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ある女、ある男(ショートストーリー)

ベッドから起き上がると、女は消えていた。街で拾った女、顔も思い出せないし、名前も知らない。もっとも本名を名乗る女はいない。

タバコも切れているが、買いに行くのも面倒だ。金?財布を開けてみた。10000円札が一枚減っている。
全部は抜かなかったのか。殊勝な女だ。
 
さて、腹が減っている。仕方が無い。外に出る事にした。その前にシャワーだ。

その頃、女は自宅にいた。
昨夜の事は本当にあった事なのか。酒に酔ってもいなかったのに、なぜあの男について行ったのだろうか。
商売女に見せるため、財布から10000円札を抜いた。まずかっただろうか。

彼女は、しばらくその札を見つめていたが、丸めてゴミ箱に放った。


それからひと月も過ぎた時、期せずして二人は再会した。お互いの事は覚えていたが、知らないフリをするのが仁義だ。

バスターミナルに向かう人通りの多い場所で、お互いを遠くからでも認識できた。
雨天で差した傘が触れ合った。どちらかが意識してそうしたのか、ただの偶然か。

二人はまるで申し合せたかのように、同じ方向を目指す。彼女が彼の後ろを陣取り,目的の場所を知っているかのように、当たり前のような顔で彼の姿を追う。
彼もまた、後ろの彼女の存在に何の違和感も感じず振り向きもしない。

バスターミナルをやり過ごし、二人の姿はとある駅の2番線のホームにあった。
次に来た電車に乗るつもりのようだが、どこに行くつもりなのか。出会ってから二人は一度も言葉を交わしてはいない。


この寒空に、訪れたのは海岸。
誰もいない海は、寂しがりや。おいでおいでと二人を繰り返し招く。

二人は初めて寄り添った。雨はいつのまにか止んでいたが、男が差したままの傘に彼女は身体を預けた。

全身は凍るようで、男と女は思わずしっかりと寄り添った。それは二人にとって、長い年月を掛けて探していた場所であったというか終着地のようにも思えた。二人は身体の奥底にある小さな温もりが広がり始めたのを感じている。

幸せという感情とは違う満足感に包まれる二人。

広い世界の中で、出会えた。
だが、それは二人にとって何の意味も持たない。
これ以上触れ合えば破滅を意味する事を二人は知っていた。


二人に確かな事などあるのだろうか。
一瞬を生きる。何も考える事など無い。
それで良いのだ。

冬の海は寂しがりや。
それだけは確かな事のように思えた。

海は引き潮。
遠ざかるのは波だけか。