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蛍のホテル




 ある水辺に、あなたが決して訪れる事ができない ホテルがある。
行けないのも当然。ここは蛍だけ、蛍の為だけのホテル。

場面はこのホテルの地下にあるbar。
蛍の男達が寛いでくつろいでいる。

「いらっしませ」従業員は絶え間なく声を出す。

命の乱舞を終えた蛍達が集まり始めているのだ。
男達が息も絶え絶えにやって来る。
最初で最後の刹那的な恋。
生涯ただ一つの権利であり義務。
終わったんだ。
彼らは、、、最後の静かな時間を過ごす為にここを
訪れた。 


蜂のバーテンダーの作ってくれたカクテルは優しく、甘い。

女達は最後の力を振り絞り、子孫を残すという最後の使命を果たしているだろう。

しかし、子供達は両親を知らずに育つ。自分達だって、親を知らない。
自分の子供達に会ってみたかった。

生き物によっては、子供を育てるもの達もいるらしい。
神様の不公平はなぜなのか?

その時ドアが開き、女達が入ってきた。彼女達は瀕死の状態だ、、、。いや、それは間違いだ。
 
彼女達はやつれてはいるが、背筋を伸ばし、その表情は誇りに満ちている。

あたりを見回す女達。
「沈んでる店だこと」
「なに?もう死んじゃったの?」
などと会話が聞こえてくる。男達に聞こえることを、明らかに意識している。

男達は、お互いの顔を見回す。 

女達は思わせぶりな目配せを残して出て行った。

その時、バーテンダーが声をかけた。
「皆さま、本当にお疲れ様でした。
当ホテルから皆様に特別なお飲み物をご用意しております。今宵は心ゆくまでおくつろぎください」

「ああ、何と蜂蜜がたっぷりだ」
「最後を迎える我々に、何と嬉しい心使いだ」
「ありがとう、ありがとう」
男達は口々に、感謝の言葉を繰り返す。
男達は何度も静かな乾杯を繰り返す。


***

男達はホテルに宿泊する事無く、亡骸だけが、この Bar で朝を迎えた。
与えられた命の終了。穏なおだやかな終了。

日の出と共に、女達が帰ってきた。
横たわっている男達を目の当たりにし、女達は声を飲んだ。

そして、結婚相手の側に行き、その唇に優しく口づけをした。
顔を撫で、夫に別れを告げたのだ。
この短過ぎる結婚生活、彼女達は何を思うのだろう。

静かに女達はホテルの部屋に引き上げた。そう、とても静かに。

バーテンダーはミツバチの見習いの少女に話しかける。
「ひとつ終わったね」
「あの亡き骸はどうするの?」少女は尋ねる。
「明日、蛍の女達と一緒に、川に、流すのだよ」
バーテンダーは、噛み締めるように答えた。
「川に?」
バーテンダーは、どう説明するか考えながら、少女の肩に手を置く。

「蛍達は、何年もの間、川や土の中で過ごすんだ。彼らは川の生き物を捕食する。そして今度は彼らが、お返しをするのさ」

ミツバチの少女は考え深げに、黙ったまま頷いた。


その日の夕暮れ時、女達とバーテンダーは、亡き骸を川に流した。祈りなどは無い、ただ淡々と。

作業が終わると、女が一人、バーテンダーに声をかけた。
「手伝って下さって、ありがとう」
バーテンダーはかぶりをふる。

「わかって下さっていると思うけれど、最後の一人の事、お願いね」
「心得ています。ご安心ください」

見習いの少女は、女の姿が遠ざかると、バーテンダーに質問をする。
「どう言う事ですか?」

「彼女たちは、明日くらいから川に帰っていくだろう。先に逝った者を、確実に川の中に帰してやるんだ。でも、最後の一人はそれができないだろ?」

「そうですね。死んだ姿を誰にも見られたく無い気持ち、わかるわ」
少女は頷く。

•••


それから2日後の夕刻。
バーテンダーと見習いの少女は、最後に残った女の亡き骸を川に帰してやった。
それは川の流れに逆らわず、美しい弧を描くとそのまま流れに乗った。

バーテンダーは、独り言の様に言う。
「彼女達は、卵を産んでも育てられない」
少女は彼の言葉を受けた。「私達、ミツバチは卵を産むのは女王だけ。私達は育てるだけ」

不条理なのか、そうでないのか。分からない。何もわからない。
少女は言い表せない気持ちを抱えた。

夜のとばりが下りてきた。

空には、無数の星。
その瞬きは蛍達への鎮魂歌。

さようなら、蛍達。

夏の風が二人を包み込んだ。
雨の匂いのするような夜だった。



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