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耕作放棄地の捉え方:つぶやき💭

「耕作放棄地」と聞いて抱くイメージはマイナスなことが多いですよね。

私もこれまで
なぜ過疎地域がなくなることに反対なのか
といういろんな人がいろんなことを言っている話題に対して、
この美しい景色や、先人たちが培ってきた知恵と技術の宝庫のような場所を
私たちの世代でなくしてしまうのは勿体無いから
という理由を述べてきました。

その「美しい景色」の中には
棚田だったり、綺麗に管理されている道、林道だったりします。
ここが管理不足で失われている、その先に耕作放棄地という言葉が当てはめられています。

単に耕作放棄地といっても、何十年も手入れがされていない場合もあるし
去年から畑をしておらずに草が生えっぱなしの場合もありますよね。

一方、草刈りだけして何も植えずに
一応耕作放棄地ではないですよ、というような顔をした畑もあります。

私が知っているだけで何十という耕作放棄地があるから
日本にはもっともっとあるはずです。

そして私はそれを見ているだけ。
別に農地を持っていて、今年からは作らない、耕作放棄地にする
という決断もしたことがありません。

そんな人が勝手に耕作放棄地にマイナスのイメージを持っていいのかな?
とも思ったり。

うまい例えは見つからないけど、
自分は掃除をしないのに、ここにまだ埃残ってるよ?
と注意をしている気分になります。



私の耕作放棄地に対する捉え方が変わった出来事がありました。

ある日、先生に連れられて行った入り組んだところにある棚田
綺麗に管理されていました。
周りは山に囲まれていて、大きい秘密の空間みたいな場所

そこを管理されている方が
今年怪我をされて足を悪くされたため管理がもうできないとのこと

先生はこの大きな綺麗な棚田を残したいと
休みの日に狩猟犬(先生が飼っている)ときてはキャンプをして猪を寄せ付けないようにしているそう。

何かアイデアはないかと私含め
学生何人かと一緒に頭を悩ませました。

その後、そこを管理されている人に会いに行った。
とても感じのいいご夫婦で、
でも奥さんは腰が曲がっていて、旦那さんは足を引きずっていました。

確かにこれでは棚田の高低差を考えても管理は難しいだろうなと感じました。

そのご夫婦は、
「棚田を山に返そうと思っている」
とにこやかに話してくれました。

私はこれまでの先人の作ってきたものを
私の代で無くしてしまうなんてと思っていましたが、
元々自然と共に生きてきたこの人たちは、棚田を山から借りて、
そして後継者がいなくなったからそれを返そうという認識でした。


すずめの戸締りでソウタさんがいっていた呪文

「かけまくしもかしこき日不見(ひみず)の神よ。
遠つ(とおつ)御祖(みおや)の産土(うぶすな)よ。
久しく拝領つかまつったこの山河(やまかわ)、
かしこみかしこみ、謹んで・・・・・お返し申す!」

に似てるな、、と思ったり、、

実際に私たちは土地を借りていて、
そして驕り高ぶることなく、借りたものはきちんと返す。
これが自然と共に歩んできた先人たちを敬う気持ちなのかなと思ったりします。

実際に畑を止める決断をするというのはどれだけの思いがあってのことか
私はまだ経験をしていないからわかりません。

でも、今と違ってずっと昔から受け継いできた畑を止める、手放すというのは簡単なことではありません。


最初に言っていた、
この美しい景色や、先人たちが培ってきた知恵と技術の宝庫のような場所を
私たちの世代でなくしてしまうのは勿体無いから残していきたい
という気持ちは今も変わりませんが、
1つも無くしてはいけない!というわけではなく、
その一部が耕作放棄地になったり、廃墟になったとしても
山に土地を返したのだなと少し穏やかに理解できそうな気がしました。

もちろんただ放っておけば返したことになるとは思っていないし、
返し方も考えないといけないというモヤっとした気持ちも残りますが、それはまた気持ちが動いた時に呟こうと思います。


おしまい


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