たまにごはん

洋服が好きなOLの日常と、哲学。

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最近の記事

誰かに認められなきゃ行きちゃダメだと思ってたけど誰にも認められなくても生きていいよ

    • 父から貰った先行投資の10万円

      今日この気持ちを忘れたくなくて ここに綴る。 新盆で帰ってきて、 お金下ろさなきゃとATMへ行ってギョッとした。 帰宅の運賃さえもない、空っぽのATM 残金2000円弱 見た瞬間一気に血の気が引いた。 オワッタ そう思ったのはわりかし何度もある。 何度もあるからこそ、対策を練らねばと必死になるのだが今回は不意打ちのピンチで 流石に焦った メンタル揺らいだけど父に現状を正直に話して泣きついてお金借りた。 死にたくなったこの気持ちは絶対に、絶対に覚えておく。 そして、

      • 拗れたアラサーの絡む神経の糸を1本1本解くように

        自分の心の掃き溜め所が欲しくて戻ってきた。 アラサーとはよく言うものの、いざ30になると なんだこんなもんか。 って拍子抜けするほど意識は変わらなかった。 環境という面ではもしかしたら大きな変化があったのかもしれない。 怖いものが20代に比べて格段に減った。 気にしなきゃ行けない、コミュニティや存在が離れていって本当に必要なもののみ残ってる。 結婚、出産、仕事 皆んなどれを選ぶかはっきり分かれるのがこの世代だ。 わたしは選択肢はなかったに等しく、 当たり前のように仕事を選ん

        • 女の子の嫌な部分を煮詰めて裏漉ししてみた

          久しぶりの投稿。 この投稿私にしか徳がないから、他に見てる人いるのかな? つたないわたしの人生が 誰かの人生に少しでも勇気つけられる ことが出来たらいいな。 ここからは、なぜ久しぶりに投稿したくなったかを綴ってる。 ------ 過去の投稿見てたら、 自分語りが多くてギョッとする。 周りとのコミュニケーションを 遮断してたから とっても考え方が偏ってしまってたんだろうな笑 でもいいところも見つかった。 自分の痛みを言葉に変換して、ちゃんと納得させて前に進もうと言う姿勢。

        誰かに認められなきゃ行きちゃダメだと思ってたけど誰にも認められなくても生きていいよ

          ファッションと反骨精神の関係

          ハイブランドから幅を広めてきたファストブランドまでニーズが混沌としてる。 仕事柄、アパレルに触れる機会が多く、 その都度いろんなブランドに目を通してきたが その価値観の変化は非常にスピード感があった。 わたしがハイブランドの販売員をやっていた時が酷く昔のことのように感じるが、 ほんの4年ほど前の事実ということに 我ながら時の経過の早さを体感している。 今はファストファッション寄りのアパレルとの仕事が増え、彼等の方向性や商品開発力をリサーチすることが日々の日課だ。 さまざ

          ファッションと反骨精神の関係

          ララランドは夢を持った男女の仕事と恋愛の葛藤をリズミカルにまとめたように見えて、夢に挫折した女の元彼に対する妄想がつらつらと垂れ流されるメロドラマ

          ララランドは夢を持った男女の仕事と恋愛の葛藤をリズミカルにまとめたように見えて、夢に挫折した女の元彼に対する妄想がつらつらと垂れ流されるメロドラマ

          前の上司にいらないって言われてたと聞かされて、放心状態になった。 でも、正直今の私でも前の私はお荷物だと判断できるくらい、キャパオーバーで、仕事できてなかった。 前はできなかったのを認めて次に進もう。もう、出来ないなんて言わない。 やるべきことをやるだけだ。

          前の上司にいらないって言われてたと聞かされて、放心状態になった。 でも、正直今の私でも前の私はお荷物だと判断できるくらい、キャパオーバーで、仕事できてなかった。 前はできなかったのを認めて次に進もう。もう、出来ないなんて言わない。 やるべきことをやるだけだ。

          とても遠そうで、かなり近い話。

          人の振り見て我が振り直せと よく言ったもんだ。 大体、我がふり見て直そうとする程度な きづきしか出来ない人間は治らない。 変われない。出来てない。 分かってるなら変われるよって 乱用しがちな救いの言葉も 実は、分かってても簡単に買われないのが人間という事実を真正面から皮肉っている様に感じる。 人はそうそう変われない。 なんでか? 人は、人生は、性格は、 その日々の行いの積み重なりや言動だからだ。 常に、気を張っていないと 大きな波にいつのまにか攫われてしまう。 人が

          とても遠そうで、かなり近い話。

          アラサーがキャリーブラッドショーに憧れて

          罪悪感で死にそうな月曜日だ。 自分は俗に言うアラサーのOLだ。 恋愛は目標の邪魔だから ずっと長いこと作ってこなかった。 今年で7年目。 言い訳なのか、本気の理由なのかもう今じゃその真意を追求したく無いくらいに億劫になってる。 彼氏作るのはメンタル的にも良いかもしれないけどお金とスケジュール注がれるのはまっぴらだし なにより依存体質なのでハマってしまったらどっぷり盲目になるし、どっぷり引きずる。 そう、フェミニストやドリーマーを気どってるけど、どうも自分もなんら変わりのな

          アラサーがキャリーブラッドショーに憧れて

          今ある幸せって不幸を見ないと噛み締められなよなって話

          今さ、コロナ禍で物が売れない時代に、更に拍車が掛かって物価も高騰化してるよね。 海外へ渡航もできないし、 生きる楽しみに制限がかかってる🥲 そんな中でも お腹いっぱい食べ物を食べて、 暖かいシャワー浴びて、 フカフカの布団に潜って眠れる毎日が まだ私達(少なくとも今、こうしてSNSを使用している人達)には存在している。それって結構な奇跡なんだよね🙃 こうやって実家にもすぐ帰れて、 会いたい人にも会いに行ける距離。 なんだ私ハピネスすぎない?って改めて実感した。 あまり詳しい

          今ある幸せって不幸を見ないと噛み締められなよなって話

          出来ない心理の成仏

          自分の中に、いつのまにか生まれた 出来ない虫がいる。 あれやりたい、これやりたい って頭に浮かぶのに 次に出てくる言葉は わたしじゃ無理や〜って諦め。 これって本当の自分の意思とは 関係ない言葉なのに、どうして こうも簡単に否定をしてしまうんだろう? って不思議になるので深掘りしてみる。 わたしじゃ無理って思うのって何故か 幾つか,理由をあげてくとたどり着くもの ってなんなんだろう ①自分には得た体験が少ない ②頭が悪いから ③お金が無いから ④才能ある人なんて山ほど

          出来ない心理の成仏

          今が苦しいあなたに向けた話2

          前回の鬱の話から続編です。 苦しい時期に誰も味方が居なくて、実家に帰ることも出来なくて、毎日泣いていた日々から抜けた話。 コロナで在宅ワークとなり、偶然にも自分の時間をつくる期間ができた。 上司や、社長の顔を見ないこと。 それだけでも当時の私の心は安らいだ。 何故、いやかと言うと、 自分の仕事の出来なさに対する罪悪感と それをどうにも出来ない苛立ちで 押し潰されそうになっていたからだ。 とても苦しかった。 何が1番辛かったかというと、 自分を疑いながら 惨めな気持ちを噛み

          今が苦しいあなたに向けた話2

          自分との感情の折り合いがつけられないなら他人とわかり合えるはずない。

          今さら自分を掘り下げて 人生やり直したいとは 更々思わない。 自分の視野の狭さに 気付くのはいつも後の祭りになってからだからだ。 後悔のない生き方 ってなにかと、犠牲が付きものの ように感じる。 誰かのために、 綺麗事ならいくらでも言えるけど 私達はとても感情的な生き物だ。 自分の意図しないものや 見知らぬものの前では 赤ん坊も同然だし、 不安という感情は 大人になると怒りや嫌悪感に変わりやすい。

          自分との感情の折り合いがつけられないなら他人とわかり合えるはずない。

          今が苦しいあなたにむけた話

          ずっと暗いトンネルにいる気がしてた 明日が来るのが恐くて ずっと同じように変わらない毎日が 続いてくんだ ってそう信じて 疑うことができなかった きっかけははじめての社会経験で 挫折をしたこと 自分はできると思って きらきらした夢を描いて 不動産へ行き物件をひとりで探し 就活しては東京と実家の往復をくりかえし すべてが新しく期待に胸が膨らんでいた そして、 少人数体制の会社へバイト経験しかなかったのに 中途採用として入社した 会社がどう言うものかもわからなくて

          今が苦しいあなたにむけた話

          欲と純粋な好きのちがい

          周りにあわせて流行りのお店へ行った。 本やブランドものも買った。 みんながいいと言うから 同じ音楽を好きにならないといけないと思った。 子供時代はそれがわたしの正解だった。   そうしているうちに気づいたら自分の気持ちが 強く惹かれたときの 心の行き場がなくなってしまった。 もっと自分の気持ちに素直に生きたかった。 でもそれが良いこととは 誰も言ってくれなかった。 わたしは結局受け身まま今まで生きてきたのだと思う。 転職をしたり、知識を得たり、 環

          欲と純粋な好きのちがい

          誰しもがこころで飼っているかみさま。

          神は存在するのか、って聞かれると わたしはノーと答える。 定期的に御詣りや御祈りはするんだけど、 亡くなった達への状況報告くらいな感覚。 あくまでも、 人間が造り上げた想像上の物語や人物像な 気がしてならない。 裏付けや証拠がいまいち信憑性がないなあと 思うし、時代ごとに生活背景が違うから  昔の人がなにかにすがって生きることを 希望と信じて疑わない気持ちは 現代の便利な暮らしをしてる人間の感覚からしたら 全然違うと思うんだよね。 ちゃんと根拠になってるのか わからないけ

          誰しもがこころで飼っているかみさま。