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国会議員の秘書③

12月末の国家予算の大蔵原案内示が発表されると自民党内の政策調査会という政策決定機関があり、その下に調査会や部会という政策を議論し自民党として意思決定する組織と、また、別に議員立法などをするために思いを同じにした議員たちが加盟して設立する議員連盟などがあり、これらの会議で各省庁の予算を増額するとか、新規予算を認めるとかを議論し大蔵省と各省庁が、議員を巻き込んで予算の分捕り合戦が当時は、繰り広げられていた。それも政治のパワーゲームの象徴であったと思う。
 そして、来年度予算が閣議決定されると新規予算でどのようなものが獲得できたかや、増額できたなどの資料が各省庁から配布される。それを秘書たちは、いち早く入手して地元の事務所にファックスで送信したり、各関係者に口頭で伝えたりする。地元事務所は、国会の事務所から送られてきた情報をいち早くその予算に関連する支援団体や支援者に、資料をわかりやすく作成して郵便で送るのである。

 この作業が大変で、例えば、郵便局に関連する予算の関係資料が当時の郵政省から配布されると発送するまえに、資料作成をする。挨拶状を入れ説明文等を作成したものを含めると送付する資料は、1部5枚とか10枚になる。それを選挙区に294ヶ所ある特定郵便局に294部作成して封筒詰めをし、切手を貼って発送する。このような資料をそれぞれの予算に関係する支援団体や支援者に発送すると何千通という数になる。ほとんど徹夜で作業して発送するのであった。
私は、議員会館の事務所で入手した資料を京都事務所に、ファックスで送り終えると、東京から京都へその作業があるので戻るようにした。でも内心京都駅に到着する頃には、終わってくれているのではと淡い期待をしながら、夕方東京を出発し新幹線に乗って京都駅に到着すると京都駅の八条口にある事務所には、まだ、灯りが煌々とついていた。「うわー、まいったな。まだやっているわ」と思いながら京都の事務所に入るしかなかった。
事務所に入ると先輩秘書たちが東京から送った資料をコピーして、仕分けし封筒詰めしていた。
送付する量が半端ではないので、まだまだ、先の見えない作業をしていた。この作業は、頭数が多ければ多いほど早く済む。
話は逸れるが、京都の事務所は、予算の大藏原案が発表された時だけではなく、平常時でも、東京事務所から自民党の部会で関連した資料を入手するとファックスで送ってきていた。京都事務所の秘書は、後援会まわりをしていてもこれらの資料
が送られてくるとポケットベルで知らせるベルが鳴り、外に出ている秘書は、京都事務所に電話を入れるように指示されていた。「東京から資料が送られてきた。」と言われると余程のことがない限り事務所に戻ってこの作業を事務所のメンバーみんなでする。何故、こういう業務も秘書の大切な仕事だったのかを説明すると、いち早く他の事務所より先にこの情報を送ることによって支援団体などに有り難がられ、法案や制度が新しくできることや国の予算がつきましたよ。と知らせることでいざ選挙となった時に、支援団体に応援してもらうために日頃から送付して、地元秘書が支援団体や支援者との関係をさらに構築するための一つの重要な業務としてするのである。地元秘書は、送る資料の量が多い時は、徹夜でこの作業をすることが度々あった。
今は、こういうこともデジタル化されてほぼなくなったのではないだろうか。各省庁は、ホームページにすぐに発表するようになったし、メールやSNSで瞬時に、知らせることが出来るようになったためほとんど手作業でして送付するものは、情報として価値がなくなったしまったと思う。これは、寂しいけど時代の流れである。こういう秘書の手間暇かけてやっていた作業も重要な秘書業務の一つで、地味な仕事でもいざ選挙となるとこれらの積み重ねが効果を発揮した。今は、懐かしい思い出になっている。しかし、今も形は別にしても選挙を勝ち抜いていくためには、投票をするのは人なので、何らかの別のことで工夫しながら手間暇をかけて有権者に地味なアプローチを日頃から積み重ねてしておくと効果を発揮するという私の考えは変わらない。

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