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20歳最後に考えたこと

*私は今22歳です。これは去年、21歳の誕生日の前に書いたもの。どこかに公開したかもしれないけこのnoteに再掲です。精神科等には行ったことがない時です。ちょっと若いなと思いながら暖かい目で見てやってください*


「幸せ」ってなんでしょう

10代の頃自分は「不幸」な人間だと思っていました。常に不安や恐怖に囚われて、死ぬ気で生きていました。死ぬ気で生きるって、かっこ良く聞こえるかもしれないけど、私にとってはいずれ死ねるから、この不安もやがて終わる日が来るからという感覚です。
当時の不安な事というのは、大人からしたら「そんな時期」で済まされるような些細なことの積み重ねです。自分自身で「幸せ」の定義をもっと高度なものに設定してたふしもあると思います。例えば、誰かの役に立ちたいとか生きてる価値がないと辛いとか…
失敗ばかりで人の気持ちも分からない私は
迷惑をかけることしかできない人間なんだ…みたいな。
まさに傲慢と今なら思います。

では今どうなのかというと、「納得」しています。楽しいこともあるし辛いこともあり、人は生きている上で迷惑をかけることもあるという当たり前の事にやっと納得しました。
そして日々を生きていくことが退屈なことにはならないということもわかりました。

生きていくには食べなきゃいけなくて、そのために、お金が必要で働かなきゃいけなくて…その他にもやること沢山…
まあ、なんて大変。

こんな私が、そんな大変な事を続けていけるのか…またたくさんの迷惑をかけてしまうだけなのでは… という考えになら無いわけではありません。むしろしょっちゅうなります。
ただ、そう考えてしまうのは、失敗が怖かったり、理想の自分になれない事に落胆したくないみたいな事だったりすると思うのです。
「「「「「めっちゃ傲慢」」」」」

自分の理想になれないことを嘆いて不幸ぶるのは、自ら不幸になっているだけだと気づきました。
日々生きていてありがとうを言ってくれる人がいて、助けてくれる人がいるのに。
「今の私は幸せ者だな」と認識した途端、とても幸せになりました。
それで10代の「不幸」は終わりました。

でも辛いことや嫌なこと理不尽なことが沢山起きます。
いくら安全に暮らしていたとしても「幸せ」とは言い切れない気がします。でも「幸せ」ではないとも言えません。そう考えると人生味わってる感じが幸せな気もしてきます。

……まだまだ未熟です。

ただ最近気付いたのが、嫌なことは嫌って思っていいし無理に「幸せ」に思い込む必要もないっていうこと。
思った事をどう表現するかは、一旦考えなきゃいけないけれど、少なくとも自分に正直でいることは大切だなとわかりました。
今までは嫌なものでも無理に好きになろうとしてたから、本当に好きなものはなにか分からなくなっていました。だから自分は「不幸」なのだと思い込んでいたのだと思います。

嫌いな食べ物はありませんが、これからはいい意味で好き嫌いを見つけていきたいです。
そこに「幸せ」の意味の手がかりもありそうな、今はそんな気がします。

いつかもっと大人になった自分がこれをみたら恥ずかしいと思うだろうけど、、
21歳おめでとう自分🎊

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