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「ゆらゆらを探しに、今日も私は海へ行く」

7月某日、天気は快晴。

自転車を走らせて、今日も少女は海へ向かう。

「あの人のママに会うために〜♪」

お気に入りのワンピースを着て、海へと続く坂を下っていく。

あ、口紅を塗るのを忘れた。

でも、まぁいいか。

浜辺に着くと、いつも通りララに挨拶をする。

ララは魚でも食べていたのか、満足そうな顔で、口周りをぺろぺろ舐めて座っていた。

ふわふわの尻尾が、気持ち良さそうに揺れている。

「ララ!こんにちは!」

ララは閉じていた両目の右側だけ開けて、少女を見た。

「やぁ、君か。今日も来たんだね」

「えぇ、今日もゆらゆらを探すのよ」

くわぁっ、と大きく欠伸をしながら、ララは眠る体勢に入る。

「君もまぁ、よく飽きもせずやるね」

「楽しいからやっているのよ。ララもゆらゆらを見つけたら教えてね!」

返事の代わりに、尻尾がふわりと大きく揺れた。

「街はDing-Dong遠ざかって行くわ〜♪」

大きな麦わら帽子を、海風に飛ばされないように押さえながら、まずは波打ち際を探す。

途中、寄せる波の中に、小魚の姿が見え、その鱗が光を反射してキラキラしていた。

いつ見てもとても綺麗だ。

少し歩くと鶯色のシーガラスを見つけた。

翡翠みたいでとても美しい。

他にも珍しい色のシーガラスがないか、ついつい探してしまう。

海に来ると、目的を忘れて他のことに夢中になってしまうからいけない。

「ゆらゆらさーん!でておいでー!」

当初の目的を思い出し、再びゆらゆらを探し始めると、どこからか、チリーン、チリーンと風鈴の涼しい音がした。

キョロキョロと辺りを見渡すと、浜から少し離れた木々の茂った場所に、風鈴屋がいた。

頭に手拭いを巻き、紺色の法被を着た年配の男が、風鈴のぶら下がった屋台車の横に座り、煙管を吹かしている。

「おじさん、こんにちは」

「おう」

男は眩しいものを見るかのように目を細めて、こちらを見た。

少女はしげしげと風鈴を眺める。

「どうして、こんな人気のない場所で風鈴を売っているの?」

「お嬢ちゃんみたいな客がたまに来るんだよ、それで十分なんだ」

「ふうん、そういうものなのね」

チリン、チリンと風に揺れる、色とりどりの風鈴たちはとても綺麗だった。

それに、よく聴いていると、一つ一つ奏でる音が少しずつ違う。

「なるほどね、風を染めているのね」

1人で納得している少女をジッと見つめていた男は、「それで」と気怠げに口を開いた。

「お嬢ちゃんはどれが欲しいんだ」

「え?どれかくれるの?」

「こっちも商売だからな、タダであげるわけにはいかないな」

「残念だけど、あなたに渡せる物はもってないの」

「それじゃあ仕方ねーな。残念だ、その浅葱色の風鈴なんか、お嬢ちゃんにぴったりだと思ったんだがな」

男の指した浅葱色のガラスでできた風鈴は、表面に魚の鱗のような模様が彫ってあり、揺れるたびにキラキラと光った。

その風鈴の奏でる音は、どこか淡く、空に滲んで消えていくような響きがあった。

少女の頭に、とある泉が浮かんだ。

それは、この世界のどこかに隠された、神秘の泉だ。

「とても素敵な風鈴ね」

「そうだろう。でも、タダではあげられねーよ」

残念だけど、きっと縁がなかったのだわ、と諦めていると、足にふわりとした感触があった。

下を向くと、ララが少女の足元に座っている。

「僕、見つけたよ」

「見つけたって、なにを?」

「君が探しているものに決まっているじゃないか」

「ゆらゆらを見つけたのね!」

わー!やったわー!とはしゃぐ少女と、ララと呼ばれる猫を、男は訝し気に見つめる。

「おい、お嬢ちゃん、そのでっかい猫はなんだ?
そんなでかい猫は初めて見た」

「この子はララよ、私の友だちなの。ゆらゆらを見つけてくれたらしいのよ!」

「ゆらゆら?クラゲのことかい?」

「クラゲはクラゲ!ゆらゆらはゆらゆらよ!」

「はぁ」と何一つ納得していない男は、また変な客が来たもんだと、煙管を咥える。

あ!そうだわ!と、少女は良いことを思いついたというように、声を上げた。

「ゆらゆらをおじさんにあげるわ!」

え?っと言ったのはララである。

「僕は、君の為に、ゆらゆらを見つけてきたのに、そんなおやじにくれちゃうなんて。僕、嫌だよ」

ララは大きな尻尾を、バシバシと地面に叩きつける。

「だってね、何かと交換したら、あの風鈴をもらえるらしいのよ。私、あの風鈴がとても気に入ってしまったの」

少女はしゃがみ込んで、ララの頭をそっと撫でる。

ララの琥珀色の瞳が細まった。

「それに、ゆらゆらは、誰が持っていても誰の物にもならないものよ。おじさんに渡しても、私が持っていても、どっちでもいいのよ」

「まぁ、君がそう言うならいいけどさ」

撫でられて気分を良くしたララは、満足そうに喉を鳴らす。

「おい、待て」

男は少女と猫を交互に見つめた。

「まだ、そのゆらゆらとやらで、風鈴をやるとは言ってないぞ。ゆらゆらとはなんだ」

「はぁ、おじさん、ゆらゆらも知らないのか。これだから人間って、頭が悪くて嫌だね」

「こら、ララ、そんな事言わないの」

少女は申し訳なさそうに男に言った。

「おじさん、ごめんなさい。ゆらゆらはね、上手く説明できないのよ。でも見ればわかるわ。もし、ゆらゆらを気に入ったら、その風鈴と交換してくれる?」

「あぁ、いいだろう」

まぁ、もともとこの風鈴は、このお嬢ちゃんの元へ行く運命だしな。

そんな言葉を飲み込んで、男はよっこらせと、立ち上がった。

少女は嬉しそうに笑ったので、男はまた、眩しいものを見るように目を細めた。

「こっちだよ」

ララは大きな尻尾をふわりふわりと揺らしながら、少女と男を案内する。

しばらくして辿り着いたのは、ゴツゴツとした岩場であった。

満潮になると海の下に沈むのであろう、所々に海水の溜まり場があって、その中には魚たちの姿があった。

そして、その水たまりの一つに、それはあった。

「ほら、ゆらゆらだ」

ララが自慢気に告げる。

「おい、それって、」

「わぁ!大きいわね!」

それは、西瓜ぐらいの大きさがある真っ黒な塊だった。

その表面は、黒い炎を纏っているかのように揺らめいている。

水たまりの中に手を入れ、それに触れようとした少女の腕を、男は思いっきり引っ張った。

「それに触れるな!」

「きゃっ!痛いわ!おじさん!」

ララがシャーッ!っと男に威嚇する。

「それに触るんじゃねぇ!」

「どうして?あれがゆらゆらよ?」

「ちがう!あれはヌバタマじゃねぇか!」

「ヌバタマ?」

不思議そうな顔で困惑している少女に、男はもう一度言う。

「そうだ、あれはヌバタマという呪われた物だ。絶対に触るな」

「いいからその手を放せよ!おっさん!」

ララの言葉に、男はパッと少女の腕を離す。

ララは、少女と男の間に立ち、ヴゥーっと威嚇の声を出した。

「ほら、だから言ったろ。こんな男にゆらゆらを渡すなんてもったいないよ」

「そんな事ないわ。おじさんはきっと、勘違いをしているのよ」

男は、ヌバタマだというその代物を、ジッと睨みつけた。

「いや、勘違いなわけあるもんか。あれはな、触れた奴の気を吸い取っちまう、危険なものだ。あれに触れて、おかしくなっちまった奴を、昔、見たことがある」

「でも、私は今まで一度も、あれに触れておかしくなったことなんてないわよ?」

ねぇ、ララ?と少女の問いに、ララの尻尾がふわりと揺れる。

「なんでもいい。とにかくあれには触れるな」

男は、少女たちに背を向けて帰ろうとする。

「あーあ、これだから人間は嫌いなんだ」

「ララ、私も人間よ」

「君以外の人間は、みーんな頭がカッチカチに固まっちゃって、自分が全て正しいと思ってやがる」

「それは皆んなそうよ。人間だからってわけじゃないわ。私もそうだしね」

「君はいいの!」

少女は楽しそうに、ふふふっと笑う。

「でもね、案外簡単に訪れるのよね。自分の世界の殻を破ってくれる風というのは」

ねぇ!おじさん!と少女は呼びかけた。

男は少し先で、眉を顰めて振り向いた。

「お母さんが言ってたわ!コツはね、猫の頭を優しく撫でるように、親が子の頭を撫でるように、そっと触れることよ!」

少女は、再び水たまりの中へと手を入れ、そっと、優しく、それに触れた。

「おい!」

男は慌てて、また少女に腕を伸ばすが、ララがそれを阻止する。

「大丈夫」

少女は優しく告げる。

それは、男に言ったのか、男がヌバタマと呼んだそれに言ったのか、わからなかった。

「大丈夫、大丈夫よ」

ゆっくり、優しく、母が子に触れるかのような温かい眼差しで、少女はそれを抱き上げた。

「ほらね、これがゆらゆらよ」

ゆらゆらの闇色の表面が、雨で色が流れ落ちていくように、剥がれていった。

そして、その剥がれ落ちた下から、ゆらゆらの真の姿が現れた。

シャンシャンと、鈴の音の音が聞こえるのは何故だろうか。

キラリ、キラキラと星のように瞬く光。

ゆらゆらは、どんな色にも見える不思議な光の塊だった。

黄昏時に子どもが飛ばした、シャボン玉のようにも見える。

男は、その綺麗な光の塊から目が離せないでいた。

少女は楽しそうに歌を歌いながら、しばらくゆらゆらを撫でていたが、やがて、撫でるのには満足したのか、今度はゆらゆらを空に掲げて眺め始めた。

その様子は、まるで、幼子をあやしているかのように見えた。

「頭がカチカチのおじさん。あれがゆらゆらだよ」

「、、、綺麗だな」

男は、ゆらゆらを抱えた少女に近づいた。

「ゆらゆらはね、見るものではなく、感じるものなのよ」

近づいてきた男に、少女ははいっ!と言って、ゆらゆらを差し出した。

男は、差し出されたそれを、恐る恐る両手で持つ。


その時感じた、色を、音を、感触と景色と、心の震えの全てを、男は一生忘れないと思った。



****

ポーン、ポーンと、木琴の温かな音が、太陽の光に包まれた林の中に響いていた。

自分は、ゆっくり、確実に、一歩一歩地面を踏み締めながら、歩いている。

少し先には、小さな家が見える。

煙突からは、もくもくと煙が上がり、庭では洗濯物が気持ち良さそうに、風に揺れている。

ギギっと軋んだ音をたて、家の扉をあける。

こじんまりとした家の中は、橙色の温かな光で溢れていて、美味しそうなパンとスープの匂いがする。

暖炉の近くの椅子には、女が座っていた。

椅子で居眠りするその女は、お腹が大きかった。

彼女は、自分の気配に気づいたのか、ゆっくりと目を開ける。

そして、こちらを向いて、彼女は優しく微笑んだ。

男の身体の中では、木琴のポーン、ポーンという音が、ずっと響いている。

それがとても心地よかった。

自分に微笑む彼女は、何よりも愛おしい声で、そっと告げる。

「おかえりなさい」と。


****


はっと我に帰る。

男の前には、にこにこと笑う少女と、尻尾を揺らす大きな猫がいた。

「ゆらゆらは素敵でしょ?」

男は泣いていた。

静かに涙を流していることに気づくと、慌てて、ゆらゆらを少女に押し付け、頭に巻いていた手拭いで、ガシガシと目元を擦った。

「あれはなんだ」

全く知らない誰かの記憶が、男の中に流れ込んできたのだ。

しかし不思議なことに、全く知らないはずなのに、何故か知っている気もする。

それぐらい身体に馴染んだ記憶だった。

少女は両腕でゆらゆらを抱きしめ、愛おしそうにそれに頬を寄せる。

「ゆらゆらはね、優しいのよ。とても優しいの」

その少女の言葉が、ゆらゆらの説明として当てはまっているとは、とても思えなかった。

あれは一体どういう意味をもって、存在しているのだろうか?

あれは確かに、昔見た、呪われたヌバタマと呼ばれる物に違いないのだが、何故少女が触っても平気だったのか?

何もかもがわからない。

少女に問いかけようかと思ったが、大きな猫の視線を感じてやめた。

それに、長年風鈴屋として生きてきて、こういったことの類いは、深く考えずに、風の感じるまま置いておいた方がいいと学んでいた。

ゆっくりと、懐から煙管を取り出し、ふうぅーっと、空に煙を吐く。

「お嬢ちゃんは、いつもそれを見つけてどうするんだ?」

「そのまま見つけた場所に置いておいたり、持ち帰って、家に飾ったり、海に流したり、たまに誰かに渡したりもするわ」

「それは、そんなことをしていい代物なのか?」

「もちろんよ。この世界に存在していれば、それだけでいいのよ」

「そうか」

ふぅーと、また煙を吐き、男はやはり考えることをやめた。

「それで、おじさんは、このゆらゆらとあの風鈴を交換してくれるのかしら?」

「そのゆらゆらというやつはいらないが、良い経験はさせてもらったからな。あの風鈴は、お嬢ちゃんにやるよ」

少女は、嬉しそうに笑って礼を言った。

「おじさんは、しばらくここで風鈴を売るの?」

「いや、もう次の場所へ移動しようと思っていたとこだ」

「そうなのね。じゃあ、また、縁があれば会いましょうね」

「あぁ」

「風鈴ありがとう!大切にするわ!」

そう言って、少女と猫は去っていった。

チリーン、チリーンという浅葱色の音を響かせて。



男は、風鈴のぶら下がった屋台車を、よっこらせと移動させる。

歩くたびに、風鈴の音が風を染め、男はゆらゆらに思いを馳せる。

ゆらゆらが、男に教えた、あの色と音と感触と景色と、心の震えを知っても、男の人生は今までと何も変わらないと思えた。

考え方も、生き方も、ゆらゆらを知る前と後では、何も変わらないと思えた。

変わらないが、それは確実に、一歩一歩地面を踏み締め歩く男の一部になっていた。

男は明日も風鈴を売る。

ゆらゆらを知った身体で、風鈴を売るのだ。




少女と猫は、防波堤の上を歩いていた。

「黄昏せまる街並みやー、車のながれー、横目で追い越してー♪」

少女の歌に合わせて、ララの尻尾も機嫌良く揺れる。

「今日も楽しかったわね、ララ」

タッタッタと、猫は少女の前を走って行き、振り返った。

「お腹が空いたから、僕はもう行くよ」

「えぇ、今日はありがとう」

ララは、ひらりと地面へ降り、軽やかに走って行った。

風鈴屋にもらった風鈴が、チリーン、チリーンと、夏の海に涼しく響く。

今日見つけたゆらゆらは、海へ流した。

少女は、あのゆらゆらが海を漂い、そのうちまたどこかの浜辺へ辿り着くことを想像して、嬉しく思った。

ゆらゆらが、この世界に存在することを、うれしく思った。

少女は、ぐーん、と思いっきり空へと伸びをする。

そして、あの猫のように、防波堤の上をタッタッタと、軽やかに走り始めた。

今日はどこまでも続いていく。

少女は明日もゆらゆらを探すのだ。

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