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【連載】花と風葬 8

 女が次に俺の家に顔をだしたのはそれから四年後のことだった。彼女の右手には、小さな女児がいた。
「あんたの」
と言って、彼女はぐいっとこちらへそれを押した。
 彼女と再会するのはかなり遠い未来。
 押し付けられた女児。こいつは誰だ。と思ったらこいつ、いきなり頭を下げた。
「どうかここに置いてくださいませんか」
口から紡ぎ出された言葉は見た目に似合っておらず、違和感が充満した。お前は誰だ、と尋ねれば、知らないと応える。お前の母さんは、と聞けば、さっきの女と言う。あいつはどこでこんな子供をこしらえた。
 ふと思い出し、俺だ、と小さく呟いた。
 あの夜彼女が出したどことなく甘い声は、今、俺の目の前で、人の形をもって再び現れた。手を取ると、また、彼女の身体の柔らかさが、俺の手に伝った。ただ、俺のではない。俺じゃない。俺は悪くない。
 
 汗、頬、腕、唇、舌、脚、声。

 記憶、記憶、記憶。

 「違う!」

 己の声にびっくりした。そして目の前の彼女もまた、びっくりしていた。瞳孔が月のようだった。

 捨ててしまいたかった。しかし俺はこいつと違って社会があるのだ。家の目の前で子供を見捨てたなんて、あの『ご近所おばさま軍』なんかに知られたらひとたまりもねぇ。きっと次の町内会義なんて、特に迷惑かけたわけでもないのにヘコヘコ頭下げるのが目に見えてる。あいつら暇人だからな。親戚の子供を急遽面倒見ることになったというのが妥当だろう。生きる世界のない、価値のないこいつなんかと一緒にされてたまるか。
 
 「お前に俺が名前をつけてやるよ」
後々面倒だからな。
「お前の名前は今日から……ん……、あぁ……」
いいものが思いつかない。こんなもの適当でいいのに。
「ゆり」
小さな口から小さな声が紡ぎ出された。
「あ?」
「ゆりがいいの」
こいつにそんな主導権はない。しかし、俺も名前がつけられなくて困っていたのだ。仕事がひとつ減った。
「じゃあお前は今日から百合だ。」

 名前というのは、それに形があるから付けられるものである。形のないものに名前というものは相応しくない。俺は自分というものに形を持たせたくない。もし俺を形どるものができてしまえば、俺はきっと、きっと。

「……おじさん、おじさん!」
うとうとしていたのか、俺は授業中居眠りしていたら先生に話しかけられたようにはっと目を開けた。
「あ?」
百合は自分の腹を見下ろして、さすった。
「あのね、ゆりね、おなかすいたの……」
用意するのは面倒だ。
「お前さっき来たばっかだろ、飯、今日食ってねぇのか?」
すると百合は顔を上げて、こう言った。
「もう二日ぐらい食べてないよ」
あいつ、何も食べさせてねぇのか。野暮な子育てしやがって。確かまだ炊飯器に少し米が残ってたはずだ。多少硬くなっているから、茶漬けにでもしてやるか。
 待て。なぜ俺はこいつに情けなんか、優しさなんか注いでいる?こいつなんて生きる価値のないような虫けらだ。俺がこいつにこんなことする必要、どこにある。まぁいい。泣かれるよりはマシだ。
 「ほら。食えよ。皿洗い、自分でしろよな」
百合はその身体に見合わない程に勢いよく食べた。毒を入れていたとしても、きっと彼女は平らげてしまうだろう。
「お、おかわり、くださ、い」
「あ、悪い。もう米切れちまった。じゃあ炊いとくから、お前は皿洗っとけ」
ガシャーン。
 全く、近頃のガキは。

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