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私の好きな哲学の言葉:「我 思う ゆえに 我あり」

「コギト・エルゴ・スム」

これはフランスの数学者であり哲学者でもあるデカルトの言葉です。

ヨーロッパでは16世紀にはいると、近代科学が芽生えて様々な実験方法が実行されるようになったそうです。

そんな中で、科学の真理を導き出す為に生まれる疑問により、人間の真理を考える人も出てきたとのこと。ここ、難しいですね。以前書いた「人間は考える葦である」と同じ流れでしょうか…。

デカルトは真理に行き着く為に疑い、疑い、疑い…「なぜなんだ?」と疑い続ける中で、ああそうか、そうやって疑い続ける自分は、間違いなくそこに存在するのだ!という真理に気づきました。自分の存在は間違いなく真実であると。んー、ここの表現も難しいです。なんとも哲学的で、ある意味当たり前のようで突拍子もない。でも、そこまで考え続ける人はいないかもしれないと痛み入ります。

ただ、現代社会で個性や多様性が重視され、封建的な価値観も崩れてきている中で、自分を見失わないためには「我(われ)」をしっかり見つけていないと道に迷うか、流されていきそうです。あなたは、あなたでいいんです。自分をまもりましょう。

「考える 私」。それは決して間違いではなく、気のせいでもなく、必要なことです。…私は私であるために、私のことを考えるのだ。

そして、あなたも…。

やすらぎを感じて生きたっていいじゃない

花音と共に…。

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花音:中平 和寿子


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