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親と子の間で

最近、子どもと一緒に飲む機会が増えまして。

と言っても、子どもが小さいころからごはんの場ではよく飲んではいたのですが「たしなむ」とか「ソフトドリンクのように1杯飲む」みたいな感じで、がっつり「お酒を飲む」ではありませんでした。

最近は、「仕事に疲れた。とにかく飲みたいんだよ!!」「おいしい食事と飲み物」といった「飲みメイン」の場に子どもと行くことが多くなりました。

そこで気がついたことは、「子どもと一緒に飲みに行くと酔う」

子どもにとっては最悪だと思うのですが(笑 ←笑えるのか?笑えない←結果www)なんでだろうな〜と考察?です。


親、である人は少し心当たりがあると思うのですが、「自分の子(この場合は育てたことに観点を置いています)」のことは気になるし、できればなんでも知っておきたいな〜と思いませんか?

特に、小学校にあがって異なる生活圏が生まれてくるあたりから、その気持ちが大きくなってきたように感じます。

「今日学校で何があった?」
「どんな友だち?」
「友だちと何をして遊んだの?」
「学校では何が流行ってるの?」

などなど。
大きくなればなるほど知らないことは増え(当たり前)、小さい頃とはちがう心配事も増えますよね。。。

私自身は、上の子が二十歳になったこのタイミングでやっとそんな気持ちを自覚し、親、というのか、そういったもの、なんだな〜と感じています。

結果、よく聞いてしまうわけですよ。

「今日、何時に帰ってくる?」
「今日、ごはんいる?」
「学校、どう?」
「これから(将来の職業や進学先)どうするの?」
「そんなことやっていて大丈夫?」

などなど。
だいたい子どもの回答は不機嫌、かつ、なんか”てきとう”(に見える)

一方で、同じことを自分の親にも聞かれるわけです。
私は50になっても子どもなので。

「次の休みは帰ってくるの?」
「ちゃんとごはん、食べてる?」
「体調はどう?」
「今の仕事はどうなん?」

などなど。

それに対する問いは、だいたい面倒になってしまい、たまに不機嫌になってしまい、返事も適当。多分仏頂面。

その時に思うわけです。

※その時、というのは、親の問いに対しての子の態度をとった自分の時もあれば、子に問っている自分の場合もあるのですが、割合としては、
自分が子8:自分が親2
ですかね。

あ〜、子どもって意外と面倒くさいし、親に答えたくないもんだな〜

で、最初に戻るのですが、私が子どもと飲んだ方が酔っ払ってしまうのは「親の方が子どもに安心して依存している説」

心のどこかで、自分の子どものことは小さい時から知っている=”お互い”だいたいなんでも知っている、【生活の時間の大半を一緒に過ごしている】という意識ではないかと思うのです。

親は経済的に成人までは養いますが、子どもは生まれながら「個」であり別人、なのです。
それを忘れて?しまっている。

私は、子どもがお腹にいる時「エイリアンみたいだ〜」とずっと思っていました。
生まれてからも全然よくわからないのでずっと個人(別人格)だと認識して過ごしていたのに、生活をして、共に時間を過ごすうちに少しずつ錯覚してきて、ゆえにぶつかるようになったな〜なのです。

好きだから・大事だから知りたい、心配する(親心)といえばそれまでですが、一方で子どもとしてみればそれが暑苦しい、重い、というのも事実。

やっと両方の気持ちがわかった今、それでもそれぞれに今までと同じ対応しかできないかも、と思いつつ。

せめて、親には少しやさしくしようかな〜と思っています。
※でも、図にのりそうで怖い、、、(笑)

子どもには「聞かれたくないよね〜」と思いながら、聞いていきます。
※聞かれなくても寂しいはずだし(笑)、聞かないと教えてもくれないから

まだまだ、間(はざま)で揺れています。
正解は、まだない。

※大人になったらあまり揺れない、と思っていたのにそうでもないみたいです。いつからが大人、なんでしょう。

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