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こんなに幸せなのに、失敗に気づいた日

私、今から全く別の生き方に変えてもいいかな

最近そんなことをよく考える。
両親は、自営業だった。私が子供の頃バブルが崩壊した。
私は、絶対に会社員になると決めた。
子供の頃は、「おっとりした」というと聞こえがいいが“どんくさい子“だった。走るのも遅いし球技もできない。ピアノを習わせてもらったけど後から入ってきた子に抜かれた。勉強もそんなにできる方ではなかったし人間関係も上手にできなかった。

そんな私にも夢はあった。でもその夢は、叶えるものではなく見るものだった。
「夢は、叶えようと思うと辛くなる。」
どんなに逆上がりの練習をしてもできなかった時にそう思った。なんとなく。

私は5度の転職を繰り返し今の場所にいる。いい人に出会いたくさんの人に支えられ助けられてここまでやってきた。辛かったことも多かったけれど5度の転職を経て今私は業界では5本の指に入ると言われる会社で正社員をしている。給与面だけでいうと業界2位だ。
新卒の私の選択肢には、絶対入ることができなかった会社だ。手の届かないような会社で正社員となったのだ。給料面は、納得どころか申し訳ないぐらいいただいてるし、仕事も私の生涯年収なんて簡単に超えるほどの大きなお金を、私に使わせてくれる。そんな私は、幸せなはずだった。

今まで私みたいな“どんくさい子“が社会でやっていくには大変だった。普通の人が出来ることがすぐにできないのだから。普通の人が仕事と私生活を割り切るように割り切れなかった。何より生きづらかった。
でもそんなの慣れてしまったらどうってことない。社会は、社交辞令という嘘ばっかりで出来てた。仕事も頑張る人にだけ押し付けられてそれを拒まない人だけがやっていた。それが私には、とても好都合だった。ただ私自身とのバランスというか本当の自分の時間がどんどんなくなってとっても疲れた。それも慣れてしまったらどうってことなかった。仕事の自分も本当の自分だ。そう思えば、バランスなんて考えなくてよかった。“どんくさい子“は、いなくなってしまったのだと思えばよかったのだから。

いろんなものが手に入ってから数年後、世界的に伝染病が蔓延した。仕事がどんどん少なくなった。自分の時間がどんどん増えていった。そしてその時私は、結婚していなかったし子供もいなかった。自分の時間は、文字通り自分だけの時間になった。

自分の時間が増えていき思い出してしまった。私は“どんくさい子“だっった。一生懸命社会のスピードに合わせがむしゃらに働いてきたし、いろんな理不尽にも目を瞑ってきた。それは全てあの頃の“どんくさい子“を蔑ろにした行為だった。手に入れた仕事も地位も権力も全てあの頃の自分を無い物にして手に入れたものだった。突然訪れたありあまる自分の時間を過ごしながら『本当の私はこっちだった』と思い出してしまった。小さな部屋に閉じ込めた小さな私が出てきてしまった。

これは、失敗なのかな。今まで成功だと思っていたけれど“どんくさい子“を蔑ろにしてきたことは、失敗だったのかもしれない。そう思えたのは、世界的伝染病とそして夫と子供がいなかったからかもしれない。私が、生きていけるだけの仕事をする。家庭菜園をする。晴れた日は、家中のシーツやカーテンを洗う。部屋には、ちょっと手間のかかる観葉植物がある。時間があればチェロを弾き保存食を作る。それを今選ぶことができるのは、私が一人だからだ。誰かに対して私という存在に絶対的役割がない。私は、母でも妻でも叔母でも姉でも妹でもない。

ずっと欲しかった家庭。欲しかった子供。欲しかった人間関係。欲しかった物は、全部持てなかったけれど、それを全て蔑ろにして得た仕事は、今手放してもいいかなと思っている。

私失敗だったのかな。
今までの私、欲しかったものは全然別のものだったのかもしれない。
いや失敗は、新たな始まりの合図ということだと信じたい。


#あの失敗があったから

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