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【小説】私立図書館との出会い③

40歳独身の私。ある日砂利道の先にある不思議な私立図書館に出会った。その図書館で私は自分の将来について少しづつ考え始めた。《一人がだんだん近くなる》そう思って愕然としたところに図書館の店主マダムがお酒を出してくれ正気を取り戻した。そして不思議なマダムとの不思議な会話が始まる。

私には何もない

グレゴリオ聖歌が流れる中で私は少しづつ本の世界から現実の世界へと戻っていく。ゆっくりゆっくりと時間をかけて本の世界も現実の世界も壊れないように戻っていく。

さて帰ろう。今日の月もきっと綺麗だ。そう思いながら入り口でふいに私に勇気がやってきた。
 『先日はホット・バダード・ラムありがとうございました。これよかったらお礼です。』
 口から出たその言葉に自分でもびっくりしながらも手に持っていた紙袋の中から紅茶が入った包みを取り出した。マダムは少し困ったよう首を傾げてゆっくり笑った
 『生き返らせてもらったので…』
 ふと出た私の言葉にマダムの困った表情は少しびっくりしたような表情になりそのあとすぐあの柔らかい笑顔に変わった。
 『命の恩人ってことかしら?ふふっ。ではありがたくいただきます。ありがとう。』
 私もつい笑顔になってしまった。
 その瞬間緊張の糸が解れ目に見える物が突然固まって意思を持たなくなる。無の世界。
 すると同時に流れていたグレゴリオ聖歌が聞こえなくなる。つい3日前の心と感情が直ぐに蘇り不安と諦めが押し寄せてくる。幽体離脱のような感覚。あの時の感覚が走馬灯のように次々と蘇る。私には、何も残らない。

ああ…そうだった。何をうかれていたんだろう。一人がだんだん近くなる。そうだその1人に向かって逃げることもできずただただ指をくわえて時間を費やしてるんだ。とにかく帰ろう。家に帰ろう。まだ人前でちゃんと出来る感覚が少しでもあるうちに少しでも早く…
 『ありがとうございました。』
 私が絞るようにしてどうにか出した声は、途中からマダムのしっとりとした声に覆われた。
 『よかったら1杯付き合ってくれないかしら?』
 目の前のマダムが静かな笑顔でこちらをじっと見ている。突然のことにぼーっとしてる私を見て首をゆっくり傾ける。
 『あっ…はい…』
 私は、そう答えていた。そう答えるのが精一杯だった。そしてマダムが進めるままさっきまで座っていた席についた。どのくらい時間が経ったのだろうか。足音のに気づいてその方向に目をやる。すると目の前にマダムが2つのグラスを持ってやってくる。
 『お待たせしました。どうぞ』
 そうしてマダムは、2つのロックグラスを持ってきた。どちらでも好きな方をどうぞ。
 グラスには、2つとも茶色の液体と大きな氷が入っていた。よく見ると茶色の明るさが違う。一つは琥珀色とでも言うのだろうか深い茶色、もう一つは少し茶色味が少し明るい輝くような茶色。ほんのりと甘い香りが漂ってくるがどちらのグラスから漂ってるのかわからない。まるで魔女からの問題みたいだ。どちらかには毒が入っていそうだもの。そう思いながら少し悩んだ末少し色が明るい方を選ぶ。
 『ありがとうございます…』
 私がグラスを手に取るとマダムがこちらをむいて少しグラスを持ち上げる。私もつられて軽くグラスを持ち上げる。ゆっくりと時間が流れる。口元にグラスを運ぶ。深く甘い香りが鼻をくすぐる。あのほんのりと甘い香りの元は、このグラスからだったんだと少しだけ嬉しくなった。甘いと優しいはこんなにも近いんだなと思う。甘さにこっくりとした深さが一緒になって優しくて暖かい香り。少し口に含む。濃い杏仁豆腐のような甘さが口中に広がる。しっかりしたアルコール。つい深い息が溢れる。いつの間にかグレゴリオ聖歌が聞こえるようになっていた。
 『ゴットマザーっていうのよ。きっとそっちを選ぶだろうと思ったわ。』
 甘い香りが口の中に広がるのと一緒にしっかりとしたアルコールが体内に入っていくのがわかる。
 

ふっと中学校の同級生のことを思い出した。その子は、下に4人姉を持つ5人兄弟の男の子で放課後商店街でよくすれ違った。いつも歳の離れた一番小さい女の子を連れスーパーの袋を抱えていた。優しい彼のことが気になっていた私は彼を意識的に見ることが多くなりそのうち彼がポケットに手を入れる癖があるのに気づいた。夏でも冬でもいつでもポケットに手を入れている。よく見るとポケットをゴソゴソしてることに気づいた。ポケットの中に何かある。そうなると中身も気になってもう気になってるのが彼なのかポケットの中身なのかどっちが気になってるのかわからなくなるほどだった。意を決した私は、思い切って聞いた。いつもポケットに手を入れているのはどうして?その時彼がこう言ったのだ。

「泣いてる女の子には、甘いものがいいんだ。妹たちが泣き出したりぐずり出したりする口の中に飴を一つ放り込む。そうしておくと気づけばご機嫌を直してなきやむから。」

そうして4人の姉妹のご機嫌を取るための飴を1つも私にもくれた。あの時はよくわからなかったけどこの甘いお酒を飲みながらあれは本当だな。と思った。

彼は今何をしてるのだろう。今でも飴をポケットに入れ女の子の涙を拭っているのだろうか。そんなことを考えてると泣き出しそうだった気分が少し落ち着く。甘いこのお酒はわたしの泣きたい気持ちを完全にどこかに葬り去ってしまった。

あの頃の私は、40代の自分は結婚して子供もいて慎ましき中にも楽しい毎日を過ごしているとなんの疑いもなく思っていた。一軒家に住み犬は買ってるだろうかということだけが不確定要素だった。

でも実際は違う。あの頃考えていた私が当たり前に持ってるというものを何も持っていない。犬どころの話じゃない。
 

『私には、何もないんです。』


何もない私とゴットマザー

『私には何もないんです』

 そういうことが精一杯だった。一度声にして出すと今まで頭で思ってた事が突然完全な現実になってしまったようで愕然とする。私には何もない。何ものこらない。今まで考えていた気持ちが言葉になって洪水のように頭の中に流れ出す。あの頃みたいに私の未来は、輝いてなんかない。時間が進むと同時にどんどん一人が近くなる。怖い。その気持ちにひきづりこまれそうになりながらギリギリのところで手に持っていたグラスを口に運ぶ。


 自分を取り戻さないと。流されてしまう…

 甘い香り後からやってくるアルコール。焦る気持ちと一緒に息を吐く。現実になるって思っていることを口に出すことから始まるんだなぁ。呆然とそう思う。マダムは黙ってグラスを見ながらお酒を飲んでいる。何も語らない私を気にする素振りもないマダムがそれでも近く感じる。その距離感がとても心地よかった。余計なことを聞かない。でも体温は感じる。一人じゃない。それは、ここの私立図書館そのものだ。私はなんとなく独り言のように話し始めた。


 『私、40歳なんです。そして独身です…周りは結婚していきました。私は結婚できなかった。みんなどうやって結婚してるのかわからなかった。今でもわかりません。なので私には、旦那さんも子供もいない。だからせめて今持っているものは、大切にしようと仕事はしっかりしてきたつもりです。

一人旅やパーティーなど私生活も充実させようとしてきました。でもそれは結婚していった友達ににあって結婚してない自分にないものを埋めるただの時間潰しだったんだなって最近思いはじめたんです。ただそのことに向き合うことが怖かった。向き合わないための時間潰し。

結婚して家庭を作っていった友達にはできないことをしよう。そうやっきになってたのかもしれません。そして気づいたら40歳になってました。』

そう言って少し喋りすぎてしまったと思いながらマダムを見た。マダムは黙って俯いていた。私にはその距離感が嬉しかった。まだしゃべっていいんだ。そんな気がしてまたぽつりぽつりと胸の内を話し始めた。
 『先月携帯電話の登録を整理しようと思い立ちました。そうすると登録メモリは会社関係の人ばかりでした。その時思ったんです。熱が出てどうしようって思った時に電話できる人がいないなって…薄々気づいてたんですけど見ないようにしてた現実。携帯見ながら不意打ちに見ないようにしてたもの見ちゃってその現実に驚きと情けなさでナミダが溢れてきてしまいました。
 会社なんていつ無くなるかわからないし私から会社を取ったら、この携帯から会社関係の人を取ったらどれだけのメモリが残るのかなって。結婚した友達には家庭を築いて未来の自分の周りにどんどん信頼できる人のメモリが増えていく。子供やその嫁やその両親そして孫…でもわたしのメモリに増えていく人達は、わたしが病気になっても電話すらできない人達…

私は、これから親が亡くなりそのうち仕事を退職しどんどん一人が近くなる。そんな風に思ったらもうなんだか歳を取るのも怖くなってきて…

私の未来には何もないなって』
 

マダムは黙って聴いていた。私は、突然やってくる不安の始まりが携帯電話だったんだと喋りながら思い出していた。外を見ると月明かりのおかげで夜が少し明るい。思ってることを喋ると少し心が軽くなったような気がした。言葉を口に出し心は軽くなったけど一人に向かい未来は現実になって重くなっていくような気がした。

今が夜でよかったなと思う。太陽の光を反射させて輝く月空の下でよかったなと。太陽は、今の私には眩しすぎる。明るい分色んなものが、まだ気付きたくない気持ちが透けて見えてきてしまいそうで怖い。


 そういえば久しぶりに月を見た夜私は、ここであったかいカクテルをいただいたんだった。一昨日のことなのに少し前のことのように感じる。そう思いながらグラスを口に運ぶ。
 

グラスに目を落としたままのマダムの方から声が聞こえる。
 『お花に花言葉があるようにカクテルには、カクテル言葉というのがあるの。』
 ゆっくりとそして大切に言葉を紡ぐようにその言葉と想いを声にそっとのせるように話し始める。マダムは私の方を見た。
 『今日あなたが選んだカクテルは、ゴットーマザー。ゴットマザーとは。カトリックで子供の洗礼式に立ち会って名前を与える宗教上の母親みたいな人のことなの。
 でもね、カクテル言葉は、なんて言うと思う?

続く



#小説 #間借食堂   #長編


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