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今の状況を文章にしてみる<雨の日のスクランブル交差点>

外は朝からシトシトと雨が降っている。湿度が高くて曇ってて、雨が音をたてるかたてないかギリギリの量降ってて、光の加減も朝なのか昼なのか夕方なのか分からないぐらいで、なんだかちょっと町がそわそわしてない時にシトシトという。雨が降って曇ってても人出が多かったり、音がしっかりしてるぐらいの量の雨だったり、狐の嫁入りと言われる晴れの雨だとシトシトとは言わない。つまり今日はそんな雨の日。

私はスクランブル交差点が見える2階の窓側の席に座っている。
下の交差点を見ると立っている人が動く気配がないので時間が止まってるのかと思ったが電光掲示板の中でいろんな宣伝がぐるぐると忙しく動いていてそれが何意味するのかわからないけれど時間が動いているという事を教えてくれているのは確かだ。
交差点が青信号になるたびに色とりどりの傘の波が一斉に動き始める。傘の下には、マスクをしている人の顔がみえる。上は傘で前もマスクでその下は服で足先は靴で何もかもを囲まれ、少しだけ見える肌でやっと人間なんだと確認する。もしかして見過ごしてしまったかもしれないが中にはホモサピエンス以外の物体が通ったかもしれない。
それにしても傘は、規則正しく青信号を信じて疑う事なく動く。そんな簡単に信じていいものだろうかと思うけれどきっとこの人達は、青信号を信じてるのじゃなくて青信号を守る人のことを信じてるんだと思うとただすごいなと思う。

1度の青信号で何人かの傘をささない人が現れる。
小走りで渡る人は必ず頭と肩をできるだけ近くし首を縮めるようにして走る。そんな事をしてもしなくても濡れる量は大して変わらないと思うのだが……もしかしたら彼らは首が雨に弱い人種なのかもしれないと思い直す。肌の色や血液型だけじゃなく太陽に強かったり雨に弱かったりそんなことでホモサピエンスを分ける事がどこかで研究されてるかもしれない。私が知らないだけで。世の中は私の知らないことばかりだ。
きっとあまり大きくもないこの交差点で走るのと走らないのとでは5秒も変わらない。そうやって考えるともしかすると彼らは雨に濡れると何かがバリバリ剥がれてしまったりするのかもしれない。
傘をささず堂々と歩く人もいる。彼らの上だけ雨が降ってないのかと思うほど堂々と歩く。きっとこの交差点で走ってる人と傘をささずに歩いてる人は結婚することはないんだろうなぁと思う。
不思議なのは、傘をさしてる人とさしてない人の2人組。相合い傘をする風もなくこの2人の間には大きな壁があるのだろうかと思うけれど普通に会話をしているところを見ると壁はないようでいわゆる個を大切にするというのはこんなところまで浸透しているんだと感心する。

まるでおもちゃの世界のように無機質なその空間で信号は何度も青になり何度も赤になり少しだけ黄色になる。その少しの黄色時に止まってた時間が突然動き出すようにゆっくりと少しだけ動き始める。青になり一度全てが整理されまた新しい人たちが集まるのを見ると信号が変わるたび新しい気分になる。

この中には、新しい人生を歩み始めた人も10年前の続きをし続けてる人もいるのだろう。寂しい人も楽しい人も嬉しい人も苦しい人もたくさんの人が交差して青信号を守ってそんな気持ちを隠してただ無機質に渡っていく。


私は席を立ちそしてさっきまで見てた交差点に向かう。音が聞こえる。息遣いが聞こえ声が聞こえ空気が流れる。さっきまでただ動いていたものに命が吹き込まれちょっとだけ寂しさや楽しさや嬉しさや苦しさが伝わってくる。私の瞳から突然涙が溢れだす。流れる涙はとまらないけれど歩く。さっきまで眺めてた交差点に命が吹き込まれた瞬間私は世界中の寂しさや、やるせなさや、いたためれなさにつつまれてどうしようもなくなった。涙は止めどなく溢れ出す中とにかく歩く。無機質に……周りに涙が溢れてる事がバレないようにまるでもう何年もこうして歩き続けているように青信号になった交差点を歩く。

        ◆                     ◆                   ◆

今の現状をただただ文章にしてみた。何が起こるわけでもないし始まることもない。ただただ何も起きない私の中のちょっとした時間を文章にしてみただけだけれどそれはそれで大切な時間だと思う。



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