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「腹を割ったら血が出るだけさ」

「腹を割ったら血が出るだけさ」住野よる

高校生の茜寧は、友達や恋人に囲まれ充実した日々を送っている。
しかしそれは、「愛されたい」という感情に縛られ、偽りの自分を演じ続けるという苦しい毎日だった。
ある日、茜寧は愛読する小説の登場人物、〈あい〉にそっくりな人と街で出逢い――。

いくつもの人生が交差して響き合う、極上の青春群像劇。

住野よるさんの作品の中でもトップクラスに好き。
最初に読んだのは高校生のときで、まさに茜寧のように「みんなに好かれる自分」を演じていた頃だった。そのときはもう共感しかなかった。
でも、少しずつ他人じゃなくて自分が好きな自分で生きられるようになって再読すると、あの頃を振り返りつつ俯瞰して読めた気がする。


本当の自分を曝せ、本心で生きろ、素顔のまま生きた方が楽しい。
お前らの謳う、ポジティブなものと身勝手に決めつけたそれって、なんだ。
簡単に見せられるような本当の私なんて、一体どこにいる?

p229

「本当の自分」なんてどこにもいない気がしていた。
高校生までは親や友達、先生の期待に応えられるよう生きてきた。自分がどうしたいかよりも他人がどうしてほしいかばかりを考えてきた。
周りとは考え方や感じ方が違う、というのは幼い頃から感じていて。「本当の自分」なんてものを出したら、自分が傷つくことがどこかでわかっていた。だから人と喧嘩をしたことがほとんどない。自分を隠すことでしか自分を守れなかった私が、今思えば滑稽なのだけれど、それも偽りじゃなくて切実で、必死だった。
だから「優しいね」「頼りになる」「気が利くね」と言われるのが違和感でしかなかった。そう振舞ってるのは私だけど本当は違う。したくてそうしてるんじゃない。本当の私はそんなにいい人じゃない。
なんにも知らないくせに、私のことそうやって決めつけないで。
ただ、矛盾しているのは別に自分のことをわかってほしいわけではないということ。
私のこと理解できなくてもいい。でも否定したり干渉したりするのはやめてほしい。それを避けるために自分を偽るようになったのかもしれない。


「考えたんだけど、きっと、本心から望んでいることが何かなんて、ずっと分からない気がする。その曖昧の中で生きていこうって、今は思ってる」

p329

今は少しずつ、自分を出して生きることができているのはもう自分じゃない誰かを演じるのに疲れたからだと思う。もうこんな人生嫌だと死にたくなったから。
だけど、本当は死にたかったんじゃなくて、自分じゃない自分で生きていたくなかっただけだと気づいて。それでもしばらくはどう生きていけばいいのかわからなかった。本当の自分は簡単に見つからない。でも本当の自分じゃない自分を演じることはやめることができた。
やりたいことは正直まだはっきりわからない。でもやりたくないこと、嫌いなことは明確にわかる。
「曖昧の中で生きていこう」とはそういう意味ではないかと個人的に解釈している。


「みんなに生かされて、みんなに殺されてしまうかもしれない、そんな曖昧でギリギリの場所に立っている自分のこと、好きか嫌いかは分からないけど、認めてやりたいって思う」

p334

1人で生きてる気がすることも1人で生きていきたいときもあるけれど、他人からはどうしても逃げられない。
今まで「生かすも殺すも自分次第」だって思ってきた。何をしても他人は関係ない、私は私。
でも「みんなに生かされる」も「みんなに殺される」もなんかわかる気がする。ぼんやりとだけど。
そのぼんやりした曖昧の中で生きていいんだと思えたことは私にとって大きいのかもしれない。前は誰に対しても何に対しても完璧でいたかったけど、かなり無理をしていたと今ならわかる。白黒はっきりしないで矛盾ばかりでいい。そんなふうに日々を乗り切ってる自分のことを認めながら生きていきたい。


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