまた氷の課長だからと文句言うにきまってるひどいわよね……と周りを非難した。
そして課長独身だしきっと一人で夜本書いてるのよ。結局直木賞も受賞できなかったし、そんなの寂しいし可哀想よ。
そのグループの中で課長は可哀想な人になっていた。課長は何も変わらないまま周りがどんどん変わっていった。

そんなことも忘れ去られたころ、氷の課長が昔書いたという短編がマスコミで取り上げられた。
ネットのみの販売の作品だったが反響はすごかった。それはある女の人の社会に出てから数十年の物語だった。
学歴の無い彼女が努力に努力を重ね会社にいいように使われ転職を重ね同僚にねたみやひがみを持たれながらも頑張ってきた物語だった。
同一労働統一賃金・人事評価・ハラスメント・仕事のネグレクト・会社の人間関係今のマスコミが欲しがる問題が詰まったもので何より可哀想な人の代名詞のような主人公が問題を乗り越えていくというのが世に受けた。だが会社の人がそのことに触れることはなかった。会社としても触れなかった。どこか自分に刺さるものがそれぞれあったのだろう。氷の課長は何も変わらず周りの人はどんどん遠ざかっていった。


その後課長は、一身上の都合により会社を辞めた。会社もすぐに辞表を受け取ったようで私たちの中では安堵が流れた。


私は、まだその会社で働いている。
氷の課長を近くで見ていた私はいつ何が自分に降りかかってもおかしくないと思った。
そして困ったときはすぐに可哀想になろうと思った。この会社で生き延びるためには、何かあったときに可哀想になる事が得策だ。



正しいことをしている人が報われない世の中でも、正しいことをしている人が損をしてしまう世の中ではあってはいけない

昔アイドルが言ったコメントを思い出した。

努力は報われない
でも努力してる人が損をするのが世の中だ

そんな風に自虐めいて思っていた時期の私にこの言葉は衝撃だった。

可哀想って何だろう。この物語は可哀想がどんどん移っていく。

可哀想な人は被害者だ。つまり必ず加害者を生む。可哀想は人を自分より少し下に見る感情だ。
つまり自分はこの人よりは、マシだと安心する。
可哀想を上手に使う人の近くにいるとある日突然加害者になる。
可哀想はこの国でとてつもなく怖い感情かもしれない。

#ショートショート #小説 #優しさ

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