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一人が恥ずかしいから寂しいに代わり、よかったになった。

一人が恥ずかしくなくなってからどのくらいだろう……


一人は恥ずかしかった

小学生の頃の一人は、とっても惨めで恥ずかしかった。
一人で下校してるのを親にバレないように家の前になると大きな声で『じゃぁまた明日ね!』といった。
家の中のお母さんにだけ向けられたその大きな声は、とても悲しく響いていた。

中学生になり帰りに大きな声は、出さなくなった。両親が共働きだったため運動会や授業参観は、来なくていいよと言った。そうして一人を親に察されることがなくなって安心した。仕事がひとつ減ったような感覚。
中学までは、同じ顔ぶれだけれど高校になると周りの顔ぶれが一新する。何か変わるきっかけのような気がした。私は、今から起こるチャンスに胸を膨らませた。新しいお弁当を一緒に食べる友達を探しできるだけ明るく振る舞った。休み時間もその子たちと話をして過ごした。慣れないことばりで、帰宅するととても疲れた。そうやって1年過ごしクラス替え。話し相手がいないわけじゃない。仲間外れにされているわけじゃない。ただ友達と一緒にいるを1年やって来て、しっくり来なかった。

私はいつもうまくやれない。誰かと一緒に過ごすことがとても不得意だ。昔から何かについて議論することはできても、たわいもない雑談をすることができない。一人が楽だ。一人は悪い事じゃない。一人が楽な人もいる。それを伝えたくて文章を書いた。

8月31日の夜にというテーマに想いを寄せた。私は、小学生の頃から私は一人でいたかったのかもしれない。8月31日の夜が辛かった。そんな昔の私を伝えたかった。

一人に安心した頃一人が寂しかった

大人になり、一人が多くなった。一人で食事に行き、一人で飲みに出る。もうトイレに誰かと連れ立っていく人は、周りにいなくなっていた。一人でいることが少しづつ周りにもおかしいことじゃなくなった。『大人って素晴らしい。』そう思った。その裏で実は、大人も一人じゃないことを知った。仕事帰りに仲間内で飲みに行ったり、休日に遊びに行ったり。でも一人なことを見守る親の目から私は、解放されていることに気づいた。一人でも大丈夫。そう思った時、初めて安心した。

一人暮らしを始めて自分だけの空間が出来た。一人だけの安心できる空間は、まるで天国だった。そんなある日、扁桃腺が腫れたのだ。高熱が出て身体中が熱い。家に色々置くのが嫌だったため冷蔵庫は、近所のコンビニぐらいに思ってた。買い置きはなく、本当に最低限のものしかなかった。食べ物も飲み物も薬すらなかった。その時は初めて一人は寂しいと思った。布団の中から天井を見ながら一人を噛み締めた。眠りにつく前、孤独死のニュースが頭をよぎった。『明日、目が覚めなかったらどうなるだろうか』と思った。一人は寂しいのだと初めて思った。

一人でよかった

そうして時が過ぎいろんな経験をした私の部屋には今、解熱鎮痛剤・湿布薬・避難用品・食料の備蓄と本当に最低限だけれど何かあった時に対応できるものがある。きっと部屋に閉じ込められても1週間は生きていける。

そんな昨年の秋、2度目のぎっくり腰になった。なった瞬間『これはやったな』と思った。クローゼットの奥からコルセットを出し薬を飲み湿布を貼って布団に横になった。

少し休んで起きた時私は、『一人でよかったな』と思った。誰かのタイミングの合わない気遣いにイライラしながらも感謝を伝える必要もない。自分のペースで自分の体を自分なりに気遣い処置する。誰かがいたら、めんどくさかっただろうな。そう思ってしまったのだ。

私が、今一人でいるのが楽だと思ってしまった時点でもう結婚はしないだろうなと思った。一人が成立したと思った。

一人に慣れてしまった。一人が寂しくないし、一人が安心する。一人でいる時だけが本当の自分でいられる時間だと思うようになった。一人が快適になるようにいろんな準備もした。準備をしていると安心を手に入れることができるのだ。今私は、一人がとても好きだ。一人満喫中。

そしてこれから一人とどう向き合うか

多分これからは一人が不安になるだろう。身体が思うように動かなくなり目が覚めなくなる明日が近くなる。

結局人は一人でこの世に生まれ、一人でこの世を去っていくと言われる。去っていく時誰かに悲しんで欲しいと思うのは傲慢だろう。子供の頃の様に自分がどうしたいより誰かからどうみられるかを気にしてしまうのだろうか…孤独に…そう言われてしまう事を恐れている自分と話をしなければならない。一人暮らしを始めたばかりの時に扁桃腺がはれて高熱が出て不安だった。それからたくさんの経験をして一人は、不安ではなくなった。それと一緒だ。

みんなの中の一人が恥ずかしくて寂しかった子供時代。みんなの中の一人に安心した大人時代。そしてこれからは、一人の老後をどう生きるかが不安になってきている。病気とは別の、老化という体の変化に対応する一人を、考えなければいけない。そう思った時、そろそろ一人は卒業した方がいいのかもしれないと思い始めた。結婚の文字が少しづつ後悔を帯びてきた。一人時だから気づいたことがたくさんあった。でも、一人を選ばなかった人には、きっと誰かといる良さがわかっているのだろう。私は、人生の最後にきっとそれを学んでいくことをしたいと思った。


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