セックスレス 妊娠 産休育休

結婚して10年経つ
子どもはいない

セックスレス 妊娠 育休産休 

これらのワードを目にしたり耳にして
まったく胸がざわつかなくなったといったら嘘になるのかもしれない

しれないが

暗く 深い湖のような世界でぷかぷか彷徨って
なんで どうして どうすればよかった?

1人思いだすだけで涙が止まらなかった日々を思うと

同じ気持ちを思い出すことがもうできないくらいには沼から抜け出せた

そう思うようになって3年くらいたつ

今は1人で泣くこともなく
過ぎていく日々に虚しくなることも
過去の一挙手一投足を振り返ってあのときこうすれば と後悔することもない

言えるのはただそれだけだ

ターニングポイントはあったと思う

ある日ふと
自分の人生のステージが変わったような
場面転換したような感覚を得た瞬間があった

自分が生きる物語のカテゴリが変わったといった方がしっくりくるかもしれない

ドラマティックな展開が次々起こる恋愛小説から
日常の小さな喜びや想いを綴るエッセイかなんかに。

一度離婚を決意して半年ほど別居したこともあった
子どもを持つということを優先するなら、他の人と結婚するという選択肢もあると考えたからだ
人工授精もチャレンジした。しかしうまくいかなかった

だが私が一番つまづいていたのは
思えばセックスレスだったと思う

私の場合 結婚前は 子どもを持つことは 当然自分に起こること くらいに受け止めており 積極的に努力することというイメージを持っていなかった
夫婦仲良く暮らしていた結果、子どもを持てなかっとしても、それはそういう運命だろうくらいの考えもあったように思う

だがセックスレスは 向き合わなければいけないことのように思っていたし 精神的ダメージがなにより大きかった

年齢を重ねるにつれて焦りもつのった
このまま セックスレスのまま 歳を重ねて もう自分には無関係なことになってしまうのではないか

だがなにを思おうと人は歳をとる
初めて1本見つけた30の頃は本当にショックだった白髪も、35にもなれば あぁ抜いとこ、なんなら目立たないようにうまくスタイリングしとこ
だって私ももうそれなりの歳なんだから
白髪くらいあって当然
というスタンスになってくる

よく 歳を重ねると自分が何歳だか思い出せなくなるなどと耳にするが
若い頃は 誤魔化してるとか 気にしてない風を装ってるように感じていた
しかし それも歳を重ねるとじわじわとわかってくる
いくらあがいても年齢が減ることはないのだし
30と31の違いに目くじら立ててた頃からすると
2-3才の差は大差ないという感覚になってくる

そんな感じで
セックスレスも レス と名付けて 欠乏感を嘆くほどの存在感は発揮しなくなっていった

今思えば 物語のジャンルは ひとりでに変わったのではなく
自分で自覚的に変えた部分もあったかもしれない
恋愛ジャンルの主人公だった私には 歳をとること 見た目の変化 セックスレスは 不完全の象徴でしかなかった
しかし日常エッセイの主人公になった私には 歳をとって新たに気づいたこと 考えたこと 身につけたこと 広がりを得たことがたくさんある
そして私は 現時点の私が結構好きだ 大満足だ ということをじわじわと気づき 気づき 気づき・・・

今の自分 結構いいじゃん が積み重なって
気づいたら ジャンル変更を自然と受け入れていた

自分にとって大切なもの
優先したいこと
これだけは譲れないもの
ないと欠乏感を感じずにいられないもの

人生のステージが進み
物語のジャンルが変わったことで

それらは少しずつ変化してきた

私の場合 2人で晩酌して旅行ってお金使って楽しく暮らす何でもない日々の積み重ねが
ふつうに大切でいとおしい

に落ち着いた


時間がお薬

という言葉を耳にするけど

時が経つと 自分にとって一番大切 と思えること これがないと と欠乏感を抱かずにいられないものも 変わっていく ということなのかもしれない
今だから この暮らしが何より大切と思えているわけで 10年前ならやはりちがった


ほしいものが手に入らなくて 苦しくて 辛かったとしても
日々を積み重ねていくうちに ふときづいたら ものの重要度や優先度が自分の中で変化していって 自然と辛さや苦しさは緩和して いつのまにかささくれみたいに思える日もくるものなのかも


セックスレス 妊娠 育休産休 

この言葉を目にして耳にした時
10年後 20年後の私は どんなことを思うだろう

再婚 子供の結婚式 孫

あたりに ざわつくワードが変わっていたり。

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